やはり「た」は「過去形」ではない――藤井貞和『日本語と時間』、熊倉千之『日本人の表現力と個性』、そしてトマス・ハリス『羊たちの沈黙』

今から十年以上前、妻の妊娠を機に会社を辞め、二人でフランスを一か月ほど旅行した。ニースを拠点にコートダジュールの観光名所をいくつか巡り、アルル、アヴィニョン、リヨンと北上し、最後の十日間ほど、パリで過ごした。一か月はあっという間だった。

帰国の前日、飛行機の中で読む本を探すため、フォーラム・デ・アールのフナックに寄った。ミステリの文庫の棚に『Le silence des agneaux』があるのを見つけた。トマス・ハリスの小説『The silence of the lambs(羊たちの沈黙)』の仏語訳である。

この小説は、日本語訳で一度読んだことがあったし、映画も観ている。だから途中で知らない言い回しや単語が出てきても、筋を追えなくなる心配はない。それでこれに決めた。

機中、読み始めてすぐ、ぎょっとなった。

Le département des Sciences du comportement du FBI, chargé des meurtres en série, était au rez-de-chaussée à demi enterré de l’Ecole de Quantico. Clarice Starling y arriva toute rouge d’avoir marché si vite depuis le stand de tir d’Hogan’s Alley ...
Thomas Harris, Le silence des agneaux, traduit de l’anglais par Monique Lebailly)

日本語訳はこう。

FBIの中で連続殺人事件を扱う行動科学課は、クワンティコのFBIアカデミイの建物のいちばん下にあって、半ば地中に埋まっている。クラリススターリングは射撃訓練場のホゥガンズ・アリイから急いで歩いて来たので、着いた時は顔が紅潮していた。
トマス・ハリス羊たちの沈黙』菊池光訳)[注1]

両者の印象の著しい違いをだれにでもわかるようにうまくいうのは難しいけれど、以前書いたことを懲りずに繰り返せば、こうである。

小説を夢に譬えれば、単純過去を使ったフランス語の小説は、夢から覚めた後、「ああ夢だったのか」という安心感のもとに、その夢を思い返しての報告という形をとる。一方、日本語の小説は、夢を見ながらの実況中継だ。日本語の小説には、その言語的特性に由来する緊張感、臨場感、現前性が備わっている。
複合過去から村上春樹へ、あるいは時制のゼロ度

この頃なぜかこうした日本語の「時」のことが気にかかり、関連書をいろいろ読み漁っている。先日、熊倉千之という人が、右とたぶん同じことを、もっとうまくいっているのを見つけた。引用しておきたい。

日本語で書かれた物語の時間は、欧米の文学のように、過去の物語として過去時制によって統一されるのではなく、テレビや映画に流れる時間のように、目の前に実在するように描かれる。
(熊倉千之『日本人の表現力と個性』p.40)

例えば、映画ではよく回想シーンがあるけれど、あるシーンだけを前後から切り離して観た場合、それが物語における現在の場面なのか、過去を回想している場面なのか、ふつうは判断できない。けれど、フランス語の物語は、動詞の時制が常に単純過去に置かれていることによって、それが絶対的な過去に帰属すること、「現在」と切断されているということを、絶えず読み手に印象付ける。どの部分を切り出しても、過去の話であることは明瞭なのだ。日本語の小説の仏訳を読んでぎょっとするのは、日本語の物語でまったく、あるいは部分的にしか標示されていないこの過去への帰属性が、全編にわたって入念に刻み込まれていることへの驚きだろう。そしてこの、時の取り扱いが両語間で大きく違っていることに由来する驚きが、そのまま、日本語の助動詞「た」が過去時制を表示していないことの証拠になっていると考えていいだろう。日本語の小説では、いくら「た」が使ってあっても、フランス語の物語を読んだ時のような、過去に向かっての時間的な隔たりの印象がもたらされない。

さて、日本語の「時」を扱った本で、最近読んで面白かったのは、昨年末に刊行された藤井貞和『日本語と時間』(岩波新書)である。とくに「七章 言文一致への過程――「た」の成立」は、自分の関心領域にすっかり重なるので、とても興味深く読んだ。

