暗いバス通り――保坂和志「こことよそ」論(2)

 

この作品は、話者の「私」が年の暮れ、「谷崎潤一郎全集の月報にエッセイを書いてほしいという依頼」を受けたという話で幕をあける。「エッセイの趣旨は作品論的なものでなく個人的な思い出のようなものということだったから『細雪』のことを書こうかと思った」。というのは、「私」にはむかし「和歌山の友達」のところに「一週間くらい」遊びに行って、その友達の家で「昼間ずーっと」『細雪』を読んで過ごしたという体験がある。いやじつはこの「ずーっと」というのは友達の見方であるにすぎず、「私」には「ずーっと」は言いすぎであるような気がしている。和歌山は白浜である。「私」はあちこちの温泉に足を運んだ。でも、「温泉に入ったことと『細雪』は何も結びつかない」。「だから書きようがない」。でも書きたい。「白浜での一週間はいつ思い出してもピチピチ魚がはねるようだ」。そのころは「バブルの真っ最中というか上昇期」で、みんな「気楽」にやっていた。社会全体が浮かれていた。そうだ、「私はたしかに『細雪』を昼間はずうっと読んでいた」。いやそうじゃない、「ずうっとといってもせいぜい三十分だろう」。そんなことより昼間の記憶は友達の「おふくろさん」が「私」に向かってずうっと喋り続けていたことのほうが鮮明だ。「おふくろさん」は、「あんた東京の人に見えないからこっちもしゃべるのにちっともよそ行きにならんでいいわと合い間合い間に入れてはしゃべりつづけた」。でも「おふくろさん」は谷崎と関係ない。この話も使えない。それで「私」は「『異端者の悲しみ』のことを書くことにした」。

逡巡する「私」の内面を模写するこの導入部から先、話者は、谷崎全集の月報エッセイに記された作者の言葉を切り刻み、小分けにしてから、小説のなかに、すこしずつ取り込んでいく。「私はいま月報に書いたことをほとんど丸写ししている」。こんなふうにたびたび断りを入れながらも、じつは話者は、じっさいには作者が月報に書いていないことまで書いてあることとして述べていくのだが、このような言葉は、その事実性にかかわりなく、話者と、話者にそのように述べることを許す作者の双方が、小説の立ち上がる場で、限界ちかくまで自由にふるまっているという印象を、読んでいるわたしたちに、強く与える。しかし、自由であるという印象は、じじつ自由であることと同じではない。つまり、このようなことを殊更に述べることによって、作者は、いまここに小説の自由が実現されているというふうに、わたしたち読者に感じさせようとしている、そのようにわたしたちには感じられるが、しかし、じじつ自由であるようには、感じられないのである。

「こことよそ」の言葉たちは、話者が月報の引き写しだと言い張る作業をやり遂げてからもなお、その「個人的な思い出」を、導入部と同じようなスタイルで表出していく。それは時系列や構成などお構いなしといったふうだ。でも、そのような言葉を読み進めながら、わたしたちは、やはりこの作品には何か軸のようなもの、芯のようなもの、まとまりのようなものがあると、感じることを、どうしてもやめることができない。「毎日が楽しすぎる」、「ウキウキしてきた」、「楽しくてしょうがない」、「明るい風景しかない」といった言葉がたびたび発せられ、そのことによって小説がすみずみまで肯定的な感情の色に染めあげられていく。こうした一貫した感情の色あいを背景に、冒頭に据えられた月報の原稿依頼を受けたという話、そのとき谷崎潤一郎の最初期の作品である『異端者の悲しみ』を読んでいたという話が、反復的に呼び出される。こうしたテーマの反復的な呼び出しには、どうやら「私」の記憶のネジを巻きなおすという役割が与えられているようだ。それはその都度、細かく分岐するいろいろな思い出を引き連れてくる。そうして次々と、こまかい、あらたな記述を生成し、小説を前へ、前へと進めていく。若い頃にかかわった映画の撮影のこと、書いた小説のこと、読んだ本のこと、聴いた曲のこと、見た夢のこと、テレビコマーシャルのこと、話者の記憶は、こんなふうにあらたによみがえるたくさんの記憶を巻き込みながら、徐々にはっきりと丸みを帯び、球体状に膨れ上がっていく。

このように膨れ上がる球体の、記憶の像を引き連れて前へ、前へと向かう作品で、文の独創的なおかしさは、その前進運動に抵抗を加える重石のように作用している。これが重石のようであるといえるのは、文の直上に作者の思いという名の言語の外部がのしかかっているからだ。わたしたち読者がそれをそのように受けとるからだ。この作品で最大の負荷を作っているのは作品劈頭にあらわれる独創的に読みにくい文だ。冒頭に引用した箇所もそのなかに含まれている。しかしじつはその後、この文ほど読みにくい文はあらわれない。おかしいといえばおかしいといえるくらいの文が続く。ふつうであれば句点を打つようなところに読点を打ったりもしている。このように句読点の使い方には癖がある。しかし、それはあまり妨げにならないようだ。だから作品を構成するそれぞれの文は、はじめ頭に載せられた重石をつぎつぎと後続の文に受け渡していく。そういう格好になる。重石は重いけれども小説の歩みを決定的に止めてしまうほどのものではない。小説は決定的に押しつぶされることなく、じりじりと進んでいく。こうした叙述の均衡が、でも次の条りで、がらり崩れる。

