音声中心主義と日本語

 

吉森佳奈子「「日本紀」による注――『河海抄』と契沖・真淵」も注意を促すところだが、本居宣長源氏物語玉の小櫛』五の巻に次の記載がある。

花やかなる

河海に、声花(ハナヤカ)[白氏文集]とあり、すべて此物語のうち、詞の注に、かやうにからぶみ又は日本紀などの文字を引れたることおほし、それが中に、まれにはあたれるも有て、一ツの心得にはなるべきもあれども、おほくはあたりがたくして、みだりなることもおほし、さればひたぶるに注のもじにすがる時は、詞の意を誤ること也、大かたいづれいづれも、注の文字にはよるべからず、こゝの声花も、白氏文集にては、はなやかとよみて、かなふべけれども、然りとて、はなやかを、声花の意とのみ心得ては、いたく違ふべし、されば声花をはなやかとは訓(ヨム)べけれども、はなやかを、声花とは心得べきにあらず、おほかたいづれの調の注も、此わきまへ有べきなり、

『河海抄』は白氏文集から「声花(ハナヤカ)」を取り出し注釈に代えているけれど、「はなやか」を「声花」の意味で理解しようとすることはできないだろうというのが宣長の考えだ。「ひたぶるに注のもじにすがる時は、詞の意を誤ること也」というのである。『河海抄』についてはすでに一の巻の「注釈」のところに「語の注などには、殊にひがごとのみおほくして、用ひがたし」とある。源氏の和語を和語として読まず、その背後に漢字を透かし見るなど「国学者宣長にとっては倒錯の極みといえるものであったろう。しかし倒錯ならば宣長にもあったというべきだ。またその倒錯のかたちは講書博士らの意識のありようと同型であったともいわなければならない。「かならずしも字のとおりにはよまないとして『倭語』をもとめる」(神野志隆光『漢字テキストとしての古事記』)ということである。近世国学と、私記の学風との類似性については、訓詁学的という観点から太田晶二郎が指摘している。その指摘は中国儒学と日本の学問とのあいだに並行関係を見いだすものである。大意を取れば、講書の博士・尚復らが漢唐訓詁学の影響下にあったのと同様、国学者もまた、宋学への反動として訓詁への復帰を説いた考証学の影響下にあるはずであり、ゆえに両者は似ているのだというのである。関晃が批判的に取り上げているところだ*1国学考証学に通じる実証主義的な側面があったことは無論否定しがたいにせよ、とりわけ宣長についていえば、それはあくまで取るに足らない一側面にすぎず、むしろ実証の正道を踏み外していく動きにおいてこそ、その本質が強く深く宿っているのであり、そうした逸脱の運動においてこそ、講書の姿勢との共通性を見ておくほうがいいと思える。

宣長がこうした倒錯に打って出たのは、いわずとしれた古事記の漢字に対してである。古事記伝一之巻「訓法の事」で「殊に字には拘(カカ)はるまじく」と書いている。「本居宣長にとって、『古事記』をよむのは、漢字の覆いを取り去って元来の『古語』『古伝』をあらわしだすことをめざすものでした」(神野志前掲)。「文字を文字どおりに受け取らない」という講書の姿勢は和語を求めることであり、和語は文字以前のものであって音声であるしかないから、この志向を「音声中心主義」と呼べるとすれば、村井紀(『文字の抑圧――国学イデオロギーの成立』)などがそう呼んでいるように、たしかに宣長について、ひいては国学全般について、ある面において「音声中心主義」があったといって、ぜんぜん構わないのではないかと思える。これはありふれた見方だ。

西欧の音声中心主義の背景であり前提であるところの音声と文字との対立の土台となる平面が日本語の圏域には欠片も見うけられないという事実については、「文字中心主義」について検討する段で触れることになるはずだが、国学の「音声中心主義」という場合にも、同じことが当てはまるとして、さして不都合はないようである。しかし少し詳しく見ていくと、西欧型音声中心主義との要素面の違いが、また別な形で二三はっきりと浮かび上がってくるようでもある。小林秀雄は、『古事記伝』においては「訓法の一番難しい、微妙な個所となると、いつも断案が下されている」といっている。

宣長が「古言のふり」とか「古言の調(シラベ)」とか呼んだところは、観察され、実証された資料を、凡て寄せ集めてみたところで、その姿が現ずるというものではあるまい。「訓法(ヨミザマ)の事」は、「古事記伝」の土台であり、宣長の努力の集中したところだが、彼が、「古言のふり」を知ったという事には、古い言い方で、実証が終るところに、内証が熟したとでも言うのが適切なものがあったと見るべきで、これは勿論修正など利くものではない。「古言」は発見されたかも知れないが、「古言のふり」は、むしろ発明されたと言った方がよい。

小林秀雄本居宣長』)

この「断案」、「発明」の実際がどういう具合であったかを見るのに、小林は、笹月清美本居宣長の研究』を参照しつつ、景行天皇の巻、倭建命の挿話に対する宣長の注解をやや長めに引いている。宣長が「いといと悲哀しとも悲哀き御語にざりける」としている箇所である。天皇に命じられた西征を終えて帰京するや、今度は東征を命じられた倭建命が、叔母の倭比売命に心情を打ち明ける。宣長は、その嘆きの言葉に含まれる文字列「天皇既所以思吾死乎」を「天皇早く吾れを死ねとや思ほすらむ」(天皇は私なんかさっさと死んでしまえとお思いなのか)と訓むべきだとし、また、その少し先「猶所思看吾既死焉」とあるところ、これを「猶吾れはやく死ねと思ほし看すなりけり」(やはり私なんかさっさと死んでしまえとお思いであったのだ)と訓むべきだとする。前者の訓みで問題とされているのは、「以」の位置に誤りがあるのではないかということである。「天皇所以思吾死乎」ではなく「天皇所思以吾死乎」が正しい。つまり宣長は「所以」を取り出さない。このあたり解釈が割れているところで、宣長の訓みは西郷信綱古事記注釈』において疑問視されており、また、その西郷らの「通説的な読み方」を構文解釈上「不適切」とする山口佳紀・神野志隆光(新編日本古典文学全集)の訓みとも違っている。「通説」ならびに山口・神野志の考えでは「所以」が維持されている。対して宣長の考え方ではこれが解体される。「所以」を「ユヱ」と訓めば「穏(オダヤカ)」ではないし、またすぐ下に「所思」とあるのだから、それに照らしてここも「所思」であるべきだというのである。「ユヱ」が穏当ではないというのについては、その神野志隆光の『本居宣長古事記伝」を読む』にわかりやすい解説がある。「所以」は、あることの原因・理由をその下に導く構文を作るものだから、その上に来るものを事実として認定することになる。つまり「所以」を「ユエ」と訓む場合、「天皇が私なんかさっさと死ねと思っているその理由は」云々、といっていることになり、これは天皇がそのような考えを抱いているということを既定の事実と見ていることになるわけで、たしかに「穏(オダヤカ)」ではない。

他方「猶所思看吾既死焉」の訓みに関する指摘は、単に「思ほし看す」ではなく、下に「なりけり」と付け加える必要があるということである。これは前の箇所の解釈の延長線上にあるもので、「早く吾れを死ねとや思ほすらむ」という疑念がここに至り確信に変わったという表現なのであり、そうであるならば、「なりけり」という言葉がおのずから現れ出てくるというものである。

ここに明らかなように、訓は、倭建命の心中を思い度るところから、定まってくる。「いといと悲哀しとも悲哀き」と思っていると、「なりけり」と読み添えねばならぬという内心の声が、聞こえて来るらしい。そう訓むのが正しいという証拠が、外部に見附かったわけではない。

(小林同前)

