解釈の独善性について(3)

 

さて、桜庭一樹氏は②の記事に掲載された見解の冒頭で次のように断言している。

私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています。

ここを読み、大きく分けて二つのことを思った。その第一は、こういうことである。「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し(中略)たことが描かれています」というが、この作品には躊躇なくそう断言することを可能にする記述が極めて乏しいのではないか。いや極めて乏しいどころか、皆無であるのではないか。というより、そのような場面を描くことは、この作品の設定からして原理的にほぼ不可能であるとさえ言えるのではないか。なぜなら、すでに記したとおり、「少女を埋める」は一人称小説であり、かつ、語り手を務める主人公の冬子は二十年に及ぶ老老介護の現場にほぼ居合わせていなかったからである。つまり介護中の両親の具体的な常況は語り手には語り得ない事柄に属する。いわゆる「移人称小説」であれば話は違ってくるが、この作品はそうではない。したがって、冬子がそれについて知り、語るには、両親の身近にいて事情に通じた第三者から話を聞く、あるいは隠しカメラを設置するなどする必要があると思われるが、しかし、この小説にはそのような場面は存在しない。つまり――②における桜庭氏自身の言葉を借りて言えば――「そのようなシーンは、小説のどこにも、一つもありません」ということである。したがって、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病」云々というのは――やはり②における桜庭氏自身の言葉を借りるが――「実際の描写にはない余白のストーリーを想像」したものにすぎないと言わなければならないのではないか。そしてそれが「想像」であるからには――桜庭氏自身が述べるように――「主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない」のではないか。

②において桜庭氏は、かなり不可解な振る舞いをしているように見える。不可解というのは、何より桜庭氏が上記のような自家撞着を、すでに作品を読み終えた読者に対して取り繕う気がみじんもないように見えるからである。このことの不可解さは、相手方の鴻巣氏が自身の想像の妥当性について、③を書いて公開することを通じ、作品を読んだ読者にも通用する体で証明しようと試みていたことに比べてみれば、いっそう際立ってくる。しかも、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し(中略)たことが描かれてい」ないことは、「夫の看護を独り背負った母」が「弱弱介護の密室で」「夫を虐待した」ことが描かれていないことと同程度に、あるいはそれ以上に明白な事実であるように思える。一篇を読み通せばだれでもそのこと、つまり「献身的」な「看病」の場面が不在であることに思い至らざるを得ないのである。

しかし少し冷静になれば、作者のこの振る舞いが、じつはいささかも不可解ではないことが見えてくる。

作者は、「少女を埋める」の続編とみなし得る作品「キメラ――『少女を埋める』のそれから」(文學界11月号、以下「キメラ」と呼ぶ)の中で、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていた」というのは「故郷に向けて単純化した言葉と表現」であり、その「前半はとくに文学の共同体に向けて綴られた言葉ではな」いと語り手に語らせている。この「単純化」ということについては、桜庭氏本人も、冒頭に引用した一節と同趣旨の音声メッセージ(「私は今月、自伝的な小説を発表しました。主人公は自分をモデルにした人物で、ほかに、病気の夫を献身的に看病した母、夫を深く愛していた女性としての母も出てきます」)をTwitterに投稿した直後、「伝わりやすいように言葉や表現を単純化した部分があります」とツイートしている。とはいえ「単純化」とは一体どういうことなのか、その具体的内容については作者、作中人物とも一切言及していない。「単純化」しないで言うとどうなるのか、その点に関しても両者はまったく言葉を費やそうとしない。だから「単純化」の内実については何もわからないとしか言いようがないのであるが、しかし、わかることもある。②における桜庭氏の言葉が、すでに「少女を埋める」を読み終えた人間、そしてこれから読んでみようと考えるような人間には向けられていないということ、そのことがわかる。その言葉が向けられている対象は、この作品をまだ読んでおらず、また、これから読むつもりもさらさらなく、かつ、朝日新聞に書いてあることは何もかもぜんぶ真実だと頭から決めつけている人々、とりわけ――「キメラ」で言われるように――作者の故郷に暮らす「高齢者」たちなのである。この点に関してはいささかも疑う余地がないと思われる。