いまこうして他に選びようもなくなった人生とまったく別の、あの時点で人生は可能性の放射のように開け、死はその可能性を閉じさせられない…………私はあの時点の感触に何度書き直しても届かないからもう何度も何度もこのページを書き直してきた、今の私、死んだ尾崎、あのときの私、暴走族の気配を引きずっていた尾崎、これらの関係は書いても書いても固定する言葉がない、それは言葉の次元ではない。

 

(続く)

暗いバス通り――保坂和志「こことよそ」論

 

保坂和志の短編小説「こことよそ」は楕円形だ。独創的におかしな文が出てくる。保坂和志の作品に露骨におかしな文があらわれ始めたのが『未明の闘争』からだということをわたしたちは知っている。しかし、この長編に出てくる文のおかしさは、まだおとなしいものだった。「私は細身のその魔法ビンを持つと重みがある」、「このあいだ会った設計士は、廃屋に取り壊す前に入ったら猫の骨がいっぱいあった」、「ヒロシ君が言いたかったのは、晩秋に木の枝に卵を産みつけるカマキリは、これから積もる雪の量を予想して木の枝の位置を決めるのでなく、卵を産みつけるときカマキリはこれから積もる雪の中にすでにいる」、こういう感じのものが多かった。どれも係助詞の「は」のところで文がよじれている。こういう具合によじれてしまい、出だしと終わりのつじつまの合わなくなった文は平生よく目にするし、耳にもする。子供の作文にあらわれることも少なくないようだ。文法的に間違っているわけではない。むしろ論理関係、主述関係とは別の原理で文を成立させる日本語の自然律がここに鋭い形で露出しているのだと言える。つまり『未明の闘争』に散りばめられた数十を数えるこの種のよじれた文は、日本語の言語の内的自然が自らを抑えきれず、論理的な型枠を突き破るように噴出してしまった容態の、よくある逸脱と同型なのである。だからそれはおかしいはおかしいが、おかしさとしてありふれている。けれど「こことよそ」に装填された文のおかしさは、こういうものではない。

蛯ガ沢は申し訳程度とはいえ昼はホテルのベッドメイキングとか清掃とかメンテナンス全般を請け負う会社の蛯ガ沢はたしかもう社長だったかまだ専務だったかその仕事に出る

とっちらかっている。でたらめみたいだ。これは何を意味するのだろうか。こんなふうに考えることができるかもしれない。「こことよそ」の文に物凄くこじれているところ、とっちらかったところがあるのは、その文が文字どおりの意味で作者の思いつきで書かれていることを意味する。思いつきというのは自己の思いにつくこと、自己の思いに忠実であることを意味する。常軌を踏み外したようなこじれを見せる「こことよそ」の文には、作者の内面に湧きだした錯綜した思いが、そのまま忠実に反映されているのだ、こじれた作者の思いが、そのまま文のこじれとなってあらわれているのだ。

このような見方は、見やすいが、このように見たとき、とりわけこの作品については、何か大事なものを見落としているような気になるのを、わたしたちは抑えることができない。

このような見方は、まず文の自然と切り離された、思いの自然とでもいうべきものを設定する。そしてそのうえで、両者のあいだにひとつの対立関係を設定する。この対立関係は、文の自然を優先すれば思いは上手くすくえない、逆に思いの自然を優先すれば文がこじれるという形をとるものだ。こじれた保坂和志の文で、優先されているのは言うまでもなく後者、作者の思いである。そういう想定が、このような見方の内側で立ち上がっている。ほかにもある。ここには一個、作者の強い意志が働いていることが想定されるが、ここでその一個は、文の自然を捻じ曲げてでも思いの自然に忠実であろう、忠実でありたいという、作者であるひとの固い気持ちであると解釈されることになる。

けれど、そんなにも作者の思いという錯綜したものに忠実でありたいのならば、そして実際そうであるのならば、この作品全体の構えだって、もっと乱雑であっていいはずなのだ。いや、この作品全体の構えだって、乱雑は乱雑であるのだが、その乱雑であることに、なんだか揺るぎない感じ、どうにも動かせない感じが漂っているのである。それは一体なぜなのか。この問いは、文のこじれの背後に、ある一個の強い意志が働いているのはたしかだとして、その強い意志の背後に、それを強く意志することをゆるすか、うながすかしている、自己の思いに忠実であることに向けた意志とは別の何かが、もっと強く働いているのではないかという予感を引き出してくる。

 

(続く)

中動態の新たな神秘化――國分功一郎『中動態の世界:意志と責任の考古学』

かつて印欧語には「中動態」と呼ばれる態が存在した。この態が能動態と対立していた。しかしそれは今はもう失われてしまった。代わりに受動態が能動態に対立している。エミール・バンヴェニストが「動詞の能動態と中動態」で示したこのような見立てを基本的に受け入れた上で、能動と受動の区別に基づく思考のあり方を問題視する國分功一郎が本書で提出する仮説は次のようなものである。 

能動と受動の区別は能動態と受動態という文法上の区別が発生させている効果ではないだろうか? 能動と受動の区別が、かなり無理のある強引な区別であるのは、そもそもそれを発生させている能動態と受動態の区別が少しも普遍的ではなく、それどころか歴史上新しいものであるからではないだろうか? 歴史のある時点で、何らかの理由から能動と受動を対立させるパースペクティヴが言語のなかに導入されたが、その導入時の矛盾がこの区別の粗雑さに表れているのではないだろうか?

