「彼女は悲しい」は「she makes me sad」か?

これは後追いで知ったのだが、数日前、「Language learning influencer」を名乗るある人物のツイートが日本語学習者界隈をざわつかせた。SNS上では、その人の発言を肴に熱い議論が交わされており、なかにはずいぶん感情的なやりとりも見える。議論は匿名掲示板(4chanReddit)の方にも飛び火していて、とても全部を追うことはできない。英語が苦手なので、発言のニュアンス等、よくわからない部分もあるけれど、なかなか面白かった。

発端となったのは、gambsさんという方の次のツイートだと思われる。

日本語は自己中心的な言語である。たとえば主語を言わなければ、自分自身のことを言っていることになる。また、日本語では他人の心の中のことを言うことができない。たとえば「彼女は悲しい」と言うことはできない。いや、言ってもいいのだけれど、その場合、「she is sad」と言っていることにはならない。「she makes me sad」と言っていることになる。「彼女は悲しい」は基本レベルの言い回しだけど、ちゃんと理解していない学習者、まだ結構いるのではないか。

若干補足したところもあるが、大筋としてはこんな主張である。主に議論になっているのは太字にした部分で、この主張に対し、仕事で日本語に関わっている人たち、「日本語はネイティブ並み」を自称する人たち、英語に堪能な日本語ネイティブなんかが猛然と噛みつく。「私の妻は日本人だが、彼女はそんな事実はないと言っている」、「私は日本生まれの者ですが、『彼女は悲しい』は普通に『she is sad』ですよ。『she makes me sad』ではないです」、「あなたは本当に日本語ができるのですか?」、「頭だいじょうぶですか?」等々。

反論を受けたgambs氏は、自分の主張の裏付けとして学術論文その他いくつかの文章を挙げるが、「いや論文なんて知りませんけど?」という感じで相手にされない。

じつはgambs氏が主張の裏付けとして挙げるものの中に、私の書いたブログ記事へのリンクも含まれている。それもあって、ちょっと書いておこうと思った。

まず、「日本語では他人の心の中のことを言うことができない」という主張について。この主張に対し、言葉尻を捉えて反論することはできる。つまり、日本語では他人の心の中のことを絶対に言うことができないわけではない。一定の条件下では、それができる。たとえば文末にある種の表現(形容詞なら「のだ」、「らしい」、「ちがいない」等、判断や推量のモダリティを表すもの、動詞なら「ている」)を付け加えることによって、他人の心の中について述べることができる。助動詞「た」を添えることによっても、だいぶ自然な感じで言えるようになる(ただし金水敏氏がかつて指摘したとおり、文脈次第では不自然さが残る場合がある)。あるいは三人称小説の地の文でも人の内面のことを断定的な言い方で語ることができる。しかし、こういった点については、gambs氏もきちんと説明している。

(じつは他人の内面について断定的に述べることができる条件は、小説の地の文であること以外にもあるのだが、長くなるのでここでは触れない。)

日本語では「she is sad」と同じ意味を持つものとして「彼女は悲しい」という文は使えない、という見解についても、おそらく日本語話者の多くはgambs氏に同意するはずである(と信じたい)。「彼女は悲しい」という文に対して、たいていの日本語話者は違和感を覚えると思う。何の変哲もない言い方にも聞こえるけれど、どこか不自然な文だなあと。

しかし、不自然というのであれば、「(私は)悲しい」という言い方も相当に不自然である。日常生活において、こんなことを言う人はまずいない。芝居がかっている。だから、単に「不自然」というのとは別種の違和感が「彼女は悲しい」という言い方にはあると考えなければならないだろう。

「彼女は悲しい」という文がもたらすこの違和感は、「私は悲しい」と同じ意味構造、同じ意味合いでこの文を理解しようとしたときに生じるものである。「私は悲しい」で「悲しい」という気持ちを抱いているのは誰だろう? 「私」である。問題ない。では、「彼女は悲しい」で「悲しい」という気持ちを抱いているのは誰か? 「彼女」? でも、もしそう言いたいのなら、普通は「彼女は悲しそうだ」とか、「彼女は悲しいにちがいない」とか、「彼女は悲しいのだ」とか、そういう言い方になる。その方が自然だ。でも、なんで「彼女は悲しい」は不自然に響くのだろう?