そもそも桜庭氏が文芸時評に異議を唱えたのは、単に一人の文芸評論家によって自作を誤読されたからではない。自作の誤読に基づく評が「朝日新聞」という「数百万部発行の巨大メディア」(②における桜庭氏の言葉)に掲載されたことにより、同紙には本当のことしか書かれていないと妄信する「故郷の高齢者」たちの間で母親についてあらぬ「噂」が広がることを懸念したからである。したがって、桜庭氏が朝日の記事においてこのような読み手の限定を行ったこと、また、「噂をきっぱり否定するため」(「キメラ」)、時評に記された「虐待」という言葉との対照の際立つ「献身的に看病」という文言を自家撞着を厭わず敢えて入れたことは、不可解どころか、むしろ所期の目的に照らして極めて合理的な行動であったと言わなければならないだろう。念のため言い添えておけば、「小説のどこにも、一つも」ない場面について「想像」で書くことは、朝日新聞においてはすでに公然と認められている。

以上が第一に思ったことのあらましであるが、これに関連し、あらすじと解釈の区別という問題についても少し考えたことがあるので、書いておきたいと思う。

桜庭氏は同じく②において次のような見解を表明している。

小説の読み方は、もちろん読者の自由です。時には実際の描写にはない余白のストーリーを想像(二次創作)することもあり、それも読書という創造的行為の一つだと私は考えます。しかしその想像は評者の主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない。それは、これから小説を読む方の多様な読みを阻害することにも繋(つな)がります。

先に部分的に引用してもいるこの一節において、桜庭氏は、「あらすじ」は《書いてあること》によって構成すべきであり、《書いてないこと》についてなされた「想像」は「あらすじ」に含めてはならず、「解釈」として提示しなければならないと主張している。つまり「あらすじ」と「解釈」の区別を《書いてあること》と《書いてないこと》の区別に関わらせている。同様の主張は「キメラ」においては、より簡潔な言い方でなされている。「作品に書かれていたことはあらすじとして、読んで自分が想像したことは解釈として分けて書く」。桜庭氏が《書いてあること》と《書いてないこと》は客観的かつ明確に区別できるという考えを自明の前提としていることは明らかであるように思われる。しかし、この前提は、それほど自明なものと言えるだろうか?

そもそも《書いてあること》と《書いてないこと》を客観的かつ明確に区別できるのであれば、今回のようなことは起こっていなかったはずである。というのも鴻巣氏は介護中の虐待を《書いてあること》の範疇に繰り込んでいるに違いなく、だからこそ「あらすじ」にも組み込んでいたはずである。したがって《書いてあること》と《書いてないこと》の区別に基づいて「あらすじ」と「解釈」を区別すべしという桜庭氏の主張は、異議申立ての方法としてあまり有効ではないように思える。繰り返すが、鴻巣氏は主観的にはそうした区別を正しく遂行したつもりでいたと考えられるからである。

ここはひとつ別の事例で考えてみよう。ウィキペディアには「ボヴァリー夫人」が立項されているが、その記事を読むと、「『ボヴァリー夫人』(中略)は、フローベールの長編小説で、19世紀フランス文学の名作と位置づけられているフローベール自身の代表作である」との(機械翻訳的にやや拙い)記載があり、続けて「田舎の平凡な結婚生活に倦怠した若い女主人公エマ・ボヴァリーが自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生に絶望して服毒自殺に至っていく物語である」(強調引用者)との要約がある。何の問題もないようだが、しかし、『『ボヴァリー夫人』論』の蓮實重彦氏であれば、この要約に鋭く否を突きつけるはずである。なぜなら同書において蓮實氏は、「『フィクション論』の理論家」リュボミール・ドレツェルが「『エンマ・ボヴァリーは自殺した』という命題」を「そのできごとが起こったフローベールの小説の長い部分(第三部、八章)を短く要約したもの」と見なしていることを再三にわたって取り上げ、この命題は「フローベールの小説の長い部分(第三部、八章)」の要約では「ありえない」と述べているからである。なぜか?

理由はごく単純で、『ボヴァリー夫人』には「エンマ・ボヴァリー」という「固有名詞」などひとつとして書きこまれてはおらず、その命題を導きだすドレツェルのテクストの解読そのものが誤りというほかはないからである。あるいは、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という命題は、この理論家がテクストを読む労をいとわず[「労をとらず」の誤りか?(引用者)]に創作した一種のフィクションだというべきかもしれない。

蓮實重彦『『ボヴァリー夫人』論』p.56)

(※じつは蓮實氏はこれより数百頁後の部分で別の理由も示しているが、その理由にはやや微妙なところが含まれているので、ここでは触れないことにする。)