國分功一郎『中動態の世界──意志と責任の考古学』p.35、強調引用者)

 この仮説から、言語と思考の関係、あるいは言語の内部と言語の外部の関係をめぐり、作用方向の異なる二つの局面を切り出すことができるだろう。時間軸上に位置付けてみる。まず来るのは、「能動と受動を対立させるパースペクティヴが言語のなかに導入され」るという局面(①外部が内部に作用する局面)であり、次に来るのは、その導入された「パースペクティヴ」に対応する「能動態と受動態という文法上の区別」が、思考において「能動と受動の区別」を「発生させ」るという局面(②内部が外部に作用する局面)である。

前者①の局面で生じたことは、「受動態の台頭」(p.79)であるが、それは裏を返せば中動態の「抑圧」であるだろう。「中動態はあるときから抑圧された。能動態と受動態を対立させるパースペクティヴこそが、この抑圧の体制である」(p.195)。

この①の局面において中動態の「抑圧」と呼び得る事態が生じたという考え方を採用するにあたり、國分功一郎は「態」の概念にかかわるひとつの選択をしている。現代の英語に見られる「I am married to her.」(形式は受動、意味は能動)や「Your translation reads well.」(形式は能動、意味は受動)といった、意味と形式が齟齬を来たしているような構文を「中動態」と呼ぶことを頑なに拒んでいるのである。 

こうした構文の存在をもって「英語にも中動態がある」と主張してしまっては、中動態をめぐる諸問題には接近できなくなるということである。そのような主張には、ある時点での言語状態を取り上げて、それを一つの完結した体系として描き出すことができるとする言語観が透けて見える。言語を均衡のとれた体系としてみていると言ってもよい。

(p.194)

國分功一郎は「言語は不均衡な体系である」(p.195)と考えているのだ。それはいいのだが、ここでだれでも疑問に思うのは、「態」という限定されたテーマにおける見解の相違を、ただちに言語観の対立という大きな問題に結びつけるのは、いくらなんでも大袈裟すぎるのではないかということだろう。しかし、この見方は即座に否定されなければならない。國分功一郎はここで大袈裟であらざるをえないのである。なぜなら、態の概念をめぐる、このような選択がなされていなければ、中動態が消滅した、抑圧されたという本書の主張が成立しなくなるからである。拒絶の身振りの大きさは、この箇所において本書の根幹にかかわる大きな選択がなされていることを示していると考えることができる。

本書で國分功一郎は「態」を明示的に定義していない。しかし、「態という形態」(p.175、強調引用者)という言葉を書き付けているし、古典ギリシア語の教科書に記された中動態の説明中「主語の利害関心」という言葉が使われていることに関し、「このような定義困難な要素が動詞の形式的説明のなかに現れるのは奇妙なことだ」(p.79、強調引用者)といっている。また、「態に注目することでわれわれは、歴史を無視した意味論的分析を避け、言語の歴史に注目できるようになる」(p.37、強調引用者)という指摘もある。國分功一郎が「態」の判定において意味を考慮しないという立場をとっていること、それを純粋に形式的な概念とみていることは明らかであると思われる。英語の文についていえば、動詞が「be動詞+過去分詞」という形式をとっていれば受動態、そうでなければ能動態と考えている。したがって、「I am married to her.」は問答無用に受動態文であるし、「Your translation reads well.」は自動的に能動態文であると判定されることになる。

國分功一郎と逆に、このような英語の表現に「中動態」を見出す論者たちは、表現されていることの意味に着目し、その意味と形式との間に横たわる齟齬に注目することで、「中動態」の問題を探っていると考えられる。そして、このような中動態概念を採用する者にとっては、中動態は決して消滅などしていないし、抑圧などされていないということになるだろう。つまりこのような立場からいえば、國分功一郎が設定するような「中動態をめぐる諸問題」など、はじめから存在しないということになる。

態の概念についての國分功一郎の選択それ自体の当否、つまり態を形式上の概念と見るべきか、意味上の概念と見るべきか、といったことを問題にしたいわけではない(きっとどちらの定義にも一長一短があるに違いない)。問題にしたいのは、「態」を形式上の概念と見、「現代の英語には中動態は存在しない」(p.192)と言い切る國分功一郎の論述が、この選択によって、大きな矛盾を抱えることになってしまったということである。その矛盾は、日本語への言及に際して劇的な形で現れる。「インド=ヨーロッパ語には属さない日本語にも中動態として分類されるべき要素が存在し、しかもそれのたどった経緯がインド=ヨーロッパ諸語の場合と同じであった」(p.215)*1というのだ。つまり國分功一郎は、「動詞の機能も形態もインド=ヨーロッパ諸語とはずいぶんと異なる」(p.177)日本語と、当のインド=ヨーロッパ諸語との間に、中動態に関して「均衡」があることを認めている。「言語は不均衡な体系である」といい、その主張を足場にして「現代の英語には中動態は存在しない」と断言していた者が、そうしているのだ。しかも、日本語は「動詞の機能も形態もインド=ヨーロッパ諸語とはずいぶんと異なる」というのだから、この「均衡」は意味の次元にかかわるものと見なければならないだろう。しかし、國分功一郎は態を形式上の概念ととらえていたはずである。