藤井は、まず、日本の「古代物語の基調」が「非過去」であると指摘する。

(『源氏物語』の)「夕顔」巻の冒頭部はたしかに「六条わたりの御忍びありきのころ」[(源氏の君が)六条近辺のお忍び歩きのころ]と語られ出す。そういう大枠のことをここで言うのではない。その大枠を除いて、物語の叙述はいまの時間に進行に徹する。それは映画や液晶画面の動画を見るのに似ているかもしれない。
藤井貞和『日本語と時間』p.184)

この認識は、引用された言葉から明らかなように、熊倉千之のそれとほぼ重なっている。しかし、藤井は、熊倉と違い、近代以降の物語には、これが当てはまらないと考えている。近代文学は、「過去時制」の支配下に置かれているというのだ。その理由として藤井が挙げるのは、いわゆる「言文一致体」の文末に、助動詞「た」(藤井は「助動詞」ではなく「助動辞」と呼ぶ)が採用され、それが口語詩を含め、一般化したことである。つまり藤井は、この「た」のことを、まごうかたなき「過去時制」のマークであるとみなしているわけだ。

「た」が「過去時制」の表示であるとする考え方は別段めずらしいものではない。めずらしいのは、その主張を支えるために藤井が持ち出す根拠の方である。ちょっとわかりにくい文章の、すこし長めの引用になるが、すぐあとに解説を加えるので、しんぼうして読んで欲しい。「た」の成立過程に目を向けて、藤井は、こういっている。

繰り返せば、助動辞「つ」とar-i(あり)との結合が「たり」である。「たり」は「存続の助動詞」などと言われ、非過去性がつよく感じられる。動作や状態が完了しての、その結果の存続が「たり」である、と。けれども、「つ」がなかにはいっている。「つ」の持つ性格が、ar-i(あり)の持つ現在性とのさじ加減で、「たり」の意味を生じるとおおまかに理解していただきたい。基本的には時制と無関係にあって、なかにar-i(あり)があることによって現存性や結果性がつよく出てくるし、時制的な蠢(うごめ)きをそのなかに発動させる。

タリ、タルをへて、現代語のタ(=「た」)となる、という説明は、辞書、解説書、教科書などのすべてを覆う。私においても、タル、タッ、タというように変化した、と述べてきた。述べながら、そしてそうだ(賛成したい)とは思うものの、それでもなかなか腑に落ちない憾(うら)みがのこる。存続という「たり」が、時制とかかわらないはずだとすると、タル、タッ、タを経過するうちに、過去という時制を獲得してくるとはどういうことか。時制とかからわないのは「つ」だろう、とともに「あり」が時制を作り出す指標になっているのではないか。「たり」は「つ」とar-i(あり)との結合であるから、時制を獲得する契機は当初から潜む、という次第だ。
(同p.200)

うねうねした書き方だが、こう整理できるだろう。

「た」のもとには「たり」があり、「たり」のもとには「てあり」があるといわれる。この「てあり」は、時枝誠記によれば、接続助詞「て」と動詞「あり」の結合だ。しかし、「たり」は、助動辞「つ」に「ar-i(あり)」(藤井は「あり」を動詞ではなく「助動辞」と見る)が結びついたものなのである。そして、この起源の「つ」が重要なのだ。とはいうものの、冷静に考えて見ると、タリ、タル、タッ、タという、「た」の成立過程それ自体が「過去時制」を生み出す契機となっているわけではないようだ。なぜなら、「たり」は時制機能を持たない(その起源にある「つ」も同様)。また、それ以降の過程は音韻変化にすぎず、意味上・機能上の変化ではない。とすれば、「過去時制」の契機は、この変化のプロセスにあるのではない。「当初から」あったと考えるしかない。つまり、「完了」を表す「つ」(時制的には無標)と「現在時制」を表す「あり」が結合した時点において、「過去時制」はすでに宿っていたのだ。

「完了」と「現在時制」の結合がなぜ「過去時制」になるのか、これだけではわからないだろう。理由は、この章の前の前の章、つまり五章に書いてある。次の通りだ。

活用を持つ諸言語の場合、近代語の成立とともに、”完了”と”過去”との親近関係が生じると言われる。それには理由があると『言語学大辞典』「完了」項に説明される。話し手がある時点にいるとして、終わったばかりの行為は過去においては終わっているから、と。話し手の”現在”に立つなら、きわめて自然に出てくることだと説明される。私はけっして”自然に”と言いたくない。諸言語ごとの表現史の一こま一こまに衝突や苦闘があって、結果的に変遷史になる。