電子データ化された本文(これこれ)に全文検索をかけてみるとたちまちわかるが、たしかに「エンマ・ボヴァリー(Emma Bovary)」という言葉は『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary)には「書きこまれて」いない。そして「要約」には《書いてないこと》を一切含めてはならないとすれば、テキストに存在しない言葉の紛れ込んでいるこの命題を「要約」と呼ぶわけにはいかなくなる。「創作」とまで呼べるか否かについては様々な判断がありえるとしても、この命題の全体を「解釈」と呼ぶくらいであれば特段の差し障りがあると思えない。少なくともそこにおいて何らかの「解釈」――「エンマ」という洗礼名を持つ女性が「ボヴァリー」という苗字を持つ男性と結婚し、「ボヴァリー夫人」と呼ばれているのであるからには、作中自殺したその女性の名前は「エンマ・ボヴァリー」であるに違いない、というような――が作用しているとは間違いなく言えるのである。

しかし他方、この「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という命題が『ボヴァリー夫人』を通読したことのある多くの人々においては第三部第八章の正当な要約として容認されるに違いないということもまた同じように間違いなく言えるのではないかと思える。つまりこれら「多くの人々」は、「エンマ・ボヴァリー」程度の「解釈」であれば《書いてあること》のうちに数えていいものとみなしているわけである。ちなみにこの「多くの人々」には、アルベール・チボーデ、エーリッヒ・アウエルバッハ、アンリ・トロワイヤマリオ・バルガス=リョサ、それに社会学ピエール・ブルデューや分析美学のケンダル・ウォルトンといった錚々たる人士が含まれるようだ。蓮實氏によれば、これらの人たちは自著で『ボヴァリー夫人』に触れる際、この小説に存在しない「エンマ・ボヴァリー」という言葉を平気で書きつけている。

このように「多くの人々」が『ボヴァリー夫人』の中に「ひとつとして書きこまれて」いない「エンマ・ボヴァリー」という言葉を《書いてあること》の範疇に含めている。蓮實氏の観点によれば《書いてないこと》が「多くの人々」の観点によれば《書いてあること》のうちに繰り込まれるということである。

蓮實氏の観点については少し説明がいるだろう。氏は「小説」と呼ばれる散文形式の虚構作品を「テクスト的な現実」と「フィクション世界」の二層に分けて考えている。前者を活字の次元における作品の存在論、後者を想像の次元における作品の存在論と言い換えても、ここではさほど問題は生じないと思う。「エンマ・ボヴァリー」は活字上存在しない。しかし、言語の物質性の反映たる活字を読み進める読者の脳裏に立ち上がる想像の世界においては、現実世界と同様、肉体と精神を備え、ときに「エンマ」、ときに「彼女」、ときに「彼の妻」、ときに「ボヴァリー夫人」と呼ばれる、地に足をつけた人間として立派に存在する。蓮實氏が前者「テクスト的な現実」の観点に立っていることは言うまでもないだろう。逆に「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という文字列を要約として容認する「多くの人々」は後者「フィクション世界」の存在論に立脚しているのである。

この二層区分に照らしてみれば、1980年代後半の日本に現れたいわゆる「テクスト論」の眼目が、「テクスト的な現実」の水準において意味作用を有する記号として存在する活字の連なり――すなわち「テクスト」――を徹底的に読み込むことを通じて、それが表象する「フィクション世界」の解像度を引き上げ、またその領域を広げること、すなわち《書いてあること》の領域を思い切って拡充することにあったことがわかる。一方は物質、他方は想像力からなる二つの層はお互い物理的に切断されており、しかもその相関性は比較的緩やかなのであるから、「フィクション世界」の時空間は「テクスト的な現実」による制約からかなりの程度自由でいられる。小森陽一氏らが夏目漱石こゝろ』の読みにおいて示したような、作品に描かれた出来事の後日談とも言える内容に踏み込んだ読解は、こうした「フィクション世界」の特性を足場としていると言えるだろう。

言うまでもないことだが、「テクスト論」的な読解は決して特殊な読み方ではない。ごく普通に小説を読む読者であればだれでも採用しているはずの、活字を追って意味を取り、そこから立ち上がる像に意識を向けるという読み方と、根本的なところで違っているわけではないからである。ただ、蓮實氏が『『ボヴァリー夫人』論』でいうとおり「人類は『テクスト』を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもない」ので、どうしても「テクスト的な現実」への注意がおろそかになりやすい。したがって四百字詰め原稿用紙一八〇枚の分量を有する中編小説「少女を埋める」にある「覚えてない」、「覚えてたのか」の呼応を読み落とすようなことは人類である限りだれにでも――文芸評論家と呼ばれる人たちにでも――起こり得るのであって、それ自体珍しいことではない。