矛盾はこれだけではない。「能動と受動の区別は能動態と受動態という文法上の区別が発生させている」という、最初に見た②の局面についても、それは指摘できる。國分功一郎は、「能動と受動の区別は、われわれの思考の奥深くで作用している」(p.32)としたうえで、次のように語っている。 

これはフランスの言語学者、エミール・バンヴェニストが指摘していることだが、ひとたび能動態と受動態を対立させる言語に慣れ親しんでしまうと、この区別は必須のように思われてくる。日本語の話者であっても事情は変わらない。この区別を知ってしまうと、行為は能動か受動かのいずれかであると思わずにはいられない。それ以外は思いつくことすら難しくなってしまう。

(p.34)

「日本語の話者であっても事情は変わらない」というが、バンヴェニストが念頭に置いている印欧諸語の話者と、日本語の話者では、事情は違うのではないか。それもまったく。たしかに能動/受動の区別は日本語の話者にあっても「思考の奥深くで作用している」といえるのかもしれない。しかし、日本語の話者は、印欧諸語の話者と同じ仕方で「能動態と受動態を対立させる言語に慣れ親しんで」いるわけではない。なぜなら日本語の話者は、「態には能動と受動の二つがあり、そしてその二つしかない」(p.33)ということを、國分功一郎自身が指摘するとおり「英文法などを通じて」(同)、あくまで知識として学ぶのであって、こうした態の二元対立に、日本語を用いた日々の言語活動を通じて、じかに触れているわけではないからだ。

よく指摘されることだが、日本語の「受身」と英語の「受動態」には意味論的な違いがある。英語の受動態は、例外はあるにせよ、ほぼ機械的に能動態と転換できる(どちらを採用するかは、主に語用論的な事情による)。だからこそ能動態と受動態は一対のものとして扱うことができる。しかし、日本語の受身文は、受身をとっていない文に対し、「迷惑」等、意味の次元の追加がある。また、日本語の「受身」は「れる・られる」によって表現されるが、この助動詞は「受身」以外にも「可能、自発、尊敬」などの意味を担っている。のみならず、「使役」を表す助動詞「せる・させる」と文中出現位置等、挙動に共通性がある。そのため、「態(voice)」概念を日本語に適用しようとすれば、「能動態」、「受動態」のほかにも、「可能態」、「尊敬態」、「使役態」といった態が避けがたく検討の視野に入ってくる。おそらく日本語における態は、「能動と受動の二つがあり、そしてその二つしかない」という形では組織できないし、組織されていない。少なくとも、日本語話者は、一般的に英語を習うまでは、能動態/受動態の対立を意識しない。にもかかわらず、「能動と受動の区別」が「われわれの思考の奥深くで作用している」のだとすれば、その作用因を文法に求めることはできないだろう。

このように、國分功一郎の論述は、彼が「中動態をめぐる諸問題」と呼ぶものを印欧諸語を超えて日本語の圏域にも適用しようとするとき、大きな矛盾を露呈する。

ところで國分功一郎は、「能動態と受動態の対立を大前提としたうえで、それに収まらない第三項として中動態を取り上げるやり方」を批判している。なぜかといえば、「それがこの態を、不必要に特別扱いすることにつながるからである。それはしばしば神秘化の様相を呈する。特に哲学においてこの傾向は著しい」(p.76)。この指摘には次のような註が付けられている。 

ロラン・バルトバンヴェニストのすぐれた理解者であり、彼の中動態論を正確に把握しながら「書くは自動詞か?」(1966年)という一種の中動態論を展開している(中略)。ただ、バルトの記述が中動態の比喩的な理解、「能動でも受動でもない中動」という理解への道を開く可能性をもっていたことも確かで、たとえばヘイドン・ホワイトはそのホロコースト論のなかで、ロラン・バルトのこの講演原稿だけを読んで中動態を論じ、「旧来の表象様式では適切に表象することができない」ホロコーストを表象する鍵をそこに見出しているが、これは単にホワイトが、バンヴェニスト等々の言語学者達の論文を読むのを面倒がって省いたがために得られた結論に過ぎない(中略)。

(pp.317-318)

理解に苦しむ。ロラン・バルトが「バンヴェニストのすぐれた理解者であり、彼の中動態論を正確に把握」していたというのであれば、そのバルトの書いた「書くは自動詞か?」を読んだヘイドン・ホワイトによる中動態の「神秘化」の責任を、バルトその人に負わせることはできないのではないか。ヘイドン・ホワイトが中動態に関するバルトの記述を読み、この態に対して勝手に過大な期待を抱いたに過ぎないと考えるのが筋だろう。それに「比喩的な理解」が悪いとも思えない。「比喩的な理解」はただちに「神秘化」であるとはいえないからである。