笹月は、この「内心の声」について、こう考えている。宣長は「古事記の内的生命、文字の底に流動している生命そのもの」に先導されていた。こうした「生命の把握は詳細な実証的研究と漢籍訓、後世訓及び先哲の説に対する批判とによってなされるのであるが、究極的には直接の感得によるの外はない」。「実証」から「内証」、「内証」から「断案」へと至るその道筋は、『本居宣長古事記伝』を読む』の中でも幾度となく辿られている。ここではひとつだけ例を借りる。伊邪那岐命伊邪那美命が交わるところで三度出てくる「不良」の訓みとして、宣長は、「ヨカラズ」「サガナシ」「フサハズ」の三つのそれぞれについて、宣命や私記等いくつもの古文献にあたり、いずれの訓みにも可能性のあることを認めながらも、結局最後には「なほ布佐波受(フサハズ)と訓むぞまさりて聞ゆる」。「直接の感得」で決めているのだ。

先ず、文の「調」とか「勢」とか「さま」とか呼ばれる全体的なものの直知があり、そこから部分的なものへの働きが現れる。「調」は完全な形で感じられているのだから、「云々とのみ訓みては、何とかやことたらはぬこゝちすれば」という事になる。理由ははっきり説明出来ぬし、説明する必要もない、「何とかやことたらはぬこゝち」がすれば充分なので、訓の断定は、遅疑なく行われる。

(小林同前)

こんなふうに、文字にこだわらず直観によって訓みを確定し、さらには「新(アラタ)たに訓ミを造(ツク)りしも有ルべし」(『古事記伝』)とさえいってのける宣長の姿勢を「音声中心主義」と呼ぶとすれば、ただちに、この「音声中心主義」には、西欧のそれには見られない、ある固有の特質が刻印されている、と付言しなければならなくなる。ある固有の特質とは何か。音声の不在である。稗田阿礼の声は、宣長の耳には聞こえていないのだ。「中心」に置かれているはずの「音声」、重視すべき対象としての声が、その場に現前していない。これが国学の「音声中心主義」の本質を規定する根本的な条件を形づくっていることは論を俟たないと思うが、たとえば明治の言文一致論の基盤となった西欧近代言語学由来の「音声中心主義」と、近世国学にあるとされる「音声中心主義」とを重ね合わせる思考に強い抵抗感が湧き出すのは、この地点においてだ。音声の不在という事実の本質的な重さへの感受性が、少し足りないような気がするのである。音声の不在、逆にいえば文字の現前である。音声中心主義というからには二次的な存在者にすぎないはずの文字が、一次的な存在者として、音声の前に立ちはだかり、音声の基体をなしているのだ。文字が音声を生み出し、音声中心主義を生み出しているといえよう。なぜなら、文字を文字どおりに受け取らないという態度に出るためには、まずいったん文字を受け取らなければならない。内奥にある音声は、そのうえでこれを否定することにより、ようやく立ち現れてくる。音声中心主義の条件としての音声の不在といってもいいし、音声中心主義の起源としての文字の現前といってもいいだろう。音声中心主義と文字中心主義は、ここでも絡み合っている。ある何かが、ある局面において音声中心主義のような相貌を帯び、別の局面において文字中心主義のような相貌を帯びる。そのような「ある何か」の所在や存在態様を見定め、えぐりだすことが日本の言語の起源に迫ることだ。

宣長は、古事記本文の冒頭に置かれた「天地初発之時、於高天原成神名……」のくだりについての注釈文を「天地は、阿米都知(アメツチ)の漢字(カラモジ)にして、天は阿米(アメ)なり、かくて阿米(アメ)てふ名義(ナノココロ)は、未ダ思ヒ得ず」(『古事記伝』三の巻)と始めている。「天」は「アメ」に対応する漢字であり、「アメ」と訓むが、しかし「アメ」の意味はわからない。そう述べているわけである。この言い方でまず当然に否定されているものが和語を漢字の意味で理解することであることについて疑いの余地を開くことは難しい。『河海抄』の「注のもじにすがる」ことへの拒絶と同型の身振りがここに潜伏しているといえる。「天」は「アメ」と訓むべきだが「アメ」を「天」が表す意味で受けとってはならない。では、どういう意味で受け取ればいいのか。宣長の答えはこうだ。「阿米(アメ)てふ名義(ナノココロ)は、未ダ思ヒ得ず」。この答えにちょっとすかを食ったような気になるのは、「アメ」を「天」の意味で解することを禁じるには「アメ」の意味がわかっていなければならないと考えられるからだ。宣長が漢字の有する意味を、それが漢字であるというだけで無条件に否定しているという事実がここにあらわになっているといっていいが、しかし、そのことを確認しただけでは、日本の言語の起源に攻め込むには不足である。宣長は「アメ」の意味がわからなくてちっともかまわないと考えている。この考えは、直観により強引に〈訓み〉、すなわち音声を求める姿勢の対極にあるといえる。なぜ意味がわからなくてかまわないのか。宣長はいう。「諸(モロモロ)の言(コト)の、然云(シカイフ)本(モト)の意(ココロ)を釈(トク)は、甚難(イトカタ)きわざなるを、強(シヒ)て解(トカ)むとすれば、必僻(ヒガ)める説(コト)の出来(イデク)るものなり」。「僻める」というのは「理」、すなわち「漢意(カラゴコロ)」による歪曲のことだ。つまり宣長は、「アメ」を「天」の意味で、すなわち「漢籍意(カラブミゴコロ)」で解することの禁止を超えて、語の意味を是が非でも求めねばならぬという志向そのもの、「本の意」を解釈するという姿勢そのものを「漢意」と断じているのである。

ここで「本の意」とはようするに語源のことをいうのだが、そういうことで宣長のいわんとしていることを正しく把握するには、時枝誠記国語学史』の記述に目を通しておくのが遠回りのようで、じつは近道だ。時枝は、近世国語研究における語の意味の探求は、いわゆる「解釈」と「語源研究」の二つに大別できるとしたうえで、次のように語っている。

語源研究ということは、今日においては、語の意味の起源的なものを歴史的に遡ることを意味しているから、語源の研究は、語の解釈とは関係ないわけであるが、元来etyomologyという語それ自身の意味は、語の正義(etumon)を求めることである。国語学史上における語源研究も、多分にその意味で研究せられている。そして一方、解釈ということも、語の根本的な意義を求めてそれによって古典を解釈しよという風に考えられて居ったのであるから、いはゆる語源研究に類するような研究も、実は本義の探求であって、その点解釈と別物ではなかったのである。

ここに本義あるいは正義というのは何を意味するのであるか。一の語に数義が存在する場合に、その一つを本義あるいは正義と考え、他の意味をその転義あるいはその崩壊したもののように考える。今日においては、一般にそれらを時間的に変遷したものとして考えるのが普通であるが、歴史的観念の成立しない以前においては、右のように考えるのも当然であったと言えるであろう。

(『国語学史』)

こうした「本の意」すなわち語のレベルにおける意味の探索は、たとえば契沖や賀茂真淵において顕著である。吉森佳奈子は先に挙げた論文の中で、漢字による和語の解釈を批判する宣長の態度は契沖や真淵の『河海抄』への向き合い方とは「別な地平に出ている」と指摘しているが、無暗矢鱈な語釈に冷淡な宣長は、ここでもやはり、先行する国学者たちの傾向から外れているといえよう。

さて、語の意味の取り扱いをめぐるこの宣長の思想から、大事な意味を二つ取り出すことができる。そのひとつは、宣長の音声中心主義と西欧の音声中心主義との相違点に関わっている。ジャック・デリダは、『グラマトロジーについて』の中で、フォネー、すなわち声というシニフィアンが「シニフィエに限りなく近接している」という印象をもたらすことに注意を払っている。その際デリダは、オグデン=リチャーズ式というか、時枝誠記式というか、とにかく「シニフィエ」という言葉をだいぶ緩やかに用いており、いわゆる「意味(sens)」だけでなく、「事物(chose)」も含めてそう呼んでいる。他方ジュリア・クリステヴァとの対談においては「シニフィエ」を「概念(concept)」と置換可能な言葉として扱っているが、それはそこで問題とされているものがソシュールその人の記号概念であることと深い関係がある。