この問いを、日本語学者や、日本語に詳しい言語学者や、文法学者にぶつけてみよう。帰ってくる答えはたぶんこうだ。それは「人称制限」というものがあるせいです――

日本語の感情形容詞文の感情主(感情の持ち主)に人称制限があることはよく知られている。すなわち、感情主は述語が断定形を取る平叙文では1人称、疑問文では2人称に限られるのである。

(1) 僕はとても悲しい。

(2) あなたは今悲しいですか。

(3) *花子はとても悲しい。

3人称を感情主とする断定文(3)は不適格な文である。

(益岡隆志『日本語文法の諸相』、2000年)

日本語では、感情や思考のような人の内的状態を表す文において、その主語の人称に制限がある。例えば、以下の(1)(2)は感情形容詞文であるが、三人称主語で言い切りの形を取っているので、不自然な文とされる。

(1) *彼はうれしい

(2) *花子は悲しい

このような現象は、感情形容詞の人称制限と呼ばれ、広く知られている。

(甘露統子「人称制限と視点」、2004年)

つまり、「彼女は悲しい」という文の不自然さは、日本語の感情形容詞文の人称制限というルールに違反していることに起因する不自然さであると、ひとまずは考えてよいと思われる。

しかし!

注意すべきことがある。上で「日本語話者の多くはgambs氏に同意するはずである」、「たいていの日本語話者は違和感を覚えると思う」と書いたが、これはつまり、感情形容詞文に人称制限のあることを意識しない日本人もどうやら存在するらしいからである。

a. 私ハ犬ガコワイ

b. ?アノ子ハ犬ガコワイ

寺村秀夫氏は、『日本語のシンタクスと意味II』(1984年)の中で、「人称制限」の例として上の文などを挙げた後、こう述べている。「a.は当たり前の文だが、b.は(中略)おかしいと感じられる。(中略)もっとも最近では、b.に類する表現をおかしいと感じないという若い学生がいる。ここでは、ふつうの日本人はb.をおかしいと判定する、という前提で話を進める」(太字引用者)

じつを言えば私も、「彼女は悲しい」という文には違和感を感じるが、「アノ子ハ犬ガコワイ」という文には、あまり違和感を感じない……。それはそれとして、日本語では「彼女は悲しい」と言えないというgambs氏の主張は、「言えない」という言葉を必要以上に強くとらない限り、「ふつうの日本人」が同意するはずの、まったくもって正しい見解であると言えるだろう。日本語では、「彼女は悲しい」という文を自然な表現として使うことはできない。

さて、ここまではいい。つまり、ここからが問題。

「she is sad」と同じ意味あいで使われた場合に不適格な文になる「彼女は悲しい」は、「she makes me sad」という意味あいで使われれば適格になるのか? 端的に言えば、「彼女は悲しい」は「she makes me sad」という意味になるのか?

SNS上では、「彼女は悲しい」はたしかに日本語として不自然な表現であるが、だからといって「she makes me sad」という意味にはならないだろう、という意見が日本語ネイティブの間に散見される。正直、私もそう思った。「彼女は悲しい」を「she makes me sad」と解釈するのは無理なのではないか?

これは、gambs氏が参照しているブログ記事に書いたことの繰り返しになるけれど、「悲しい」、「嬉しい」、「楽しい」、「怖い」といった感情を表す日本語の形容詞には二つの用法がある。その記事では次のように説明した。

(この種の形容詞には)情意を主観の内側から表す場合と、対象の外面的な状態ないし属性として表す場合を区別できる。例を挙げた方がわかりやすい。たとえば「さびしい」という形容詞ではこうなる。

 

私はさびしい

この町はさびしい。

 

上の二つの文は意味構造が異なる。「私はさびしい」で「さびしさ」を感じているのは発話者の「私」だが、「この町はさびしい」で「さびしさ」を感じているのは「この町」ではない。発話者である。発話者が「この町」の状況(ひとけがない、さびれている等)を観察して、そう表現しているのだ。

ここでひとまず、前者の使い方を「主観用法」、後者の使い方を「客観用法」と呼び分けるとすれば、日本語の場合、情意形容詞の「主観用法」は、一人称の場合にしか成立しない。たとえば、「あの人はさびしい」という場合、発話者が「あの人」の内面に入り込んで「あの人」の感じている「さびしさ」を取り出して表現していること(主観用法)にはならず、普通あくまで外側から「あの人」の状況を見て、発話者自身が「さびしさ」を催している(客観用法)ものと理解される。つまり、「あの人はさびしい人だ」という意味になる。

「He is sad」と言えても「彼は悲しい」と言えないことをめぐって - 翻訳論その他

「主観用法/客観用法」というのは私の造語であり、一般的に使われている言葉ではないけれども、情意形容詞の働きに両面性があることそれ自体については、時枝誠記はじめ多くの人がすでに指摘していることであって、とくに珍しい話ではない。

これに関連して、「この町はさびしい」が「this town makes me feel lonely」みたいな意味になるといったことは無生物主語の場合に限られるという趣旨の発言も目にしたが、そんなことはない。たしかに、「は」の前に来る要素が人(someone)なのか物(something)なのかという区別は大事だと思う。けれど、この位置に人が来ても客観用法が成り立つケースはいくらでもある。ひとつだけ例を挙げる。

私は楽しい。I am happy. / I have fun, etc.