ヘイドン・ホワイトがホロコーストの表象と中動態を結び付ける報告(「歴史のプロット化と真実の問題」、ソール・フリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』所収)を行ったのは1990年だが、その著書『実用的な過去』の日本語訳に付された上村忠男の解説によれば、1992年に発表された論考「中動態で書く(Writing in the Middle Voice)」においては「中動態にかんするバンヴェニストの分析も主題的に取りあげられている」(『実用的な過去』p.267)ようである*2。もっとも1990年の報告の時点では、國分功一郎のいうとおり、読んでいなかったのかもしれない。しかし、バンヴェニストの論文を読んでいたか、いなかったかというようなことは、本来どうでもいいことである。ヘイドン・ホワイトは、「バンヴェニストのすぐれた理解者であり、彼の中動態論を正確に把握」していたバルトの論考を読んでいたのだから。

『実用的な過去』の第5章「歴史的言述と文学理論」、そして日本語訳の付録「歴史的真実、違和、不信」は、いずれもザウル・フリートレンダー(ソール・フリードランダー)の『絶滅の歳月』(翻訳が待たれる)について論じている。この二つの文章では、ヘイドン・ホワイトが「中動態」という言葉をどのような水準で使っているのか、その言語的身分が、1990年の報告よりも見えやすくなっている。「歴史的言述と文学理論」には次のようなくだりがある。 

わたしたちのうちには、単一あるいは数少ない道筋をもつものとしてホロコーストを記述することによって、それを片づけてしまおうとする衝動がある。それは(中略)その出来事を「すでに終わったこと」としてラベルを貼って棚上げするのを可能にしてくれる(中略)。この衝動に抵抗するナレーションにフリートレンダーは成功している。そして、その成功は、モダニズム小説に典型的なもろもろの工夫によって達成されているのだ。

そのような工夫のひとつは「声」である。(中略)フリートレンダーは、自分が報告しているさまざまな行動の「外」にいる(客観的な観察者)とともに、報告する際の言述の「外」にもいる(客観的な判事)ような、全知の語り手の口調をとることを注意深く避けている。反対に、彼はロラン・バルトが(エミール・バンヴェニストにならって)「中動態的なあり方」と呼んでいるもののあり方をとって、書記行為の内部にいる。(中略)言い換えるなら、彼はホロコーストが起こりつつあったときにその内部から書いていた日記の作者や目撃証言者や生存者たちに場を譲ることができるようなかたちで、表象行為の「内部」にいるのである。

(ヘイドン・ホワイト『実用的な過去』pp.135-136、強調引用者)

ヘイドン・ホワイトは「中動態(middle voice)」という言葉に「中間の声(middle voice)」の響きを聴き取っている。ここにはたしかに「比喩的な」思考が働いているといっていいだろう。しかし、この「middle」は能動と受動の「中間」という意味ではない。出来事の「最中」という意味である。つまりヘイドン・ホワイトは、ここでたしかに「比喩的」に考えているのだが、その比喩の形は、國分功一郎がバルトに責任を負わせる「能動でも受動でもない中動」という形とは明らかに異なっている。その比喩はむしろバンヴェニストの「内態(diathèse interne)」概念――「中動態では(中略)主語が過程の内部にある」(「動詞の能動態と中動態」、拙訳)――をきちんと踏まえたうえで形作られているとさえいえるだろう*3

他方、「歴史的真実、違和、不信」においては、次のようにいっている。 

彼[=フリートレンダー]の語りの様式は、「中動態」によるものである。それは、語り手が能動態も受動態も展開することなく、書くという行為そのものの内部にみずからを置く語り方(あるいはいまの場合には書き方)である。

(同前p.176)

ここで確認できるのは、「中動態」のみならず、「能動態」、「受動態」という言葉からしてすでに、厳密な文法用語としてではなく、比喩として使われているということである(文字通り受け取ること――「能動態」も「受動態」も使わずに語ること――は不可能である)。つまり、ヘイドン・ホワイトは、本来文レベルに適用されるべき文法概念を、比喩化のうえ、語りのレベルに適用しているということである*4。これは自覚的な身振りだ。『実用的な過去』の第2章「真実と環境」で、「様態(mode)」に関し、こう述べている。「様態の観念を個々の文章から言述全体にまで拡大する」。 

様態の観念を個々の文章から言述全体にまで拡大するなら、小説、演劇、歴史、さらには(場合によっては)哲学的言述までもが、事実に関する言明から平叙文の力を奪い去るような多種多様な様態でつくりあげられることがあると考えることもできる。(中略)歴史小説も小説ふうの歴史も、非平叙文的な言述の例である。それらの真実は、事実という意味での真実を語るとそれらが確言している(assert)もののなかにあるのではなく、文法的には他の叙法や態に分類されるもの――疑問、動能・意欲(conation)ないし共働・相互作用(coaction)、仮定の叙法や、能動、受動、転移のなど――のなかでそれらが暗示している(connote)もののうちにあるのである。

(同前pp.50-51、強調は原文では傍点)