フォネーは、シニフィエたる概念の思考に緊密に結合したものとして意識に与えられるシニフィアンたる実質である。この見方によれば、声は意識そのものであるとさえ言える。私は自分が話すとき、自分が考えていることの現前にいるという意識を抱く。のみならず、外の世界にこぼれ落ちる前のシニフィアンを自分の思考あるいは「概念」のすぐそばに保持しているという意識を抱く。このシニフィアンは、私がそれを口にするや即座に耳にするものであり、完全に私の意のままであり、ほかに何か道具を用いたり、余計なものを付けくわえたり、外の世界から力を借りたりするようなことはまったく必要ないように思える。単にシニフィアンシニフィエとが結合しているように思えるのみならず、こうした混同においてシニフィアンが消失し、あるいは透明化し、そのため概念が、ありのままの姿でおのずから現前しているように、己の現前以外の何ものにも依拠していないように思える。シニフィアンの外在性が還元されているように思えるのである。もちろんこの経験はまやかしである。しかし、このまやかしがもたらす必然性の上に、ひとつの構造の全体、ひとつの時代の全体が組織されたのである。

ジャック・デリダ『ポジシオン』、拙訳)

西欧において声が重視されるのは、デリダが「現前の形而上学」と呼ぶ制度的まやかしにおいて、シニフィアンたる声が意識=自己のもとに直接的に現前することを通じて、声と結合したシニフィエの〈自己への現前〉が保証されるからである、といえる。声という透明なシニフィアンを蝶番にしたシニフィエと自己との密着の確保。しかしすでに見たように、国学の音声中心主義においては、声の現前が参与していないばかりか、むしろ声の不在がその本質的構成要素となっているのである。加えて、いましがた確かめたように、宣長は語の意味、「本の意」の追求を漢意として痛斥する。シニフィエの現前を問題にしていないということだ。〈概念=声=意識〉の三幅対、音声中心主義と一体化したロゴス中心主義を、宣長は西欧と共有していないのである。

 

(続く)

*1:関は論考「上代に於ける日本書紀講読の研究」で、日本書紀の講書において作業の中心を占める「訓読」の性質について問い直し、「書紀の講義を以て訓詁の学・訳語の業なりとする従来の通説」を「排撃」している。これは第一に、書紀の文章は漢文としてさほど難解なものではなく訓詁の必要性が認められないこと、第二に、私記の訓注において当時の現代語や日常語ではなく古語が当てられていること、そしてまた、「『報命・復命・報聞・有復命・報告・返』等」を「すべて一様に『カヘリゴトマウス』と読」むなど漢語間の微細な意味の違いを問題にしない場面が多いこと等を根拠とするものである。

「音位転換」ではない――「フインキ現象」についての一考察

 

「雰囲気」という言葉を「ふいんき」と発音する人がいる、という話がありますが、幸いにも(?)私は今日に至るまでそのような人にお会いしたことがありません。ただし急いで付け加えますが、私はこの言葉を文字通り「ふんいき」と発音する人にも会ったことがないのです。

実際に聞いて確かめてもらった方が話が早いかもしれません。第31回三島由紀夫賞の発表(2018年5月16日)のライブ映像です。

youtu.be

この動画の中で選考委員の一人、辻原登氏が「雰囲気」に当たる言葉を三度口にします(58:10~58:28)。Youtubeの字幕をオンにすると、いずれも「雰囲気」と表示されます。おそらく辻原氏は標準的な発音でこの言葉を発していると思われます。

私が常日頃耳にする「雰囲気」の発音もこれと同じです。この「雰囲気」の発音の仕方が、私には子供のころから謎でした。「ふんいき」と言っているようには聞こえなかったからです。ところが近親者の一人に聞くとどうでしょう。その人は自分には「ふんいき」と聞こえるというのです。

以下の文章は、この問題――「フインキ現象」と呼んでいます――をめぐって2008年7月28日付で書かれたものです。個人サイトに載せていた記事ですが、近々閉鎖する予定なので、こちらに転載しておくことにしました(たまに参照している方がいらっしゃるので)。

 

                                                                ***

 

「音位転換」ではない――「フインキ現象」についての一考察

 

「フインキ現象」(あえて定義しない)を考えるのに、まず大事なことは、問題それ自体のありかを正確につかむことだ*1。でも、これがけっこうむずかしい。たとえば、この現象を「音位転換」(metathesis、音位転倒、音転位)や「イイマツガイ」の一種と見たり、「無知」や「漢字が読めないこと」に起因すると考えたりする人は多いみたいだけれど、はっきりいって的外れである。こういう分析でよしとするのは、たぶん問題を正しく捉えていないからだ。

なぜ「フインキ現象」を言挙げ(?)するのか、これを言挙げする人たちが、いったい何にひっかかっているのか、そのことが、どうやら、うまく伝わっていない。ネット上の掲示板なんかを見ると、この問題が何度も蒸し返されているのがわかる。これは、もちろん、腑に落ちる答えを求めてのことだろうけれど、それよりもなによりも、どんな問い方をすれば問題がうまく伝わるか、それを手探りしている印象が強い。だから、ワタシを含めた彼らは、まずは「問題」の不思議さを共有したいのであって、ただちに明快な「答え」を得たいと思っているわけではない。つまり、「フインキ現象」が問題であるとして、その第一の問題は、この、「問題の伝わらなさ」にある、ということだ。

ところで、この「不思議さ」に発する問いには、ネット上で、「雰囲気をフインキという人なんていない」と決め付けたり、「馬鹿だから」と切り捨てたりする、冷え切った反応が少なくない。こういう反応の乱暴さ、かたくなさは、こちらをたじろがせる。けれど、「フインキ現象」を問題にする声に拮抗する、この種の無化的な応答の数々は、問い方について問う上で、ずいぶん有益だともいえる。

けれど、まずは、この無化の、ソフトで、ユーモアあふれる例を見たい。荒川洋治の文章である。

荒川は、1999年5月の文芸時評で「ふんいき・ふいんき」の問題に触れている。当時、雑誌『言語』で「手のひらの言語学」という特集が組まれた。内容は、「言葉の素朴な疑問に専門家が回答」するというものだ。その「素朴な疑問」の中から、荒川は、次のものを拾い上げる。(以下引用は荒川洋治文芸時評という感想』による)

〈「雰囲気」は「ふんいき」と読むはずなのに、発音すると「ふいんき」のようになるのはどうしてですか。〉

これに対する荒川の感想は、こうだ。

変な質問だ。「雰囲気」は誰もが「ふんいき」と読むし、「ふいんき」に聞こえることはないとぼくは思った(自分でも何度か発音してみた)。

さて、専門家(言語学者国語学者?)の回答が、どんなものか、見れば、

〈答えに入る前にまず触れておくべきことは、「ふんいき」が「ふいんき」のようになることは、まったくないというわけではありませんが、この語を普通に発音し、あるいは、気を付けて発音すれば、「ふいんき」にはならないと思います。〉

次は、この回答に対する荒川の反応。ちょっと長いけれど、そのまま引用する。熟読玩味(?)してほしい。

おかしい。笑ってはいけないところだ。ぼくは笑った。ぼくはとても楽しい。

この「ふいんき」になるような言葉の現象を「音転位」というそうだ。「舌鼓」は「したつづみ」が正しいが、実際には「したづつみ」。「山茶花」は「さんざか」だが「さざんか」に。ああ、そうだったのか、と感動する人もいるだろう。

「ふんいき」の例は回答者自身がつくったのだろうが(明記されていないが多分そうだろう)、あまりに突飛、というか意表をつくものだとはいえないか。よくぞこんな例を思いついたものだ、とぼくは感心してしまった。