彼は楽しい。He makes me happy. / He makes me laugh. / He entertains me...

gambs氏も、うまい例を挙げている。

私は怖い。I am scared.

彼は怖い。He scares me.

「私は楽しい」が「I am happy」という意味であり、「彼は楽しい」が「he makes me happy」の意味であるのなら、その類推で、「私は悲しい」=「I am sad」、「彼女は悲しい」=「she makes me sad」と考えるのは理にかなっている。

しかし!

注意すべきことがある。それは、情意形容詞の用法には「主観用法」と「客観用法」の二つがあるといっても、すべての情意形容詞について、この二つの用法がうまく成り立つわけではない、ということである。

たとえば、上で「楽しい」という形容詞について二つの用法を見たが、似たような意味を持つ「嬉しい」では客観用法による解釈がうまくいかない。「彼は嬉しい」は「he makes me happy」という意味にはならないのだ。

「彼は嬉しい」という文は、「he is happy」という意味で理解しようとすると違和感がある。しかし、だからといって「he makes me happy」という意味になるわけではない。この文の場合、客観用法の解釈(「he makes me happy」)が起動せず、ただの不自然な文、違和感のある文、あるいは「*彼は嬉しい」で終わってしまうのである(ただし、「は」の前に来る要素が物であれば、客観用法による解釈の容認可能性が高くなる。例:「このプレゼントは嬉しい」=「this present makes me happy」)。

そして「悲しい」という形容詞もまた、この「嬉しい」と同様、「は」の前に人が来る場合において客観用法が成立しにくい形容詞なのである!

しかし!

gambs氏がその主張の支えとして掲げる画像のひとつに、次の一節が見える。

a.  私は寒い。

b.  #母は寒い。

c.  母は[寒がっている/寒そうだ]。

This restriction on psych predicates and their potential subjects is so inflexible that when the predicate is polysemous, the function of the subject necessarily shifts to conform to this restriction. In (d), kanashii indicates that the subject is sad (subject = experiencer). In (e), by contrast, the mother is the stimulus/source that causes the speaker’s sad feeling, ‘Mother makes me sad’, not ‘Mother feels sad’, which violates the constraint.

d.  私は悲しい。 I feel sad.

e.  母は悲しい。 Mother makes me sad.

「e. 母は悲しい。 Mother makes me sad.」とある。この画像の元になった文書は、言語学者Yoko Hasegawa(長谷川葉子)氏の著作『The Routledge Course in Japanese Translation』(2012年)である。

引用部でHasegawa氏の述べていることは、次のようなことだ。

心理述語と、その取り得る主語に関する日本語の制約(つまり「人称制限」)は非常に厳しく、簡単に曲げることができない。だから、述語が多義性を有する場合には、主語の役割について解釈がなされる際、必ずこの制約を満たす解釈が選ばれる。たとえばd.の場合、主語の「私」は悲しみを抱いている主体と解釈される。対してe.のケースでは、主語の「母」は発話者「私」の抱く悲しみを引き起こす原因と解釈される。つまりe.の文は、「母は私を悲しませる(Mother makes me sad)」という意味になるのであって、「母は悲しみを抱いている(Mother feels sad)」という意味にはならない。なぜなら後者の解釈では前記の制約に違反してしまうからである。

「母は悲しい」という文は必ず「母は私を悲しませる(Mother makes me sad)」という意味に解釈されるとHasegawa氏は言っているわけだから、「彼女は悲しい」という日本語文は「she makes me sad」という意味で理解すべしというgambs氏と同じ見解であると言っていいだろう。

Hasegawa氏の理屈はよくわかるのだ。でも問題は、「悲しい」が「polysemous(多義性を有する)」述語に当たるかどうか、ということである。というのも私には、「母は悲しい」という言葉が「母は私を悲しませる」という意味で使われる場面、状況、文脈をうまく思い浮かべることができない。やはり「母は悲しい」は「Mother makes me sad」という意味にはならないのではないか?