日本語で言えば、「たり」のなかに「つ」があると認めることによってのみ、その説明が成り立つ。「たり」が「た」になっても、「つ」の作用によって、”完了”と”過去”との親近性が保たれるのだ。
(同pp.138-139)

藤井は、『言語学大辞典』「完了」項の言い回しに軽くケチを付けてはいるが、基本的にはその内容を受け入れている。「”完了”」という意味合いが、「”現在”に立つなら」、「けっして”自然に”」ではないにせよ、「”過去”」という意味合いにつながると考えているのだ。ようするに、「完了」と「現在時制」の結合が「過去時制」を生み出すと。

これをさらに突き詰めれば、藤井においては、「完了」であることが「過去」であることの根拠になっているということになる。

これはとてもユニークな、面白い発想だと思う。その面白さを分かってもらうため、再度、熊倉千之『日本人の表現力と個性』から引いてみる。

ここで現代語の「た」について、文章の中のイメージのありようを考えてみる。助動詞「たり」から現代語の「た」ができたことは、「早く食べた、食べた」などと、人をせかすときの表現が、昔は「食べたり、食べたり」といっていたことからも知られる。「たり」は/te+ari/と分析されて、完了の助動詞「つ」の連用形に、存在詞の「あり」がついた形と考えられる。その意味は、「完了した動作・作用(つ)の主体が存在する(あり)」ということだろう。

それならば、ここでも発話時点で意味をもっているのは、「あり」という言葉で示される、動作・作用を完了した主体だ。従って、現代語の「た」は、本来、西欧語のような過去を過去として指示する機能をもつものではないということになる。
(熊倉千之『日本人の表現力と個性』pp.47-48)

読まれる通り、熊倉は、「た」には完了の「つ」が含まれているのだから、それは本来「過去」を表示しないと考えている。つまり、藤井と熊倉は、まったく同じ根拠に基づいて、真逆の結論を引き出しているわけだ。

ほかにも『国語の論理』の山口明穂、『英語にも主語はなかった』の金谷武洋が、熊倉と同様の考え方を見せている。多数決ではないので、だから熊倉が正しいとはもちろんいえない。それに実際、「”完了”と”過去”との親近関係」は、よく指摘される事実だ。

けれど、七章の終わり、文末の「た」の連続を回避する小説の書き方に触れ、「一本調子」を回避するため「非過去を十分に取り込んで、変化を求める書き方がなされるさまはよく注意されてきた通りだ」(p.205)と藤井がお茶を濁しているのには納得がいかない。これは恐らく「ル形」と「タ形」の混用のことをいっているはずだが、こうした混用が「めちゃくちゃ」だとか「日本語は時制に寛容」だとかいった特別な感情を伴わず可能であるのは、「た」が「過去時制」を表示していないことの証であるとしか考えられないからだ。

また、連体修飾節の「た」が「過去時制」を表示しない場合が見られることについて、「おなじ『た』が文中と文末とで位相を異にするとはおもしろい現象だ」(p.205)と「おもしろい」で済ませているのもかなり残念な感じだ。この「おもしろい」現象を、「た」が「過去時制」のマークではない理由として挙げる論者もいるのだ。「文中の『た』は『たり』の要素をのこして踏みとどまり、文末のそれは過去時制へと転出届けを出したという見通しである」(p.205)というが、なぜ「文中の『た』は『たり』の要素をのこして踏みとどま」ることができたのか。説明がいっさいない。紙幅が足りないということだろうか。でも、これでは、ものはいいよう、の域を出ていないのではないか。

藤井は、十三世紀に成立した(らしい)ある和歌に「こぞ来た道へまた向かふなり」とあるのを見て、

「た」が「こぞ(去年)」とともに使われているのだから、確実に過去を意味すると言える。
(藤井前掲p.197)

とも書いている。でも、この判断もおかしい。この論法でいくのなら、「明日雨が降ったら遠足は中止です」で、「た」が「明日」とともに使われているのだから確実に未来を意味すると言える、ともいえてしまうだろう。「『た』が『こぞ(去年)』とともに使われている」ことは、それが「完了」アスペクトの表示でしかないことと、まったく矛盾しない。「た」自体は、時制的に無色であって、未来時制を表示する文脈でも、過去時制を表示する文脈でも使えると考えた方が首尾一貫していると思う。

