暗いバス通り――保坂和志「こことよそ」論(6)

 

晦日、(中略)私は夜七時、駅から御成通り商店街を抜けてバス通りに出た、(中略)道は商店の明かりはなく街灯だけだから深夜のように暗い、(中略)笹目の停留所を過ぎると私はここを大学五年の元日、夕方六時すぎに家から駅に向かって逆向きに歩いていたのを思い出した、私はそのときまさに『異端者の悲しみ』を読んでいた、その記憶はすごくリアルで私は逆向きに歩きながら六十歳のいまを思い出しているようだった。

太字で強調した言葉を読んで、そこまで分かりにくいとは、だれもあまり感じないだろう。この言表では、分かりにくいことが分かりにくいのである。動作主に注意して、段落内を先立つ箇所から読んでくると、この言表において「その記憶」を「すごくリアル」に感じているのは、「六十歳」の「私」であると思われる。そして、「逆向きに歩」いているのは、「大学五年」の「私」であると思われる。では、続く「六十歳のいまを思い出しているようだった」のところで、このように「思い出しているよう」であるのは、二人の「私」のうち、どちらか。

わたしたちが分からなくなるのは、ここで、だ。そしてこの箇所で分かりにくさは、遡行的に、言表の全体に波及していくようだ。

ここで、思い出すという心的作業は、「逆向きに歩きながら」行われているわけであるから、逆向きに歩いているのが「大学五年」の「私」であるとすれば、「思い出している」のもそれと同じ、「大学五年」の「私」なのではないか。そう考えるのが素直だ。でもこの解釈は、意外な不都合を呼びこんでくる。というのも、この解釈では、「大学五年」の「私」が「六十歳のいま」の「私」のことを「思い出している」ということになってしまう。つまり過去の自分が、その時点から見て未来にあたる現在の自分のことを想起していることになってしまう。これはおかしい。わたしたちには、「思い出す」という言葉の定義を変えない限り、未来のことを思い出すことができないからだ。それでは、ここで「思い出しているよう」であるのは、「大学五年」の「私」ではなく、もう一方の「私」、つまり「六十歳」の「私」である、そう考えればいいのか。そうかもしれない。じじつ「その記憶」を「すごくリアル」に感じているのが「六十歳」の「私」なのであるとすれば、文脈上こちらの読み方にも一定の確からしさを認めることができる。けれど、この読み方をしても、それに伴う現実的な不都合を排除することは、やはりできないようだ。「六十歳のいま」の自分が「六十歳のいま」の自分のことを「思い出している」という状況を成立させる可能性はきわめて低い。

つまり「その記憶はすごくリアルで私は逆向きに歩きながら六十歳のいまを思い出しているようだった」の意味するところの解は、この言表の外部であるところの言語外現実に頼ることよっては、すんなりと導き出すことができない。見たように、二つある解釈のうち、どちらをとっても言語外現実の成り立ちに反することになってしまうからである。

ところで「思い出している」という表現は言い切りではない。助動詞「ようだ」を伴っている。いま、この「ようだ」を推定の意味にとっている。どうやら「六十歳のいまを思い出している」らしかった。そういう意味にとっているのである。しかしもちろん、この助動詞は喩の表現と見てもいいはずだ。その場合、意味はこうなるだろう。あたかも「六十歳のいまを思い出している」かのようだった。この喩の読み方に依拠すれば、言語外現実に反していることは解釈上、大きな問題となりえないのではないか。たしかにそうだ。しかし、これでも問題が消えうせるわけでないのは、先の場合とまったく同じだ。もし「思い出しているよう」であるのを「大学五年」の「私」とすれば、「その記憶」を「すごくリアル」に感じているのも、この「大学五年」の「私」ということになり、当初の解釈と齟齬を来たす。また、もし「思い出しているよう」であるのを「六十歳」の「私」とすれば、「逆向きに歩」いているのも、この「六十歳」の「私」ということになり、同じように当初の解釈と齟齬を来たす。つまり解は、文脈によっても導くことができない。どちらの解釈を選んでも、必ず言表内部のどこかに抵触してしまうからである。

この言表は、二つの解釈、二人の「私」のうち、どちらか一方が自己に対してすんなりと選ばれることに全身で抵抗している。そしてそのことを通じて、「六十歳」の「私」と「大学五年」の「私」、時を隔てた二つの存在者が区別できなくなるような現実を、その言語の体内に埋め込んでいる。そのような現実を、分かりにくく分かりにくいこの言表は、分けることができないというその異端的な分かりにくさにおいて、ひそかに体現しているのである。いったい作者はこの異様な現実の像、見慣れない、新しい現実の像を、どこから、どのようにつかみとってきたのだろうか。

このような問いを立てることに、どこまで、どのような意味があるのか、そのことさえ、いまのわたしたちにはもう、分からなくなっている。異様な現実をあらわす言語の背中に、それに相関した外部の実体を探ることは、すでに諦めている。言語の外部は、個々の文や、個々の文と作品の総体とが交わす交信の線が、網状に広がる構造が、事後的に、規約的に産み落とす虚の塊りだ。そういう立場にすでに立っているからである。それでも、谷崎潤一郎全集の月報に保坂和志が書いたエッセイ、「大晦日の異端者」の結びに次のような箇所のあることは、忘れずに指摘しておかなければならないことである。わたしたちのとる立場の揺らぐことがあるとすれば、それは、この箇所が作品の外部に存在していることによるほかないと思えるからである。

フロイトが「夢が願望充足であるとするなら、中年期以降になって若く貧しかった頃を夢に見るのはいかなる願望充足と考えればいいのか?」という問いを立てて、自分でそれに答えているが、私はむしろ今の自分の方こそ、考えのなかった二十代の自分が見ている夢かもしれない、いや、おまえはそうであることを望んでいるに違いない、あの年をまたがる、いつもよりずっと暗く閑散としたバス通りをあっちに向かって歩くうちにこっちに向かって歩いていたことに気づいていないのだ。

 

(続く)