と、書こうとした矢先(いや、書いたのだが)、なぜか隣の部屋からSuchmosの「STAY TUNE」が聞こえて来て、私の拙い考えは一瞬にして覆ってしまったのであった。回心した、とさえ言えるかもしれない。アウグスティヌスの「取りて読め」じゃないけれど。

「ブランド着てるやつ」は悲しい。

「Mで待ってるやつ」は悲しい。

「頭だけいいやつ」は悲しい。

「広くて浅いやつ」は悲しい。

なるほど。コツ(?)がわかった。こういうのはどうだろう。

母はグッチとかシャネルとかブランドものの服ばかり着ている。私の好きなGUの服になんて見向きもしない。格好いい服もたくさんあるのに……。母は悲しい。悲しすぎる。

こういうのも思いついた。

SNSで日本語学習者の使う日本語を馬鹿にする日本語ネイティブは悲しい。

このへんで切り上げることにする。ちなみに私の妻もたまたま日本人だが、彼女に「『彼女は悲しい』って言い方、不自然だよね?」と聞いてみたところ、「どこが?」と言われた。「日本人の妻」に聞くってのが、そもそも間違いなのかもしれない。

天皇制と日本語

 

生来の日本語話者の一群が一群のレベルで折に触れて表出する日本語への異和感は、「いいたいことがうまくいえない」といった言語表現をめぐる普遍的な問題とはおよそ異質なものである。言語が言語であることに由来する、この手のありふれた不満は、その突き詰められた先で、もっぱら例のあの「語りえぬもの」に関係している。しかし、山城むつみは「何を読み、何を書いても、最終的にはどこかしら虚しい」(「文学のプログラム」)というのだ。「毒」(中上健次)は、どうやら日本語での読み書きの全体に回っている。「ドップリ漬かってる」とはそういうことだ。

たとえば丸谷才一鈴木孝夫をはじめとする多くの人たちが、志賀直哉の「国語問題」の文章における明晰さの欠如を指摘する。「こんな調子で書けば(中略)フランス語で書いたつて、ろくな文章はできるはずがない」(丸谷)。「もし同じ議論を英語なりあるいはフランス語で書いたとしても、あいまいで支離滅裂な主張になることを私は疑わない」(鈴木)。しかし、では、明晰に書けば「国語問題」は解決するのだろうか。「何を読み、何を書いても、最終的にはどこかしら虚しい」と山城のいう、こうした虚しさは、それによって解消するのだろうか。むしろ日本語を使う日本人は、明晰に書かれたものをそのまま明晰に書かれたものとして受け取ることができない、そのような条件のもとに置かれているのではないか。

漢文訓読という営為の奇妙さは、だれでも感じているはずのものである。ところが、この奇妙さを言い当てようとすると、どうしたわけか、うまくいかないのだ。そのせいか、「訓読は翻訳の一種である」と、さらりと定義して済ます者たちが少なくない。けれど、漢字をところどころひっくり返して読むという単純な操作だけで、なぜそれが和文として理解できるようになるのか。なぜこんな奇妙な読み方が成り立つのか。なぜ訓読において外国語を読んでいるとも自国語を読んでいるとも容易にいえないような気色の悪い絡み合いが生じるのか。「訓読は翻訳の一種である」だとか「訓読は一種の訳読である」だとかいう場合の、この「一種」という留保に映り込んだあいまいさの影に真正面から向き合おうとする試みに出会うことは意外なほど少ない。「なぜ、何のためにこのような奇怪な読み方をする必要があったのか」という、山城むつみの問いは、こうした翻訳であるとも翻訳でないとも断定しがたい漢文訓読の二本の蔦のように絡み合った性格を前にすれば、ほんとうは誰でも抱くはずのものである。それなのに訓読の謎についてきちんと考えようとすれば、いまなおこの山城が九十年代に書き記した数編の論考にあたるしかないといっていいのだ。

小林秀雄津田左右吉という、やはり例外的存在といえる二人の文人が訓読に向ける視線を自己の目に奪い取った山城の、「訓読は読むための考案ではなく、書くための考案だった」(「文学のプログラム」)という目的論的な見解は穿ち過ぎており、端的に間違っていると思われるが、その周辺に散見される諸々の指摘には、些細な瑕疵を補って余りある貴重な洞察が含まれている。

古代、書くとはすなわち漢文を書くことであったような頃、やまとことばで語っていた日本人も、だから書記行為に及ぼうとすれば、外来のこの文字とこの構文にできる範囲で書くしかなかった。「ここにはチグハグな奇体さがある」と山城はいう。「不自然な異和」ともいっている。こうした書くことに伴う「異和」は、「訓読について」で山城自身がいうように、日本語に限らず「世界の何語に属していようと、書くことが本来的にもたされている質」であるはずだ。しかし山城の考えでは、日本語においては、こうした書くことにまといつく本質的な「異和」を解消するための仕組みが設けられているのである。その仕組みこそが訓読である。山城はそういう。