ヘイドン・ホワイトは、1990年の報告「歴史のプロット化と真実の問題」で、文学的モダニズム*5。をリアリズムの一変奏と見なしている。モダニズムはリアリズムに背馳するものではなく、19世紀リアリズムの表象様式では表象できない新たな現実を表象するための新たなリアリズムであるというのである。彼は、こうしたモダニズムの文学作品に特徴的な技法や文体を、ロラン・バルトジャック・デリダ両名のテクストから抜き出した「中動態」という言葉に結び付ける*6。この「中動態」と呼ばれるモダニズム的表象様式によってこそ、ホロコーストという新しい種類の現実、これまで「言語の外部に横たわっている」ともいわれてきた出来事を正しく表象することができるのではないか。このように問うヘイドン・ホワイトの思考には、たしかに「中動態」の「神秘化」と呼べるような機制が働いているといっていいのかもしれない。しかし、もしこれを「中動態」の「神秘化」と呼べるとすれば、次のような議論の立て方も、やはり「中動態」の「神秘化」と呼べるように思われる。 

サンスクリット語ギリシア語とは異なり、ラテン語は中動態をすでに失っている。ところがラテン語には、「形式所相動詞」と呼ばれる不思議な動詞のグループがある。

これは一般的には教科書などで、「形としては受動態だが、意味は能動」と説明される動詞で、かなりの数が存在している。(中略)

インド=ヨーロッパ語の歴史を踏まえれば、形式所相動詞がもともと、中動態のみをとる動詞であったことが分かる。(中略)

(中略)これら形式所相動詞の存在はきわめて重要である。中動態のみをとる動詞があり、また、中動態が態として消滅した後もそれらが特殊な動詞グループを形成していたということは、中動態によってしか表せない観念があることを意味しているからである。

國分功一郎『中動態の世界』pp.85-86、強調は原文では傍点)

このくだりで國分功一郎は、かつて中動態のみをとる動詞によって表されていた観念が、中動態消滅後、形式所相動詞(deponentia)によって表されるようになったと述べている。だとすれば、そこから引き出すべきは、引用部末尾の主張と逆に、「中動態によってしか表せない観念など存在しないという結論なのではないか。なぜならその観念は「形式所相動詞」に受け継がれ、ラテン語に「かなりの数が存在している」その群の動詞によって表されていたのだから*7

「中動態をもつ言語が、中動態でしか指し示せない観念を有していたことはむしろ当然である」(p.46)。國分功一郎は、そのようにも語っている。しかし、「中動態」という形態を持たない言語が、「中動態をもつ言語」においては「中動態でしか指し示せない観念」を、それとは別の形態で指し示すことができるというのも、前者の言語が後者の言語と同じ資格で言語である限り、「当然」といえるのではないか。

さらに國分功一郎は、「中動態」という言葉そのものにこだわりを見せている。その理由は本書から二つ剔出できる。ひとつは、「中動態」という言葉に付着した「誤解の歴史」を忘れないために、この言葉を使い続けなければならないというものである。「『内態と外態』というクリアーな分類を受け入れて分かった気になってはならない。そのクリアーな分類を受け入れて満足することは、中動態の歴史を考えまいとすることである」(p.97)。ここで「中動態」という言葉には、ある種の倫理を体現する象徴としての役割が与えられている。そしてもうひとつは、より本質的な理由である。こちらでは、「中動態」という言葉が、思考の可能性を左右する重要な概念とみなされている。たとえば「カツアゲ」を受けて仕方なく金銭を差し出すというような、「強制はないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している、そうした事態は(中略)日常にありふれている」(p.158、強調は原文では傍点)。ところが、たとえばハンナ・アレントは、こうしたありふれた事態、すなわち「非自発的同意」と呼ぶべきこの事態を「うまく位置づけられない」(p.163)。それは彼女が、「自発か強制かという図式」(同)、すなわち「能動と受動を対立させる図式」(同)でものを考えているからである。そしてそれは彼女が、「能動態と受動態を対立させる言語のなかで思考」(p.164)しているからである。國分功一郎は次のようにいう。 

「中動態」という用語なしでは、あるいはそれに相当する言葉がなくては、能動態と受動態を対立させる言語のなかで思考する者は、これをなかなかうまく理解できない。

(p.164)

しかし、すでに見たとおり、日本語は「能動態と受動態を対立させる言語」ではない。つまり、最初に見た言語と思考の関係をめぐる二つの局面でいえば、日本語においては「能動と受動を対立させるパースペクティヴが言語のなかに導入され」ておらず、したがって「能動と受動の区別」は「能動態と受動態という文法上の区別」の「効果」としてあるわけではない。だから、本書の主たる読者層であるはずの日本語話者が、その「思考の奥深くで作用している」という「能動と受動の区別」から脱却するのに、わざわざ「能動態と中動態というパースペクティヴ」を経由する必要、「中動態」という用語ないし文法概念に頼る必要があるとは思えない。それは余計な遠回りでしかないだろう。日本語話者は、「強制はないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している」という状況について直接的に考えることができる。こうした思考を妨げるような言語的条件のもとには置かれていないからだ。「中動態」は必要ない。

