2015-01-01から1年間の記事一覧

「フランス語のウナギ文」再び

高田大介さんのブログ記事「うなぎ文の一般言語学」に触発された。以前書いた「フランス語のウナギ文」の続きを書くことにする。まずは念のためウナギ文の実例を挙げておこう。死後の世界で交わされたやりとりとして読んでもらいたい。 A:それで皆さんは何…

日本語は論理的ではないし、文法的でもない――森有正「現実嵌入」再考

1976年にパリで客死した森有正は哲学者であったが、自らの哲学についてはまとまった著作を残していない。完結していれば主著となったかもしれない『経験と思想』も尻切れとんぼだ。いくつか印象深い概念を提示し、繰り返し語っている。でも内容はどれも似た…

日本の言語の起源の補綴

古事記の序の終わり近く、撰録方針について太安万侶の記すところ、「上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難」とある。「昔の言葉は、その形式と内容において、今よりもずっと素朴であった。そのような言葉を文章化するのは難しい」という意味に解される。であ…

日本語のための第三空間――主語論の余白に

日本語文法学会編『日本語文法事典』(2014年)では「主語」の項を3つ立てている。そのうちの1つに、「日本語に主語はないという主張は、主語を専ら統語上の概念だと決めてかかる観点に立つものである」(p.267)とあって、ちょっと考え込んでしまった。とい…

あまり魂が入つてゐないもの

年末から元日にかけて、保坂和志の『小説の誕生』を読んでいたのだが、小島信夫の「裸木」と梶井基次郎の「檸檬」の文章を比べていた。「裸木」は「檸檬」に似てないとある。でもそれをいうならむしろこうじゃなかろうか。「裸木」は「檸檬」にだけは似てな…