出発点は、一定の漢文から一定の訓みを機械的に引き出すための体系的な規約を編み出すことであった。このような規約は、それがあれば、それを反転させることにより、一定の和文を一定の漢字の連なりで表記することができるようになる。このようにして表記された文は、「形の上では漢文を保存しながら実質的には和文と化している」。つまり、「漢文=和文」という、密着的な言語の形が、やまとことば話者に獲得される。これにより漢字漢文に由来する「異和」が解消するというのは、漢字漢文で書くことが、この仕組みを通じて、そのまま和語和文で書くことのほうへと、オセロの駒のようにパタパタと裏返されていくからである。訓読に対する山城の基本的姿勢は、この反転のプロセスを、最初から日本文の生成を狙って仕組んだものと考えることにある。これに対する反論は、やまとことば話者(原住民)にとって書くことの原初が漢文で書くことであれば最初から和文を書こうなどという考えが生まれたとは考えられないこと、また、日本列島内での文字表記着手のイニシアティブを握っていたのが原住民ではなく大陸・半島からの渡来人であったと考えられること、また、漢文と和文とを一義的に連結する体系的な規約は訓読のはじまりには存在していなかったこと等々を考えあわせると、比較的容易な作業のように思える。ここでは「日本における散文の成立は(中略)漢文訓読の余得とみるべき」(亀井孝大藤時彦山田俊雄編『日本語の歴史2』)という考え方をとっておきたい。

さて、この二重の所属において、新たな緊張の種子が宿ることは不可避であるだろう。つまり、それが和文としか書かれたものであるのか、漢文として書かれたものであるのか、形の上からは区別ができなくなる。山城によれば「この緊張が訓読というプログラムの初動となった」。具体的には、漢文のシンタクスからの離脱と、てにをは構造の明示化に向かう、和文性の開示に向けた運動がここから発動する。山城は、変体漢文から始めて、史部流、宣命書き、古事記、和漢混淆文、そして近代日本文に至るまでの書記形態の、その方向での変遷を、おおよそ歴史的な時間軸に沿って追うようなそぶりで示しているが、これらの形態はあくまで理念型として取り出されている。これについては山城が付言しているとおりだ。その主眼は、「訓読のプログラム」が現代の日本文においても作動しているという点に置かれている。この主眼を踏まえると、日本語の書記形態が、その中和的効能を維持するため形成途上で招き寄せてきたさまざまな水準の交雑も、現在の日本語文にそのまま尾を引いているという考えが自然に導出される。

交雑の第一は、文字の水準における漢であることと和であることの癒着である。「漢字は、わが国に渡来して、文字としてのその本来の性格を変えて了った。漢字の形は保存しながら、実質的には、日本文字と化したのである」(『本居宣長』)と小林秀雄のいうように、和訓は和漢の文字形態上の同化を実現した。この同化はしかしあくまで形態上のものであって、同じ個所で小林のいうような、漢字に「同じ意味合を表す日本語を連結する」というような単純なものではない。もっとも小林はすぐあとで「形がそのまま保存されている以上、漢字としての表意性は消えはしないだろう」と正当な考えを述べている。これは重要な指摘であるといえ、後の機会に詳しく見たいと思うが、いまはまだそのときではないので、第二の交雑に移ろう。これは読むことと書くことの混淆である。和文の成立に先立って訓読の成立があった。これを小林秀雄山城むつみのように「和訓の発明という、一種の放れ技」と見るべきか「余得」と見るべきかはひとまずわきによけて、ここから引き出せることを引き出しておくと、山城のこういうとおりになる。すなわち、「日本語においては『書く』という行為がそれ自体では成立しえず途中で消失しており、『よむ』という行為によって引き受けられることによってしか成立しなかった」のであるから、「現に書かれ読まれているにもかかわらず、厳密には『書か』れてもいなければ『読ま』れてもいないという可能性が日本語には大いにある」。具体的な例は、石川九揚『二重言語国家・日本』の中から拾い上げることができる。石川の挙げる例は、少し単純すぎると思われるかもしれないが、そのぶんわかりやすいというメリットがある。

たとえば「春雨来る」と書かれているときに、「はるさめくる」と「シュンウキタル」との間では意味が異なるにもかかわらず、その違いを無視して読まざるをえないというあいまいさが日本語には避けられず、その幅の容認を強いられ、その部分を空白=〇(ゼロ)記号のままに放置しなければならない。それを克服する道はルビによって読みを与えることであろうが、印刷文がルビを失った、おそらくは戦後から、その曖昧度は進行した。否、それ以上に、ルビなどなくてよいとするあいまいさがあいまいさを加速したとも言えよう。微妙・繊細な性質をもちながら、かつその微妙・微細に名をつむり空白にすることを強いられるという、怪しげな二重性を日本語は強いてもいるのである。

書くことと読むことが相対する構え、書かれたものが読まれるという単線的な図式、これが日本語の場合、成り立っていない。換言すれば、書くことの主導性が読むことに半ば奪われているということだ。