自問自答をするとき、人は普段ならとても考えつかないようなことまで思いつく。現実には存在しないものや、まったくもっておかしな、あるいはおもしろいものが飛び出す。それが自問自答の世界だ。想像力のみなもとは、結局のところ、自問自答にあるのかもしれない。

ここで話は、やおら「小説の世界」における「自問自答」の話にシフトする。つまりここまで、じつは文芸時評の前フリなのだ。荒川が本気かどうかわからない、白を切っているのかもしれない、そう思う人もいるかもしれない。でも、本気でなければ、「自問自答」が時評の前フリとして機能しない、そういう筋になっている。だから、ここは本気だと考えなければならない。荒川は、どうやら心底から、「『ふんいき』の例は回答者自身がつくった」と思っているのだ。そしてこの事実は、こちらをずいぶん考え込ませる。荒川に問題は伝わっていない。この問題は、彼には存在しないのだ。そして、荒川みたいな人や、荒川からユーモアを抜いて、かわりに攻撃性を充填したような人が、ネット上にたくさんいる。ここにフインキ「問題」の本当の問題があるといっていい。

ワタシがこの「問題」に気づいたのは、小学生の頃だ(1970年代の話である。だからこの「問題」は「最近の若者の言葉使い」の問題ではない)。ワタシの「問題」は次のような形をとっていた。今でも、これが切実な(?)「問題」である人には、同じ形をとっているはずだ。こうである。

「雰囲気」は「ふんいき」であるはずなのに、まわりの誰も、平仮名で躊躇なく「ふんいき」と書けるようには、発音していない。両親、祖父母、親戚、学校の友達、学校の先生、テレビに出ている人、もちろん自分自身も、誰一人として「ふんいき」とは言っていない。

子供のワタシは、近親者のひとりにきいてみた。その人の答え。「そう? ちゃんと言ってるんじゃない? 『ふ・ん・い・き』って」

ワタシは、ちょっとびっくりした。そして、この問題を胸の奥にしまい、封印することにした。

その後、この問題が、いわば「おおやけ」になり、こちらの耳にも届き、「やっぱり!」という感想を抱かせたのは、よく言われるとおり、ワープロの普及、そしてインターネットの拡大以降だ。「雰囲気」を意味する言葉を、手書きで、漢字でそのまま「雰囲気」と書いていたのでは、問題は隠されたままだ(でも、平仮名で書くときはどうだったのだろう?)。この「雰囲気」を意味する言葉を、平仮名あるいはローマ字で一文字一文字入力した後、漢字に変換するという過程で、変換の失敗という形で、問題は、多くの人に意識されるようになった。そして、その一方で、この「問題」を「問題」と見ることを断固として拒否する一派も現れた。ときに彼らは、拒否するだけにとどまらず、「フインキ現象」を問う人や「ふいんき」愛用者(?)に痛罵を浴びせることさえする。いわく、「バカしか言わない」「恥知らずが増えただけ」「親の顔が見たい」、などなど。

この手の、感情的に問題を「無化」しようとする人たちは、けれど、ずいぶん無防備に思える。というのもそれは、避けがたく、こちらの邪推を誘発するからだ。つまり、この手の人たちにとって、「雰囲気」を「ふいんき」と言うことは、「無知から来る誤用」であり、そして、この「誤用」を、やんわりとではなく、痛烈に非難するのは、この「無知から来る誤用」が、なんらかの理由で、指摘した本人に卑近なものとして感じられているからではないか(遠回しな言い方だ)。そんなふうに勘ぐりたくなるのである。

それはさておき、こうした感情的な「無化」と表裏一体の関係にある「無知から来る誤用」説は、けれど、ほんとうに正しいだろうか。

「無知から来る誤用」説によれば、「ふんいき」が「ふいんき」と聞こえるのは、実際に間違って「ふいんき」と発音する人が存在するからである。でも、これは、よく考えると、ちょっとおかしい。

この説にいう「誤用」は、専門用語で「音位転換」と呼ばれるタイプのものだ。「音位転換」とは、語中の二つの音韻(文字)の位置が入れ替わること。参考のため、フランス語のWikipediaの「metathese(音位転換)」の項を見てみると、この入れ替わりが生じる原因として、四つのケースが挙がっている。

1.病気

2.無知

3.まだ子供で呂律が回らない場合

4.外国語を話すとき

「2.無知」の具体例として挙げられているのは、次の二つだ。

例1:「aréopage」を間違えて「aéropage」と言ってしまう。「aréopage」とは、ギリシャ語の「Areopagusアレオパゴス」*2に由来する言葉で、現代フランス語では、有識者や専門家を集めた、改まった「会議」を意味する(らしい)。この単語が「aéroport」(空港)等に引張られて「aéropage」になってしまうのである。

例2:「(心筋)梗塞」を意味する「infarctus」という単語を間違えて「infractus」といってしまう。こちらは、「infraction」(違反)等に引張られていると考えられる。

二つの例の共通点は、どこにあるか。それは、言い間違いを引き起こす元の言葉が、日常生活では、あまり使われない言葉だということにある。「aréo」という音を連ねた単語は、「aéro」を語頭に置く単語に比べると、そもそも数が少ないし、加えてどれも専門用語の類いで、毎日お目にかかるものではない(例:「aréographie」火星地理学、「aréole」小室[解剖学用語]、輪[医学用語]、「aréometre」比重計)。「infar」も同じで、「infra」みたいに、よく耳にする音の連続ではない。

見慣れない、聞き慣れない言葉だから、慣れた音の連鎖に引張られたり、隣接した音素(文字)の順番を、なかば無意識の内に言いやすいように逆転させたり、ようするに「誤用」をおかしてしまうのだ。こうした使用頻度の低さ、使用経験の少なさは、「音位転換」的な「誤用」が生じる条件として、必須のものだと思える。

たとえば、もし日常生活で頻繁に使われる単語を誰かが間違って使ったとしたら、その間違いは、ただちに身近の人から指摘され、直されるはずだ。「音位転換」が放置され、広がっていくのは、かなり難しいと見なければならないだろう。「音位転換」は、wikipediaにもあるとおり、子供の言葉によく見られるけれど(ウチの子供の例:「こっちがわ」→「こっちわが」)、それがいつまでも残ることは、まずない。成長の過程で、親に直されるか、自分で間違いに気づくからだ。

翻って「雰囲気」という言葉は、どうか。この言葉は、日常生活に頻出する。そして、これだけ日常的な言葉の「音位転換」が見過ごされることは、ちょっと考えにくいのだ。

身近に間違いを指摘する人がいない、つまり、誤用者の周辺にいるすべての人がすでに誤用におかされている(つまり地域的に定着している)からだ、と考える人もあるかもしれない。まわりの人間がみんな間違っているから、間違いが指摘されずに生き延びている、ということだ。でも、これもおかしい。だって、まわりの人間には、たとえばラジオのDJやテレビのアナウンサーや映画の出演者も含まれるのだ。もしこうした「公共的な」人々が、自分やその周囲と違う発音で話していれば、自分やその周囲が「誤用」をおかしている(あるいは方言を使っている)可能性に思い至らないわけがない。

そして、もうひとつ、重大な点は、もし、全国メディアで話す人々が、この言葉を誤用しているのだとしたら、荒川をはじめとする、「『ふいんき』なんていう人はだれもいない」という見解と齟齬を来たしてしまう、ということである。

ここに、問題の核心がある。

つまり、ある人(たとえばワタシ)には、「ふんいき」と言っている人なんて一人もいないように思われている、その一方で、別のある人(たとえば荒川)には、「ふんいき」と言っていない人なんて一人もいないように思われている。ここから言えることは、こういうことだ。ワタシには決して「ふんいき」とは聞こえない、あの言葉、「雰囲気」を意味する、あの一連の音が、荒川には「ふんいき」としか聞こえないという、そういう事態が成立している。そう考えざるを得ない。