たとえば――先に「移人称小説」という言葉を出したので、それにちなんだ例を挙げることにするが――文芸評論家の渡部直己氏が、その著書『小説技術論』に収められた論考「移人称小説論――今日の「純粋小説」について」の中で、岡田利規氏の小説「わたしの場所の複数」では「主役夫婦のあいだで、携帯電話が繋がらない」(強調は原文では傍点)と書いている。また、そのことが「独特の山場をもたらす」ことになるとも言うのだが、しかし、この作品には「夫は(中略)携帯を手に取って(中略)わたし[=妻(引用者)]が書いたメールを読んだ」という記述が含まれており、実際には夫婦の携帯電話は繋がっている。加えてこの作品における「独特の山場」は携帯電話が繋がった後、すなわちこの夫が「メールを読んだ」後に到来しており、ようするに渡部氏はこの記述を単純に読み落としているのである。

話を戻そう。見たように、《書いてあること》と《書いてないこと》の境界は、読み手がどのような立場をとるかによって動く。《書いてあること》の範囲は「テクスト的な現実」に忠実な読解において最も狭くなり、「テクスト論」に依拠した読解において最も広くなる。「多くの人々」にとっての《書いてあること》は、この両極に挟まれた空間に位置づけられると考えていい。

この中間領域において「多くの人々」が採用する読みの構えは、「テクスト的な現実」に意識を縛り付け、ひたすらその意味作用に注意を向けるというものではないだろう。活字の記号を追う読み手が意味に向ける意識には常に想像的な意識が伴っている。とはいえ、「フィクション世界」を構成するこの想像の態様は、「テクスト論」的な読解において見られるような能動的な、前のめりの想像力の行使ともやはり異なるはずである。小説を読むことにおいて自動的、自発的に立ち上がる像の領域が存在するのだ。ジャン=ポール・サルトルは、『想像力の問題』において、読書に伴うこのいわば中動態的な像のことを「像的要素(élément imagé)」と呼び、能動的な想像に伴う「心的イマージュ(image mentale)」と区別している。「多くの人々」が小説を読む際、その意識はこの「像的要素」に浸された記号――単なる意味でも単なる像でもない、両者の性質を兼ね備えたハイブリットな対象――に対面していると思われる。

その意味では、《書いてあること》と《書いてないこと》の切り離しは、小説を読む際「多くの人々」が通常とる意識の構えにおいては、ほぼ不可能であると言っても過言ではないだろう。なぜなら、「テクスト的な現実」の次元における《書いてあること》には、中動態的な想像の像、すなわち《書いてないこと》が絶えず覆いかぶさってくるからである。人類が「テクスト」を読むことを苦手とする最大の理由はここにあると言えるのではないか。

 繰り返しになるが、何が《書いてあること》であり、何が《書いてないこと》であるかは読み手の立場により異なる。また、小説を読む際の通常の意識においては《書いてあること》と《書いてないこと》が絶えず絡み合っている。したがって両者を客観的かつ明確に区別することは困難であり、したがってこの区別に基づいて「あらすじ」と「解釈」を区別することは「簡単そうで難しい」(②における鴻巣氏の言葉)。

 とはいえ、《書いてあること》の範囲を最も厳しく限定した「テクスト的な現実」の観点に立つのであれば、《書いてあること》と《書いてないこと》を厳密に切り分け、したがって「あらすじ」と「解釈」を明確に区別することができるのではないか? しかし、どうやらこの問いに対しても否と答えるのがふさわしいようである。なぜなら「あらすじ」は定義上、その構成にあたって「テクスト的な現実」からの遊離をどうしても必要とするからである。というのも「あらすじ」とは「テクスト」の内容をかいつまんで短くまとめたものをいうのであり、したがってそれは「テクスト」の意味論的、形態論的な圧縮であらざるを得ず、そしてそれが圧縮であるからには言葉の取捨選択やパラフレーズが不可欠であり、こうした作業には不可避的に「解釈」が入り込むからである。端的に言えば、「あらすじ」はそれ自体において「解釈」であらざるを得ない。