山城の文章から取り出せる三つ目の交雑は、〈書く〉と〈語る〉のあいまいな連合、あるいは言と文との表見的絡み合いである。これは物語と制度の、中上健次のいう「癒着」の局面で発火する。たとえば古事記の文体(かきざま)について、山城は、これが「一種の言文一致の試み」にあたると述べている。

たとえば『古事記』が表記において凝らした実験は言文一致の試みに似ている。中国語に影響される以前の固有の日本語(古言=古事)、それも歌や祝詞のような特殊なことばではなく、ごくふつうに話された平明な日常語の「ふり」や「姿」をうつそうとしたという意味において、『古事記』は一種の言文一致の試みである。むしろ、それは、散乱する文字の諸価値を標準化し、文固有のマテリアルを創出することである。眼目は音の再現(再生)ではなく、文のレベルの生成なのである。

(「文学のプログラム」)

勘どころは、このようにして創出された「文固有のマテリアル」が、次のとおり、言文一致の効果としてある〈言〉の質にべっとり覆い尽くされることを通じて、書かれた端から「中性化」され、その実質を次々きれいに抜き取られ、あるいは打ち消されていくということである。

和「文」は、たしかに外形においては書かれるが、にもかかわらず、書かれたもの(エクリ)であるという質を自ら抹消し、実質的には、語られたもの(パロール)という質を暗示する。それは現象的には書かれても、本質的には書かれていない。書かれていながら、書かれていないというこの奇妙な属性こそ和「文」の特徴である。「文」とは、いわば文(ブン)を中性化して文(アヤ)となしたものである。ここで文(アヤ)とは、詞が派生する詞ならざるもの、すなわち言語が文字通りの意味以外に生成する非言語的な意味のことである。

(同前)

このような文の実質の自発的、自動的なマスキングによって「文(ブン)」から「文 (アヤ)」に変貌した書記形態において、「文字通りの意味」とは別様の「非言語的な意味」が「生成」する。つまり、「文(アヤ)」のレベルにおいて生じるこの「非言語的な意味」が「文(ブン)」のレベルにおける字義性に覆いかぶさり、それを窒息に追いやっているということである。

この山城の議論は、言文一致の効果を制度の身元保証に見た中上健次の見方を裏面から更新するものであるといえる。中上と同様、山城の念頭にあるのも、日本の書き言葉と天皇制の結託である。古事記に代表される「和『文』の地平の開設は上代天皇制のイデオロギーと不可分の関係にある」と山城はいい、「『古事記』が上代天皇制のイデオロギーとして機能したとすれば、それは皇統を神話化するその内容のためではない。それが和『文』として書かれたその形式のためである」と断定している。こうした形式主義的な転回が山城の議論の山場を形作っていることは否定しがたい。しかし、以下の論述を読む者はだれでも、そこにさしかかるまでの論述にはたしかに見られなかった停滞が、そこからにわかに広がりだしていることに気づかざるを得ない。

外国の文字を受容することは、とりわけ文字の体系を持たない共同体にとっては、強烈な異和を伴う出来事となる。その異和(外傷)は精神障害(たとえば神経衰弱)を引き起こす。だが、日本においては、文字あるいは文がもつこの種の危険性は中和される。訓読というプログラムに即して文(アヤ)のシステムが構築されているからである。漢字や漢文を、その形は保存したまま、実質的に日本文字、日本文と化すことによって、それらが外国の文字や文であることから来る強烈な異和感は巧みに中和されてしまうのである。このことは、結果的には「やまと心」や「やまと魂」が一般的に流通する領域が、外来の文字により拭い去れない危機的なダメージ(外傷)を被ってしまわないよう、これを保護するかたちになっている。

(同前)

ようするに、「訓読のプログラム」の発揮する中和力のおかげで、「やまと魂」や「やまと心」といった言葉を拠り所とした天皇イデオロギー言説が、受け手の「日本精神」に障害を与えることなく普及するという、ちょっと拍子抜けするような話である。そして同時にこれは、ちょっとへんな話でもある。というのも、言説の流布に際しての心理的ストレスを限りなく減らすというようなことが「訓読のプログラム」の効果なのであれば、たとえば天皇制に反対する言説も、天皇イデオロギーと同じように円滑に流通することになるのではないかと考えられるからである。もうひとつ、山城はこうも書いている。「訓読のプログラムは『古事記』を始めとする上代の文献においてのみ作動しているのではない。それは、いわば遺伝子として今日の日本「文」の装置のうちにも伝達されている。その機能は依然として健在であり、上代と同様、現代の天皇イデオロギーのジェネレータとなっている」。書き言葉を支配していたのが制度側の人間に限られていた古代であれば、書かれた言葉を制度的言説で埋め尽くすこともできるだろう。しかし、現代では書きたい人はだれでも書くことができる。この山城の分析では、「訓読のプログラム」は現代の日本文にも受け継がれているのであるからこの形式を撃たなければ天皇制は克服されないという肝心の指摘が宙に浮いてしまうのではないか。