本書『中動態の世界──意志と責任の考古学』において、國分功一郎は、ハンナ・アレントやジャン=ピエール・ヴェルナンらの諸説を踏まえ、能動態/中動態の対立が残っていた古代ギリシアに「意志」概念が欠けていたこと、逆に能動態/受動態の対立において「意志」概念がせり出してくることに注目している。すなわち、①の局面における「抑圧の体制」と、この「意志」概念(そしてそれに連座する「責任」概念)の発生との間に「何らかの関係」(p.122)のあることを疑っている。これは興味深い話である。しかし、印欧諸語の「中動態」概念を日本語の環境にそのまま適用しようと試みるとき、國分功一郎の論述には常にほころびが顔を出す。つまり國分功一郎は、「中動態の世界」と「意志と責任の考古学」との間に彼が見て取る「何らかの関係」について論じる本書が日本語で書かれていることの正当性の確保に失敗している。たとえば彼はこの態を形式的な概念とみなしているが、日本語への適用に際しては、これを暗黙裡に意味的な概念として扱っている。しかし、彼はそのことについて明示的に言及しない。彼にはそれができない。なぜなら、意味論的な中動態概念は、中動態は抑圧され、消滅したという主張と相容れないからである。そしてさらに、「中動態によってしか表せない観念がある」、「中動態」という言葉がなければ「うまく理解できない」ことがある、それなのに中動態は消滅してしまったという、彼が「中動態」に付与する神秘性の一角がこれにより崩れてしまうからである。

 

※関連するエントリ:

●「ベンヤミンの中動態、ヘイドン・ホワイトの誤解 - 翻訳論その他
●「内包と外延――写真と俳句のシステム論的素描 - 翻訳論その他」:最後のあたりで田中純『過去に触れる──歴史経験・写真・サスペンス』に触れています。
●「哲学の欺瞞性――國分功一郎『暇と退屈の倫理学』から考える - 翻訳論その他」:この記事では、退屈の三つの形式を、それを表現するドイツ語の文法形式にアクセントを置いて整理しています。中に次のようなくだりがあります。

ここでもやはり、退屈の表現の文法形式がヒントになる。「Sichlangweilen bei etwas」。第一形式で、退屈は受動態をとっていた。しかし、第二形式の退屈は、ご覧の通り中動態(再帰動詞)をとっている。何かに際して、おのずから退屈するということだ。退屈の誘因は、自己の外側ではなく、内側にある。退屈は退屈主の内側から、こんこんと湧き出しているのである。そのことが、この文法形式を通じて、正確に言い表されている。

 退屈の第二形式に対応する表現を「中動態」と呼んでいますが、これは國分氏本人がそうしているわけではなく、私の勝手な当てはめにすぎません。國分氏は「Sichlangweilen bei etwas」のような再帰動詞を用いた表現は「中動態」と呼べないと考えています。

*1:この考えは細江逸記「我が國語の動詞の相(Voice)を論じ、動詞の活用形式の分岐するに至りし原理の一端に及ぶ」に基づく。

*2:ヘイドン・ホワイトの「中動態で書く」については、石井康史「道化の言説と生存の政治学――ミドル・ヴォイス・ディスコースの理論化にむけて」(「ルプレザンタシオン」第5号)に手稿段階の内容に触れた記述がある。

*3:ヘイドン・ホワイトにとって、「中動態」とは、出来事が起きているその最中に叫びや囁きとして現出する単独者の声だ。「中動態」で語ること、それは出来事の「過程」の中に身を移し、こうした単独者たちのあげる声にからだごと同化することだ。この「過程」は、態という概念が思考される場である動詞過程(procès)がそうであるように、現実の、客観的な時間の流れから切断された、点括的(ponctuel)な相のもとにある。「フリートレンダーの課題とは、事実とその意味についての一貫した、しかしながら単線的ではない記述を提供することであった。(中略)しかし、書くという行為は必然的に単線的なかたちをとることになってしまう。そのため、彼は読者の注意をナレーションの時間的な『前と後』の軸から、言述の『表面と深部』の軸へと向かわせるやり方を見いださなければならなかった」(『実用的な過去』p.179)。『絶滅の歳月』では、「出来事は時間によって整序されてはいない」し「『プロット化』されていない」(同p.185)。こうした線条的時間からの離脱と出来事の内部への志向が、ホワイトの論述では、モーダルなものへの志向と絡み合っている。「フリートレンダーのテクストは様態的(modal)」(同p.186、強調は原文では傍点、次も同じ)である。つまり「指示対象(『ナチス・ドイツ』と『ユダヤ人』)を概念的ないし範疇的に特徴づけることよりも、人物や場所や出来事を『世界への強度』の感じ(フィーリング)や、ムード、雰囲気、『気分』で比喩化すること」を狙っている。それはフリートレンダーがホロコーストという出来事の過剰性に伴う「違和」と「不信」(同p.174)の二つの感情を読者のうちに生み出したいと考えているからだ――。このように語るヘイドン・ホワイトの思考は、『過去に触れる――歴史経験・写真・サスペンス』の田中純のそれと重なる部分が少なくない。両者はともにW・G・ゼーバルトアウステルリッツ』を論じている。しかし、両者の間には本質的な相違が横たわっている。田中純において「過去」は、「違和」や「不信」ではなく、「希望」に満たされるべきものとしてある。「『過去に触れる』とは(中略)強度の経験であって、それが雰囲気や情感、気配といったものとして、全身の身体感覚によって情動をともなって受容され、さらに複数の感覚が同時に励起された多感覚・共感覚状態をもたらす」(p.493)。しかしそれは「主体が何らかのかたちで危機に直面するところにしか到来しない」(同)。またしかし、「『過去に触れる』ときに吹く風は、希望の約束を秘めている」(p.499)。