『日本語と時間』を読むと、その言葉づかいの端々から、藤井貞和が、現代語の「た」が「過去時制」であるということをアプリオリな前提にしているように感じられる。以下の見方は、その前提の前提として、あるはずだ。

「た」は今日、古代語「き」が消滅したからには、過去を担わざるを得ない助動辞として過重労働をしいられている。
(同p.189)

しかし、ある一語の消滅は、ぜったいに同じ品詞に属する他の語の「過重労働」によってカバーされなければならないものなのか。この問題は、古代語と現代語の関係を超え、諸言語間の関係、いわゆる翻訳の問題に重ね合わせることができるだろう。その意味で、「あとがき」で藤井の語る「〈き、けり、ぬ、つ、たり、り〉そして『けむ』、その他の助動辞、助辞のすべてを訳し分ける」「現代語を破壊してでも成り立たせる、過不足ない“研究語訳“(研究のための口訳)」が、どういう姿をとるのか、「すべてを訳し分ける」の実際(一対一対応をめざすということか?)と併せ、じつに気になる。ぜひとも実現して欲しい。

ところで藤井貞和は、見たように、「近代」において「過去時制を持つ文体が」「制覇をなし遂げた」(p.190)と主張しているわけだが、この「土壌」を「造成」したものとして、二葉亭四迷の翻訳『あひゞき』とその実作『浮雲』(の後半部)を挙げている。

日本語の文章における「過去形」の源流を『あひゞき』に求める考えは、藤井も書いている通り、「カセット効果」で有名な柳父章がすでに表明している。ただし柳父は、「過去形の翻訳文として『た』は成立したと見る」けれど、「『た』を過去と一概に認定しているわけではない」(p.198)。

時制という概念は、日本語の分析にそのまま持ち込むことはできないというのが柳父章の考えである。しかし、タ形の文末は、明らかに過去形の翻訳によって広まった。そこで柳父は、この過去形をカッコ付きで「過去形」と呼ぶ。それだけではない。柳父は、「現在形」にも「主語」にも「文」にも、次々カッコをつけていく。近代の日本語は原則「翻訳で作られた」というのが、その主張の眼目である。次回は、この柳父章のカッコ思想について検討する。柳父章の翻訳論のエッセンスは、『日本の翻訳論 アンソロジーと解題』の第一部で読むことができるが、この「日本における翻訳――その歴史的前提」と題された文章は――以前書いた書評でも触れたが――あまりにも大雑把すぎる。そこで、主に2004年刊行の『近代日本語の思想』の記述によって、柳父翻訳論、とりわけその「主語」の考え方を吟味してみようと思う。


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[注1]英語の原文は次の通り。

Behavioral science, the FBI section that deals with serial murder, is on the bottom floor of the Academy building at Quantico, half-buried in the earth. Clarice Starling reached it flushed after a fast walk from Hogan’s Alley on the firing range.

最初の文の動詞は現在形だが、仏語訳では半過去が使われていた。ここで問いたいのは、仏語訳で、この半過去の代わりに現在を使うことはできるのかということだ。

物語の導入部に直接法現在(と複合過去)が使われるのは、特筆すべきことではない。例えばスタンダールの『赤と黒』を見てみよう。この小説の第1章と第2章は、物語の舞台となるヴェリエールの町を、語り手の「私(je)」が「あなた/あなたがた(vous)」に紹介するという体裁をとっており、動詞の時制は現在が基調となっている(極めて少数の単純過去が混じるが)。しかし、第3章に入り物語が動き出すと、単純過去が支配する。

物語本体ではなく、いわゆる「枠」の部分で、現在時制はむしろ効果的でさえある。

これに鑑みていえば、『羊たちの沈黙』の最初の1行を、物語内在的な背景描写としてでなく、物語本体のメタレベルに位置する語り手の現在に位置付けることができれば、仏訳でも動詞を現在時制に置くことができるはずだ。しかし、訳者は半過去に置いた。恐らくこのわずか1行をもって物語の「枠」とみなすのは難しいと考えたのではないか。