天皇制と訓読の関係をめぐる、こうした拍子抜けの感覚は、「文学のプログラム」の数か月後に著された論考「訓読について」を読むとさらに強まる。山城は、柄谷行人が引用するソシュールジュネーヴ大学就任講演」の一節を参照している。言語の死は常に「外的な原因」によると語るソシュールは、その原因として二つのケースを挙げている。ひとつは「それを話す民衆」が「根絶やしに」されるケース、そしてもうひとつは「強力な民族が自分の特有語を新たに押し付けてくる」ケースである。ただし後者の場合、「政治的支配ではだめであって、まず文明の優位ということが必要です。しかも文字言語の存在はしばしば不可欠で、それが学校、教会、役所、要するに公私にわたる生活路の全体をとおして押しつけられるわけです。こんなことは、歴史のなかでは数えきれないくらい繰りかえされています」。山城は後者のケースを日本の古代にそのまま投影して、いっている。「政治的、経済的、軍事的な力」を備えた特定の氏族が、「みずからの俗語を全国に普遍的に流通させ」、それによって他民族を「内面からイデオロギー的に支配する」には、「政治的、軍事的な力に加えて文字言語の力が不可欠なのである」。そして、

じっさい、のちに「天皇家」となる有力氏族が、その武力と政治力を背景に、みずからの俗語を「日本語」として押しつけ、他の諸俗語を圧死させ、その担い手であった諸氏族を内面からイデオロギー的に支配できたとすれば、それは、みずからの俗語を漢文という文字言語と密接に関係させることに成功していたからである。外圧的な力のほかに文字言語の力を背景としていたからにほかならないのである。

私の考えでは、それを可能にしたのは訓読という工夫である。訓読は、その有力氏族が、古代中国帝国から輸入された文字言語を、自らの俗語に関係させ、いわば後光としてその力を取り込んでいくための装置なのである。

(「訓読について」)

ここらへんに見えるのは、思考の停滞というよりむしろ後退というべきものである。言語の強制によって「内面からイデオロギー的に支配」することが可能という安直に思える発想が暗黙の前提になっているが、それよりも問題は、ここにいわれるような支配力は、「書かれた文から文としての物質的価値を消去してしまう」だとか、「『書く』ことの質を無化してしまう」だとかの訓読の働きとはすでに無関係な、「後光」という単純きわまりないところにまで沈み込んでいるということである。文字言語の「後光」というのなら「異和」は解消されていないということになるのではないか。また、「後光」程度のことであれば「訓読のプログラム」といった手の込んだ概念装置を用意する必要はなかったのではないか。「こんなことは、歴史のなかでは数えきれないくらい繰りかえされています」。和文に特徴的な複合的性格やそのシステムの生成過程、訓読の中和力等々に鋭く迫っていく考察からの、これは明白な後退であるといえる。漢文訓読という奇妙な仕組みの奇妙さへのすばらしい粘着を起点に開始された論述が、こんなふうに尻すぼみに終わるのは、訓読の成立に対する目的論的な見方に内在する、ある弱さのあらわれなのではないか。これに似た弱さは、天皇の書き言葉と、賤民の話し言葉、語り言葉との自動的な対立に依拠した中上健次の発想にもあった。七十年代の半ば頃、篠田浩一郎「天皇制と日本語」あたりに端を発すると思われる、日本語を天皇制の問題と絡めて問うやり方には、俗流に解釈されたサピア=ウォーフ仮説にも似て、どこかひきつけられるものがある。でももしかすると天皇制と日本語の結び付けそれ自体、中上健次の言葉を借りれば、「根源的な暴力みたいなものによって仕組まれてるんじゃないかって、気がする」。

さて、山城の議論に見える後退は、後退の始まった地点にまで面倒がらずに遡行し、そのとき選ばれなかったほうに細く伸びていく道を選ぶという単純な、あるいは機械的なやり方で意外にも簡単に回避することができそうだ。やりなおしの問いは、こんなふうに立てられるだろう。訓読は、書くことにつきまとう異和を中和することによって「日本精神」を保護する、そういう装置なのではなくて、むしろ書くことの異和を読み書きの全体に波及させることを通じて「日本精神」を絶えず新たに生み出し続ける発生の装置なのではないか。この装置は、異和においてしか存在しえない――漢心の否定によってしか、漢心の影としてしか存在しえない――「やまと心」のため、常に新たに異和をこしらえあげる装置でもあるはずである。さらにここからたぶん、もうひとつ、やりなおしの問いを立ち上げることができる。訓読の問題の核心は、山城むつみの考えるような形式の次元にではなく、天皇制の擁護だとかいった伝達内容の次元にでもとうぜんなく、厳に意味作用(シニフィカシオン)の次元に存するのではないかという問いである。たとえば山城は、すでに見た三つの意味論的交雑の三つ目について述べる箇所で、「言語が文字通りの意味以外に生成する非言語的な意味」に言及しているが、このような意味ならぬ意味が発生するメカニズムのことを、形式の面に重点を打つ山城の、「音声的な価値である」が同時に「音声的な価値のことであるとは言えない」という矛盾めいた文(アヤ)をめぐる記述は、じゅうぶんに解き明かしていないように思える。