*4:文レベルの言語学的概念を隠喩として言述のレベルに適用するというやり方は、やはり「書くは自動詞か?」でロラン・バルトが表明している方法論にならったものだろう。「言説は、単なる文の総和ではなく、もしこう言ってよければ、それ自体、一個の大きな文である。まさにこの作業仮説に従って、私はあるいくつかの言語範疇と、作家が自己のエクリチュールに対してとる立場とを比較検討してみたいと思う。この比較検討には証明能力がなく、目下のところその価値は、もっぱら隠喩的なものにとどまっている、ということを私は隠すつもりはない。しかしまた隠喩は、おそらく、ここで問題になっている対象の次元においては、われわれが考える以上に方法論的な存在であり、発見を助ける力となるのである」(「書くは自動詞か?」『言語のざわめき』pp.23-24、強調引用者)。とはいうものの、バルトは「書く(écrire)」という動詞の態のあり方については、隠喩ではなく、正しく言語学的な観点から考察している。それでも、ヘイドン・ホワイトによる「比喩的な理解」の萌芽がバルトのこのテクストに――國分功一郎の指摘する箇所・形とは異なるが――あったというのは、そのとおりなのかもしれない。なお蓮實重彦は、「文の構造」と「作品の構造」に「相同性」を見出すこうしたバルト(そしてジェラール・ジュネット)の姿勢を『ボヴァリー夫人論』で批判している。

*5::ヘイドン・ホワイトは、『実用的な過去』において、ジョイス、パウンド、T・S・エリオットガートルード・スタインプルーストカフカヴァージニア・ウルフ、それにコンラッドとジッドをモダニズム作家として挙げている(p.8、p.26)

*6:ヘイドン・ホワイトがバルトの中動態論に注目したのは、ベレル・ラングが自著の序文で「ホロコーストにかんする反省によってもちあがった哲学的および理論的な諸論点を議論するのにふさわしい言述のモデル」(『アウシュヴィッツと表象の限界』p.77)として、ロラン・バルトに由来する(とラングのいう)「自動詞的記述」という概念を取り上げたことに示唆を受けたものである。ホワイトは、このラングの考えに対し、二点修正を加える。ひとつはこうである。ベレル・ラングは、ホロコーストは「『直写的な』(literal)やりかたによってのみ語ることがゆるされるような種類の事件」(同p.71)なのであり、比喩的な、すなわち文学的な記述を一切受け付けるものではないとしている。しかしバルトが「自動詞的記述」という概念を用いたのは、モダニズム文学のエクリチュールについて説明するためなのである。そのことをラングは忘れている。つまり、ホロコーストは文学的記述によっては表象できないというわけではなく、特定の文学的記述によっては表象できないということにすぎないのではないか。ホワイトはそう主張している。もうひとつの修正は、こうである。ベレル・ラングのいうとおり、「ホロコーストとそれの体験を表象する最良の方法は(中略)『自動詞的記述』によるもの」(同pp.86-87)であると考えられる。「しかしまた、そのさいにわたしたちがかんがえてみてよいかもしれないのは、自動詞的記述ということでわたしたちが理解すべきであるのはその事件にたいする中動態によって表現されるような関係に似たなにものかであろうということなのである」(同)。つまり、バルトが「自動詞的記述」という言葉で指しているものは、むしろ「中動態」による表現とでもいうべきものだとヘイドン・ホワイトは指摘している。上村忠男は、『実用的な過去』の「監訳者解説」で、中動態をめぐるヘイドン・ホワイトの発言は「一部で誤解されている」といい、「ロラン・バルトの一九六六年の講演原稿『書くは自動詞か』に登場する『自動詞的記述』」と「中動態の意識的採用」を「同等視」する読み方を批判している(『実用的な過去』pp.250-251)。しかし、ヘイドン・ホワイトは、「自動詞的記述」をよりよく特徴づけるものとして「中動態」という言葉を持ち出しているのであり、その論述の文脈においては、「自動詞的記述」と「中動態の意識的採用」を「同等視」している、ないし指示対象レベルで同一視しているのはたしかだと思われる(いずれにせよ、「書くは自動詞か?」の中で、ロラン・バルトは、ベレル・ラングのいうような意味での「自動詞的記述」――「intransitive writing / écriture intransitive」だろうか?――などという概念の話はしていない)。

*7:形式所相動詞(deponentia)を「態」のひとつとみなす考え方も存在する。ジャン・コラール『ラテン文法』p.65参照。なお、コラールは、形式所相動詞が「ロマン諸語では消失した」としているが、これは「むろん形態論的にみての話」であると正当な注釈を加えている。その消失は「同様の意味を表現するべつの文法形態が発達する」(同p.66)ことによってカバーされることになるだろう。