2019-05-07から1日間の記事一覧

暗いバス通り――保坂和志「こことよそ」論(3)

作品はこの段落で閉じられている。ここに出てくる「死んだ尾崎」というのは話者の「私」が「二十代の前半に関わっていた映画の仲間」の一人で、かつて「横須賀の暴走族のアタマだった」と語られる人物だ。映画の撮影があった一九八〇年、何度か「私」と道で…