したがって、「あらすじ」と「解釈」を「分けるのは簡単そうで難しい」という②における鴻巣氏の言葉はやはり正しいと言うほかない。両者の分離は原理的に不可能であるとさえ言えるだろう。そして仮にそのように言えるとすれば、おそらく可能なのは、《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》の区別だけであるとも言えるに違いない。しかし、このように言えるからといって、「あらすじと解釈は区別を」という②における桜庭氏の主張に治癒できない瑕疵があり、それが異議申立ての有効性を減殺しているとはただちには言えないのである。

すでに見たように、桜庭氏は、②に掲載された自身の見解中「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病」云々とある冒頭部分は「言葉や表現を単純化した」ものであると語っている。また桜庭氏は、「(母は父を)虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ」との文芸時評の言葉を「あらすじ」と呼んでいるのだから、その「内容とは全く逆の」この冒頭部分を「あらすじ」と見ることについて氏に異存があるとは思われない。つまり桜庭氏は、「あらすじ」において「言葉や表現」の「単純化」がなされることを認めている。その上、この桜庭氏による「あらすじ」に含まれる「献身的に看病」という文字列が「少女を埋める」に「ひとつとして書きこまれて」いないことは明らかであるから、この「単純化」が「テクスト的な現実」からの遊離と無関係であるとも思われない。すなわち、「単純化」の施されたこの冒頭部分は「テクスト」の意味論的ないし形態論的な圧縮になっていると考えざるを得ない。したがって桜庭氏は、その実践を通じて、「あらすじ」に「解釈」が含まれること、「あらすじ」がそれ自体において「解釈」であることを暗に認めていると考えざるを得ない。

さらに言えば、桜庭氏が自身の「あらすじ」に含まれる「解釈」を「妥当性の低い」ものと見ているとは考えにくい。したがって②において桜庭氏のいう「あらすじ」は、当然ながら《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》のことを指していると考えなければならないだろう。とすれば、②の見解で桜庭氏が「あらすじ」と対照的に用いる「解釈」は、これも当然《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》を指しているということになるだろう。したがって「あらすじ」と「解釈」を区別せよという桜庭氏の主張は、実質的には《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》を区別せよという主張であると読まなければならないだろう。

鴻巣氏の見解も見ておこう。鴻巣氏は②の見解において、桜庭氏から「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があった」と述べ、かつ、その「要請に従いウェブ版を修正した」と述べている。修正後の文芸時評を見ると、当初「虐待した」と断言の形をとっていた表現が「『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」という言い回しに和らげられているほか、「わたしはそのように読んだ」という言葉が補われている。この追加の言葉は、鴻巣氏が当該箇所を「あらすじ」とは明確に区別される「解釈」として位置づけたということを意味すると考えられる。

ところで鴻巣氏は②の見解において、すでに引用したように、「あらすじ」と「解釈」を「分けるのは簡単そうで難しい」と述べていた。③においても「あらすじと解釈を分離するのはむずかしい」と書いているから、これが鴻巣氏の信念であることが伺われる。また、この信念の内容の正しさについてもすでに確認したとおりである。ところが鴻巣氏は、この「簡単そうで難しい」はずの「あらすじ」と「解釈」の区別を、修正後の文芸時評において、単に表現を和らげ、「わたしはそのように読んだ」という短い文を付け加えるだけで、いとも簡単に遂行しているように見える。なぜこのようなことが可能であるのか? それはこの遂行された「あらすじ」と「解釈」が、「簡単そうで難しい」と形容されていた元々の「あらすじ」と「解釈」の区別とは別の観点において遂行されているからだと考えるのがいちばん理にかなっていると思われる。そしてこの「別の観点」が桜庭氏の観点であると考えることも同じように理にかなっていると思われる。なぜなら鴻巣氏は、桜庭氏の「要請に従いウェブ版を修正した」と述べているからであり、さらに言えば、これもまたすでに確認したとおり、「可能なのは、《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》の区別だけ」だからである。

桜庭氏の観点によれば「解釈」とは《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》のことなのであった。鴻巣氏は修正後の時評において「わたしはそのように読んだ」といい、「『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」という自身の読みが「解釈」であることを認めている。すなわち自身の読みが《妥当性の低い解釈に基づく》ものであることを認めている。一見、情実を交えつつお気持ち忖度案件に持ち込んで幕引きを図ろうとしたかに見える鴻巣氏も、じつは自らの誤読をいさぎよく認めているのであり、また、このような自認の言葉を鴻巣氏から引き出すことに成功したのであるからには、桜庭氏の主張は異議申立てのやり方として極めて有効性の高いものであったということになるのではないか。私はそのように思った。