だから「音位転換」ではない。

「音位転換」の例として、ナントカの一つ覚えみたいによく挙げられるのは、「山茶花」のケースである(荒川の引用した専門家の回答にもあった)。「さざんか」は、もともと「さんざか」だった、という話だ。

さて、この「山茶花」、ある人が、これを「さざんか」と言えば、誰がきいても「さざんか」と聞こえるし、別のある人が、これを「さんざか」と言えば、誰がきいても「さんざか」と聞こえる。なぜかといえば、「音位転換」が起きているからである。「ざ」と「ん」が入れ替わっていることは、誰の耳にも明らかなのだ。

ところが、「雰囲気」の場合、そうではない。荒川が発音した「ふんいき」が、私にはたぶん「ふんいき」と聞こえない、そういう話なのである(実際に聞いたわけではないけれど)。

また、「無知」ということでは、この問題を「雰囲気」という漢字の読みの問題に還元している記述も、たまに見かける。でも、これも問題を捉え損ねていると言わざるをえない。

たとえば『問題な日本語』(大修館書店)に、こういう説明がある。

「雰囲気」という漢字がありながら、それを「ふいんき」と読んでしまうということは、「雰」を「ふ」と誤読し、「囲」を「因」と混同した結果かもしれません。

けれど、なぜ「『雰』を『ふ』と誤読し、『囲』を『因』と混同」するのだろうか。「雰」という漢字が「難しい」というのであれば、けっして少なくはない一定数の若者が、それを「う」でも「ぶ」でもなく、決まって「ふ」と読む理由はなにか。また、いくら「ボキャブラリーの少ない若者」であるとしても、「『囲』を『因』と混同」するなんて、よほど目が悪いのでない限り、ありえないのではないか。

「雰囲気」という漢字に「ふいんき」と読み仮名を振ってしまうのは、漢字を一字一字読んでいるわけではないだろう。そうではなく、「雰囲気」と漢字で表記される意味を持つ言葉の使われる文脈・場面で、この言葉が、「ふいんき」と発音されるのを耳にしてきた、かつ自分でもそう発音してきた、その経験に基づいて、「雰囲気」に「ふいんき」と読み仮名を振るのではないか。だから、この、「ふいんき」と仮名を振った「若者」の中には、「あれっ」と思う者がいたことだって想定できるのである。この場合、彼は、「雰囲気」を「ふいんき」と読むことの不思議さに打たれたのだ。この不思議さは、どうして生じるか。それは彼が、「雰囲気」という文字を冷静に眺め、かりに「雰」を知らないとしても、「囲」「気」が普通には「い」「き」としか読めないことに気づき、したがって、「雰囲気」を「ふいんき」と読むことが、かなりイレギュラーな読み方であることに気づいたからである。ただ、残念なことに(?)、漢字のイレギュラーな読み方は、あまりにも多いのだ。「雰囲気」という漢字を見れば、知っていれば、「ふいんき」ではオカシイことに気づくはずであり、それに気づかないのは、漢字を知らないから、教養が低いからだ、と考える人の教養の低さは、この点に関わる。つまり、「無知だから『雰囲気』に『ふいんき』と読み仮名を振る」と短絡的に考えるのは、こうした漢字と仮名の関係の恣意性について、それこそ「無知」だから、あるいは無頓着だからである。

「フインキ現象」の不思議は、「無知」によるのではなく、逆に、「雰囲気」を「ふんいき」と読むことを知ればこそ、知っていればこその不思議なのである。

ところで誤用説に似たものに、こういうものがある。本人としても「ふいんき」が誤用であるとはウスウス感づいているのに、間違いを認めたくないため、それに固執している、という見方だ。

この見方にも、反論したい。ワタシも含め、「フインキ現象」に固執する人たちは、たぶん、それが「自分の間違い」なのであれば、いさぎよく白旗をあげる準備がある。でも、この問題は、たんに「自分の問題」なのではなく、「他人の問題」でもあるのだ。だから、固執する。自分だけが間違っているのなら、素直にアヤマチを認めよう。それはヤブサカではない。でも、間違っているのは、ワタシだけじゃない。アナタも、貴方も、貴女も、間違っている。というよりも、正しく「ふんいき」と言っている人間なんて、どこにもいないじゃないか! ということなのだ。

さて、ここからが、次の問題である。

もう気づいているかもしれないけれど、ここまで注意深く、自分の話としては、「雰囲気」が「ふんいき」とは聞こえない、とは言っても、「雰囲気」が「ふいんき」に聞こえる、とは言っていない。その理由をここで明かせば、それは、「フインキ現象」とは呼ぶものの、ワタシには、「ふんいき」は問題外であるにせよ、「ふいんき」でも、ちょっと違和感があるからなのだ。

では、どういうふうに聞こえるか。これが、なかなかむずかしい。無理に表記すれば、こうなる。

「ふい~き」

反発されるのは覚悟の上だけれど、ある程度の賛同が得られるであろうことは、ネット検索でわかる。そして、「フインキ現象」を、無知や無教養のせいにするのではなく、メタテシスでもなく、それとは別の側面から検討すべき事象と見ている者がちゃんといることも、同じくネット検索でわかる。こうした人たちは、正当にも、一定の環境(言語学的な意味での)がこの現象に組織的に関わっていることを指摘し、かつ、同じ「ん」と「い」の連続を含む単語を引き合いに出して、「フインキ現象」を相対化しようとする。

おおむね賛成なのだが、しかし、「ふい~き」派のワタシには、これでも、ちょっと物足りない。

この角度から「フインキ現象」に触れる人がしばしば引き合いに出す言葉のひとつに、「原因」がある。例えば、あるサイトに、「雰囲気(ふんいき)」では、

早めに話すと「ん」と「い」が一体となり、「鼻音化した『い』」になります。この音をい°と表わすと、「ふい°ーき」となります。これを耳で聞いても、「ふんいき」か「ふいんき」かが区別できません。。他にも「げんいん」も「げい°ーん」のような発音になってしまいますので、「げいいん」に聞こえる人がいるようです。

とある。こうした「原因」等への参照と、それによる現象の相対化に、にわかには賛成できない理由は、「雰囲気」が、ワタシの耳に「ふい~き」みたいなカンジに現象する一方で、「原因」の場合、どうしても「げい~ん」とはならず、「げ~いん」としか聞こえないからである。これは「ん」と「い」の隣接を持つほかの単語、たとえば「全員(ぜんいん)」や「圏域(けんいき)」でも同じで、「ぜ~いん」「け~いき」とは聞こえても、「ぜい~ん」「けい~き」とは聞こえにくい。つまり同じ「ん」と「い」のつながりでも、「雰囲気」の場合だけ、「~」(長短アクセント?)の位置が特殊なのだ。

ようするに、「フインキ現象」が環境の問題であるにせよ、これが起きるには、たんに「ん」と「い」の隣接による鼻音化だけではなく、なにか他の要素も関係しているのではないか、ということである*3

最後に、もうひとつ「問題」(?)を指摘したい。それは、この「フインキ現象」が「音位転換」ではない、つまり「ふんいき」が正しいところ、言い間違い、読み間違いで「ふいんき」になってしまった、ということではないのに、専門家やマニアや妙なコンプレックスを抱えた連中による「誤用だ」という指摘を鵜呑みにして、へんに「意識して」、あるいは、必要ないのに「注意して」、文字通り「ふ・ん・い・き」と「正しく」発音するオモシロイ人たちが増えてしまうのではないか、ということである。そして同時に、あくまで「ふ・い・ん・き」という文字列に固執する、開き直った人間(ワタシを含む)が、ネット上での表記にとどまらず、不必要な滑舌のよさでもって「ふ・い・ん・き」を日々連発するようになることも懸念される。こうした二極化が進み、発音上の曖昧さが解消され、「ふんいき」と「ふいんき」とが完全に分離し、だれの耳にもはっきりと両者の区別がつくようになったあかつきに、何が起きるか。事後的に「音位転換」説が正しいものとなるのである。服に体が合ってしまうのだ。

