2020-01-01から1年間の記事一覧

三木三奈「アキちゃん」感想

三木三奈「アキちゃん」(文學界5月号)のことがまだ気になっている。これはある種の人たちの癇に障る作品だと思った。臆面もなく上手い。けれど文学は上手い下手ではない。だからこういうのは、やらない。やろうと思えばできるけれどやりたくない。でも本当…

雑記

■前回、「た」に関する松下大三郎の説を「最近発見した」と書き、『標準日本口語法』から関係する一節を引用するなどしたが、2011年に書いた「やはり『た』は『過去形』ではない」で言及した藤井貞和『日本語と時間』に、『標準日本口語法』の同じ箇所を取り…

複合過去から村上春樹へ、あるいは時制のゼロ度

これも自分の営業用ホームページに載せていた文章。2010/7/14という日付が入っている。ずいぶん前のものだけど、英語ネイティブ(たぶん)の日英翻訳者の方が、本ブログの記事「やはり『た』は『過去形』ではない」と併せて、ご自身のツイッターで参照してく…

折口信夫『死者の書』冒頭部の仏語訳

折口信夫の『死者の書』にフランス語訳はあるのだろうか? 英訳ならもうあるようだ。冒頭部がGRANTAのサイトで公開されていた。ちらっと見たら、「した した した」のところ、次のように訳されている。 した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる…

消える翻訳

前回に引き続き、自分のサイトに掲載していたテキストをこちらに移す。タイトルは「消える翻訳」。2009年2月2日付の文章。 この中に、ふつうなら「訳抜け」と呼ばれるであろうものに対して、ややアクロバティックな解釈を適用し、暗に「訳抜け」ではないとし…

翻訳の絶滅/二つの翻訳

自分で作った集客用のサイト(2005年開設、HTML手打ち)を閉じることにしたので、いくつかのテキストを何度かに分けてこちらのブログに移植します。今回は「二つの翻訳」という表題の、2006年10月28日付けの文章です。翻訳不可能論をめぐって錯綜する様々な…

フランス語の「ねじれ文」

ぼくの希望は、社会に出て、みんなのためにつくすことのできる人になろうと思っています。 この文はおかしい。どこがおかしいのか。「ぼくの希望は」で始まった文が「なろうと思っています」で終わっている。でも、「みんなのためにつくすことのできる人にな…