あー、つまり、一部の専門家が言うように、「今、私たちは、『ふんいき』から『ふいんき』への音位転換が定着するかもしれない歴史的場面に立ち会っている」のだとしても、なんだかこれ、悪い意味ではなく、結果的に、マッチポンプみたいになってるんじゃないかと。そういうことです。

 

2008/7/28

*1:この問題をめぐっては、「問題が見えている人」、「問題が見えていない人」、「問題が見えているのに見えていないフリをしている人」が、それぞれの立場から、かみ合わない議論を展開している気がする。

*2:「Areopagusアレオパゴス」とは、古代アテナイの、アクロポリス西側にあった小さな丘の名前。ここで、元老院最高裁判所に相当する会議が開かれた。そのため、この会議それ自体も「アレオパゴス」と呼ぶ。(参考:平凡社世界大百科事典)

*3:「フインキ現象」には、特殊なタイプの「異音」が関与していると思われる(←おもいつきデスよ)。通常、音声的差異としての「異音」は意識されにくいが、「ふんいき」の「ん」→「い」の場合、何らかの理由で偶然、音声的(実質的)に「い」→「ん」に極めて近くなり、それゆえ音声的差異であるものが、音韻的差異と取り違えられているのではないか。実際に音韻レベルでの交替が生じているわけではないので、この現象は「音位転換」ではない。また、「い」→「ん」への類似性ゆえ、「異音」としては例外的に多くの人々に感受されているが、事は音声の領域に関わるため、やはりこれを感受しない人もいる。感受しない人にとっては、「ふんいき」は、どうあがいても「ふんいき」でしかありえない。

「棟方くんは夕方のひかりを浴びてこわい」――小説の地の文にたびたび現れる、人称制限を意に介さない文について

そういえば、「私は怖い」は「I am scared」で、「彼は怖い」は「he scares me」だというG氏のツイートへのリプライのひとつに、「『彼は怖い』を英語に翻訳するのなら『he scares me』よりむしろ『he is scary』なのでは?」というのがあって、これに対してG氏が「自分は日本語の話をしているだけだ」と答える場面があった。つまり「翻訳の話はしていない」ということなのだが、相手の人は納得していないようで、「いいえ、どうやって英語に翻訳すればいいかって話もしてました」と言い返していた。ふと思ったけれど、このあいだ自分が投稿した記事も翻訳の話だと勘違いされたりしてるんだろうか?

日本語の感情形容詞文の意味構造の話である。「私は怖い」と「彼は怖い」は外見上同じ構造をとっているが、感情形容詞の主客両面の表現性と、感情形容詞文の人称制限という二つの要因により、前者と後者の文で意味構造に違いが生じている。「私は怖い」で「は」の前に来ている要素は感情主だが、「彼は怖い」で「は」の前に来ているのは感情主ではない。感情の誘因(ないし対象)である。例文では「は」によって主題化されているが、無題化しても変わらない。感情形容詞文では多くの場合、感情の主体と誘因がどちらも「が」格で表示される。表面上、違いが出ない。でも意味構造は異なっている。G氏の示した二つの英文は、こうした日本語の感情形容詞文の意味構造の違いを明示化したものである。それだけではない。「彼は怖い」の説明にあたる「he scares me」という英文は、日本語の感情表現における人称制限(そしてその根底にあると考えられる、日本語の視点の《私》性)のため「彼は怖い」において表面上現れていない感情主「私」の存在を「me」によって際立たせるものでもある。「he is scary」という英文では、日本語文「彼は怖い」において感情主の「私」が暗黙化されているという事実が説明されない(これはもちろん、「彼は怖い」を「he is scary」と翻訳するのが間違いだという意味ではない。「彼」が「怖い」ことをその「彼」の客観的属性として述べる場合も想定できるからだ。「虎は怖い」(the tiger is scary)と同じように)。

ようするにGさんの話は「彼は怖い」という日本語文をどう英訳すべきかという話ではない。私の前回の記事も同じである。表題として掲げた「『彼女は悲しい』は『she makes me sad』か?」という問いは、「悲しい」という感情形容詞に客観用法が成り立つか?という問いであって、「彼女は悲しい」の翻訳として「she makes me sad」が適当か?という問いではない。そこは問題にしていない。どう翻訳すればいいのかというのは、その先の話だ。

いやもちろん、「she makes me sad」という英文と、客観用法による場合の「彼女は悲しい」の構文論的・意味論的・語用論的な違いについて考える、あるいは「悲しい」と「sad」の語彙レベルの違いについて考えるというのは、それはそれで面白いことだとは思う。

たとえば、「彼女は悲しい」の「悲しい」は字義どおりの「悲しい」ではなく、「考えが甘い」というときの「甘い」と同じく比喩的に拡張された「悲しい」なのではないか、したがって実質的に属性形容詞と変わらないのではないか、とか、「悲しい」の客観用法による解釈は寺村秀夫のいう「一般的な品定め」の場合にしかうまくいかない、つまり「SNSで日本語学習者の使う日本語を馬鹿にする日本語ネイティブは悲しい」はいいとしても「彼女は悲しい」や「(自分の)母は悲しい」といった個別的な状況にはマッチしない(だからもともと違和感を感じない人は当然に主観用法として解釈するし、違和感を感じる人も好意に基づき主観用法として解釈する)(だからGさんやH氏は出す例が悪かった)のではないか、とか。

――前回の続きを書くつもりはなかったのだが、トイレットペーパーと交換する古新聞を紐でくくっていたら、広告欄に「女はいつも、どっかが痛い」という文字列(書名)があるのが目に入り、また考え始めてしまった――

というわけで続きである。前回、三人称小説の地の文では人の内面について言い切りの形で表現できると書いた。この一般論に対し、甘露統子「人称制限と視点」では、「『太郎はうれしい』という文は、『語り』だとしても、やはり不適格な表現」であり、「許容されない」と述べられている。しかし、この手の人称制限に抵触する文が、とりわけ小説の語りの中にしばしば現れるというのは疑いようもない事実であり、「許容されない」はずの文が許容されているように見える。このあたり一体どうなっているのか、というのが今回のテーマである。

まずは実例から。町屋良平の三人称小説「しずけさ」に次のような文がある。

棟方くんは夕方のひかりを浴びてこわい。

これは「棟方くん」と呼ばれる人物が「夕方のひかりを浴びて」いつもより全体的な輝きを増し、第三者から見て「こわい」風貌になっているという客観描写ではない。ふだんは「夜のあいだ起きていて、朝と昼と夕はずうっとねむっている」「棟方くん」が、心療内科に行く日、「夕方のひかりを浴びて」不安に陥っているその内面を言い切りの形で表出した文である。この作品には、小説の地の文以外では「人称制限に抵触している」と判定されそうな、こうした文がよく出てくる。「いつきくんはひとこいしい」だとか、「司ちゃんもいつきくんといっしょにいるとちょっとうれしい」だとか。こういった文をどう考えればいいかということなのだが、板坂元『日本人の論理構造』(1971年)に、小説中の「彼は悲しい(彼は悲しかった)」に言及した次のような一節があるということを、まずいっておきたい。太字にしたところが大事なところである。

日常使われているHe is sad.という英語は、日常言語学派の哲学者をしばしば悩ませているが、これをそのまま日本語に直して「彼は悲しい」という文を麗々しく掲げた日本語教科書がある。「彼は悲しい」という日本語がまったく存在しないわけではない。たとえば、小説などで、「彼は悲しかった」という表現が出て来る。けれども、この場合は「彼は悲しいのだ」の省略であろうし、作者と小説中の「彼」が不分離の状態になったときのことで、純粋な三人称の文ではない。「あの映画は悲しい」の場合は、「私が悲しい」のである。要するに悲しい、ひもじい等の情意性は一人称にしか用いることができない。一人称以外には、「悲しそうだ」「悲しがっている」という風に、かならず見えとして表現されるのが普通であろう。

(板坂元『日本人の論理構造』、太字引用者)

それゆえ「『彼は悲しい』という日本語教科書の文は完全な誤りである」と板坂はいうのだが、この言い方には少し引っかかりを感じる。ここで「誤り」というのはたぶん文法的に間違っているということを意味していると思われる。でも、「普通」ではないからといって、その表現を一足飛びに間違いとみなすのはどうなのか。私は以前の記事に記したように、人称制限については文法の問題ではないと考えている。

「私は悲しい」と同じ意味合いで「彼は悲しい」というと不自然な感じがする。心理状態の表現に関し、日本語には人称制約がある。けれど、人称制約に抵触することが、そのまま文法違反(意味論的な違反、統語論的な違反)になるかといえば、それには留保がいると思うのだ。もし、この制約が「語り」において解除されるのだとすれば、なおさらそうだ。文法違反と見えても、それは単に、その言葉を然るべく機能させる文脈が、まだ見つかっていないだけかもしれないからだ。

二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』(追記あり) - 翻訳論その他

引用元の記事では藤野可織芥川賞受賞作「爪と目」を取り上げている。この作品には大層奇妙なところがあって、出版社のサイトで「純文学的ホラー」という惹句が付けられているけれど、読み通してみればわかるが、実際のところ、さほど怖いことが書かれているわけではない。それなのになぜかこの作品は「怖い」(属性形容詞寄りの客観用法)。鍵は言葉の使い方にあると思われた。「あなたはわたしに、気前よくジュースでもチョコレートでも買ってやった」というような文が出てくる。文末の「やった」はふつうなら「くれた」だろう。この作品、こうした不自然な文がてんこ盛りなのである。

上に引用したくだりで指摘したように、不自然な文の中には、「然るべく機能させる文脈」のもとで自然な言い方に転じるものがある。たとえば「お前から始めろ!」という言い方は自然だが、「私から始めろ!」は不自然に響く。でも、「今から一人ずつ君らの首を絞めて殺してやろう。だれから始めようかなあ」と悪い人がいうのに対して、自分の体に触れた相手の脳を念力で爆破できる人が「私から始めろ!」というのは自然だろう。つまり、あるひとつの文が自然である、不自然であるというのは、文脈に左右されるところが少なくないということである。

「爪と目」の怖さについて考えるうち閃いたのは、不自然な文を読む読者は、そうした不自然さを解消することができる文脈を知らず識らずのうちに探索しているのではないか、ということである。だからこそ、「爪と目」は怖いのではないか。つまり、この作品の怖さは、不自然な文の使用を正当化する、作中には記されていない場面や状況のうちにあるのではないか。おそらくこの作品が「怖い」(主観用法寄りの客観用法)読者は、顕在的な文のつらなりが喚起する、そうした潜在的な文脈を読んでいるのである(どのような文脈が潜んでいるかについては当該記事に書いた)。

人は個別の文を文脈の中で読む。それとともに人は、欠如した文脈を自ら補うため言外の領域を探索することがある。これを別の角度から見れば、個別の文には、こうした言外の文脈の探索を促す力、あるいは、こうした言外の文脈を招き寄せる、引っ張ってくる力が備わっている、ともいえるのではないか。「爪と目」が「ホラー」足り得るのは、個別の不自然な文の有する、こうした文脈牽引力のためであると。

少し話が逸れてしまったかもしれない。とにかく文脈が肝要である。人称制限にかかる文がそのままの形で、つまり不自然さを保ったまま三人称小説の地の文で許容されるのであれば、そこには必ずや文脈――個別の文を然るべく機能させる枠組み――の働きがあるに違いない。そう思われる。

さて、日本語における人称制限は、感情形容詞(や感覚形容詞)だけの問題ではなく、主観表現一般に関わる問題であり、したがって感情動詞はもとより、知覚動詞(「見える」等)、思考動詞(「思う」等)、認知動詞(「分かる」等)、さらには願望・欲求を表す「たい」や「ほしい」を用いた表現でも同じように問題となる。たとえば「宇崎ちゃんは遊びたい!」という言葉が妙に耳に残るのは、人称制限に抵触するこのタイトルがもたらす不安定な響きにその大きな一因があるのではないかと思われる。

しかし、「宇崎ちゃんは遊びたい!」に次のような文脈を付けるとどうだろう。不安定感がいくらか軽減するのではないか?

(1)宇崎ちゃんは遊びたい。けど先輩は遊びたくないんだ。

これは次のように言い換えても、その内容に大きな変化はないと思われる。

(2)宇崎ちゃんは遊びたいけど、先輩は遊びたくないんだ。

(1)の最初の文「宇崎ちゃんは遊びたい。」は文末に句点が打たれており、外見上立派な文であるような恰好だが、実際には、末尾に「のだ」を置く後続の文に支えられることによって、ようやく文としての安定感と体裁を保っている。つまり後続の文に従属している。だから文というより従属節に近いといえるだろう。

この種の従属節っぽい文については、「ふつうの文がもつような完全なモダリティを備えておらず、文らしさの点でも典型的な文より劣る文」として、野田尚史「真性モダリティをもたない文」(1989年)で詳しく論じられているが、いま注目したいのは、「真性モダリティをもたない文」では「『~たい』『ほしい』などの人称制限」が働かないという重要な指摘である。一般的に従属節(や引用節)では人称制限が解除されるが、それと似たような効果がこの種の従属節的な文にも備わっていると野田氏はいい、次のような例文を掲げている。

何としてでも夢をつなげたい。中日と4・5ゲーム差がついた今、首位を争う“切符”を得るのはこの広島戦2連勝以外はない。巨人の気迫が広島にプレッシャーをかけた。(スポーツニッポン1988.8.17p.1)

(下線は原文では波線、太字は二重下線)

最初の文「何としてでも夢をつなげたい。」は「たい」で終わっているが、そのような願望・欲求を抱いているのは記事執筆者ではなく、「巨人」である。つまりこの文では、「たい」で終わる文に通常かかるはずの人称制限が働いていない(前回「他人の内面について断定的に述べることができる条件は、小説の地の文であること以外にもある」と書いたのは、このケースを指している)。

(1)における「宇崎ちゃんは遊びたい。」の場合も、文としての独立性の低下、文らしさの低下と呼応するかのように、通常「たい」に備わる感情表出のモダリティが弱まっているように感じられる。三人称と「たい」が共起しているのに違和感が薄くなるのは、おそらくそのためであろうかと思われる。ただ、「宇崎ちゃん」の文は、たとえ従属節っぽくあるとしても、南不二男氏の分類でC類にあたる相対的に独立性の高い従属節に相当する文である。よってモダリティも相対的に弱まっているにすぎず、典型的な「真性モダリティをもたない文」からは外れるともいえそうだ。だから(1)でもまだ違和感が残るという人も少なからずいるはずである。

ところで野田論文では、こうした「他の文に従属している」というパターンとは別に、もうひとつ「真性モダリティをもたない文」が「存在できる」条件が挙げられている。その条件とは、「文章・談話の枠に依存している」というものである。野田氏は、「文章・談話には、対話、講演、物語、随筆、日記、使用説明書などいろいろあるが、それぞれについて、その中に現れるモダリティに制約がある」と述べている。たとえば「作者が過去の事態を事実として描くだけの」、そういうタイプの「小説では、モダリティに関しても、命令・依頼や質問はもちろん、推量も現れない」。もし「推量の形式が現れる」とすれば、それは「作者の推量ではないと考えられるので、真性モダリティではない」。実例として示されているのは、連城三紀彦『暗色コメディ』から引かれた次の一節である。

バスが白い蒸気を吐いて走り去ると、白い破片が散乱する夜に彼ひとりが残された。碧川(あおかわ)宏は背宏の襟をたてると、停留所に備えつけられた待合用のボックスに入った。待合用といっても廂(ひさし)に守られただけの狭い場所である。それでも何とか雪を避けることはできた。粗末なベンチが街燈の薄い燈に赤錆(あかさび)と傷と落書を曝けている。ベンチの脇に花模様の女物の傘がたてかけられていた。まだ新品だからうっかり誰かが忘れていったものだろう

(下線は原文では波線)

野田氏は、このような「作者が過去の事態を事実として描くだけの」タイプの作品において「推量などのムードの形式が現れたときには、それは作中人物の推量というふうに解釈される」といい、これを「特殊な文学的な技法のひとつ」とみなしている。ここでひとつ疑問に思うのは、この下線部の言葉は、野田氏の主張に反し、「作者の推量」と考えることもできるのではないか、ということである。つまり、実際のところ、この作品は、「作者が過去の事態を事実として描くだけの」タイプではなかったと考えることもできるのではないか。作者(というより「語り手」というべきだろう)が推量を行う小説は珍しくない。例を挙げるまでもないかもしれないが――

島村が葉子を長い間盗見しながら彼女に悪いということを忘れていたのは、夕景色の鏡の非現実な力にとらえられていたからだったろう

だから彼女が駅長に呼びかけて、ここでもなにか真剣過ぎるものを見せた時にも、物語めいた興味が先きに立ったのかもしれない

川端康成『雪国』、太字引用者)

『暗色コメディ』を「作者が過去の事態を事実として描くだけの」タイプと前提するから、推量の形式が現れないはずだという判断が生まれ、また、仮にそれが現れた場合には「作者の推量ではない」という判断が生まれる、ということではないだろうか。そのような論点先取めいた前提を取り払えば、このような判断は生じないのではないかと思われる。

では「まだ新品だからうっかり誰かが忘れていったものだろう」という推量は実際のところ、だれが行っているのか。これはだれの視点から発せられた言葉なのか。この点については、砂川有里子「話法における主観表現」(2003年)の指摘にあるように、語り手と作中人物の「どちらの視点から語られているのかはっきりしない」と見るのが妥当であるように思う。砂川氏は高樹のぶ子『霧の子午線』から次の一節を引いている。

日曜日。沢田八重は狭いベランダを掃いていた。昨日希代子から電話があり、二晩の外泊で光夫が帰ってきたと連絡があった。

体がだるいのは朝薬をのみ忘れていたせいだろう。台所で立ったまま、サラビゾリンをのみこむ。

(下線引用者)

下線部について、砂川氏はいう。「この部分は、八重の体調について語り手が解説を付しているように読むことができる。しかしその一方で、八重の心内語が彼女のことばとして直接再現されているようにも読み取れる」。というのも「そのどちらかを決める語彙的・形態的指標を見いだすことはできない」。砂川氏は、このような文の使い方を「自由間接話法」と呼んでいる。もちろん、日本語には英語みたいな直接話法も間接話法もないのだから自由間接話法もへったくれもない、ということもできなくはないので、この場合、《日本語における「自由間接話法」》ということになる。

つまり『暗色コメディ』や『霧の子午線』の文は、真性モダリティをもたない、のではなく、真性モダリティをもつのか、もたないのか、はっきりしない、のである。こういった主客の明滅状態を指して、語り手と作中人物が一体化している、二重化しているといわれることがあるが、これを野田氏のように「特殊な文学的な技法」というのであれば、この「技法」は板坂元が前掲書でいうとおり「源氏物語の頃に完成して、今日まで踏襲されている」「千年前からの手法」である。しかし、砂川氏も「日本語の物語文体では、語り手のことばなのか登場人物のことばなのかがあいまいになり、どちらとも読みとれる以上のような表現が頻繁に観察される」というように、ことさら「技法」というほどのものではなく、日本語で書かれた物語の、いわば常態であり基調であるといったほうが実情にかなっているのではないか。日本の物語は、基本的にこの意味での「自由間接話法」によって書かれているとさえいっていいくらいだ(そのため、情景描写でなくとも、小説の冒頭部を読んだだけでは一人称小説なのか三人称小説なのかわからないことがよくある)。

こうした一体化・二重化は、言葉の帰属先を語り手と作中人物のいずれかに確定することができないという、いわば消極的な形において実現されているものである。しかし、砂川氏が「自由間接話法」と呼ぶ表現は、こうした消極的な形のものに限られない。積極的なタイプ、すなわち「なんらかの語彙や形態が指標になって」言葉の帰属先が明らかにされる場合がある。

この四月から、就学困難な児童のための(教科用図書の給与に対する国の補助に関する法律)が施行された。志野田先生はその補助を、クラスの三人の子供たちのために申請してやりたい。しかし新しい規定であるだけにその手続きが解らない。教育委員会へ出すのか民政委員に出すのか市役所に出すのか、まだだれも知らないらしい。

石川達三『人間の壁』から引かれた一節であるが、下線の文について砂川氏は、「感情・感覚・希求など、それを感じる主体にしか感じられない主観が現在形で表されていること、およびそれが三人称主語をもつ文であること、これらが指標となって(中略)自由間接話法と判定される」と述べている。ここまで来れば、小説中の「彼は悲しい(彼は悲しかった)」について「作者と小説中の『彼』が不分離の状態になったときのことで、純粋な三人称の文ではない」と板坂元がいっていることの意味が分かるはずである。板坂氏は、三人称小説の地の文において人称制限に抵触する文は、日本語におけるこのタイプの「自由間接話法」の文にあたるといっているのである。

先に見た主客の決定不能性に基づく「自由間接話法」に対し、こちらの「自由間接話法」は、文のレベルにおける主客の露骨な、あからさまな接合、融合の上に成立している。主観の直接的表出性が強く、一人称にしか用いられないはずの表現を、こうして無理やり三人称に当てはめることが醸し出す、主客のねじれのような違和感は、甘露統子氏のいうとおり、「語り」だとしても、やはり簡単には消えないようである。しかし、ここでひとつ留意しておかなければならないのは、日本の近代小説においては、むしろこの違和感こそが表現上の勘所になっているという事実である。消極的な「自由間接話法」が日本の物語の長い伝統を受け継ぐものであったのと違い、「彼は悲しい」型の積極的な「自由間接話法」は、中山眞彦『物語構造論』で示唆されているように、「日本語の物語文体が、西欧近代小説と接触した際に生じた波紋の中に」、その淵源を探り当てることができると思われる。いわゆる「言文一致」以降の日本の文学が、外国文学の生硬な翻訳に文体的・感性的な基盤を置いてきたことについては以前触れたことがある(二葉亭の「逐語訳」の「影響力」をめぐって - 翻訳論その他)。つまり文章のぎこちないことは、文学作品においては、マイナスの要素とならない。というか、大きなチャームのひとつだ。「信一は、笹島さんを彼女を恋して居る、この心持は段々にそれと自分に分ったが、信一は彼女をはっきりと思う工合になっても、この一ツの心持は誰れにも秘めてジッと堪えて居た」(瀧井孝作「結婚まで」)みたいな節くれだった文章が平気で受容される文学環境においては、「小説の神様」の文体の流れを引く平明な文章は、「凡庸なシンタックス」(大江健三郎私小説について」)などといわれてしまうことさえある。

そろそろ締めくくりたい。「『感情の直接的表出』というムード」(寺村秀夫)の強い表現を伴う文は、三人称の感情主が「は」等によって文中明示された場合、たとえ小説の地の文であっても、一定の違和感を喚起する。つまり小説の地の文だからといって人称制限が解除されるわけではない。ただ、小説においては、人称制限に抵触する文の喚起する違和感が、ある種の《良さ》として認知され、そのため許容されるということである。