〈言〉を僭称し〈和〉を搾取する言文一致の〈文〉は、「文字通りの意味」の上に「非言語的な意味」の覆いを被せ、それを次々と無害化していく。中上健次のいう「衰弱した、飾りばかり多なってしもうた書き言葉みたいなもの」が、山城むつみのいう「書かれた文(ブン)のおもてに派生する、もはや文(ブン)ならざる彩り」(「文学のプログラム」)が、「本当の言葉の重み」を巧みに打ち消し、「つらい」という言葉、「寒い」という言葉から「つらい」の実質、「寒い」の実質を抜去する。明晰さをひたすら虚しさに追いやるこの条件、字義を「アヤ」に組織的・機械的に転換していく歪曲の力、隠蔽の力、諸力。しかし、これらの力は、いったいどこからくるのか。その源泉は何であり、また、どこにあるのか。訓読とはつまるところいったい何なのか。

解釈の独善性について(3)

 

さて、桜庭一樹氏は②の記事に掲載された見解の冒頭で次のように断言している。

私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています。

ここを読み、大きく分けて二つのことを思った。その第一は、こういうことである。「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し(中略)たことが描かれています」というが、この作品には躊躇なくそう断言することを可能にする記述が極めて乏しいのではないか。いや極めて乏しいどころか、皆無であるのではないか。というより、そのような場面を描くことは、この作品の設定からして原理的にほぼ不可能であるとさえ言えるのではないか。なぜなら、すでに記したとおり、「少女を埋める」は一人称小説であり、かつ、語り手を務める主人公の冬子は二十年に及ぶ老老介護の現場にほぼ居合わせていなかったからである。つまり介護中の両親の具体的な常況は語り手には語り得ない事柄に属する。いわゆる「移人称小説」であれば話は違ってくるが、この作品はそうではない。したがって、冬子がそれについて知り、語るには、両親の身近にいて事情に通じた第三者から話を聞く、あるいは隠しカメラを設置するなどする必要があると思われるが、しかし、この小説にはそのような場面は存在しない。つまり――②における桜庭氏自身の言葉を借りて言えば――「そのようなシーンは、小説のどこにも、一つもありません」ということである。したがって、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病」云々というのは――やはり②における桜庭氏自身の言葉を借りるが――「実際の描写にはない余白のストーリーを想像」したものにすぎないと言わなければならないのではないか。そしてそれが「想像」であるからには――桜庭氏自身が述べるように――「主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない」のではないか。

②において桜庭氏は、かなり不可解な振る舞いをしているように見える。不可解というのは、何より桜庭氏が上記のような自家撞着を、すでに作品を読み終えた読者に対して取り繕う気がみじんもないように見えるからである。このことの不可解さは、相手方の鴻巣氏が自身の想像の妥当性について、③を書いて公開することを通じ、作品を読んだ読者にも通用する体で証明しようと試みていたことに比べてみれば、いっそう際立ってくる。しかも、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し(中略)たことが描かれてい」ないことは、「夫の看護を独り背負った母」が「弱弱介護の密室で」「夫を虐待した」ことが描かれていないことと同程度に、あるいはそれ以上に明白な事実であるように思える。一篇を読み通せばだれでもそのこと、つまり「献身的」な「看病」の場面が不在であることに思い至らざるを得ないのである。

しかし少し冷静になれば、作者のこの振る舞いが、じつはいささかも不可解ではないことが見えてくる。

作者は、「少女を埋める」の続編とみなし得る作品「キメラ――『少女を埋める』のそれから」(文學界11月号、以下「キメラ」と呼ぶ)の中で、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていた」というのは「故郷に向けて単純化した言葉と表現」であり、その「前半はとくに文学の共同体に向けて綴られた言葉ではな」いと語り手に語らせている。この「単純化」ということについては、桜庭氏本人も、冒頭に引用した一節と同趣旨の音声メッセージ(「私は今月、自伝的な小説を発表しました。主人公は自分をモデルにした人物で、ほかに、病気の夫を献身的に看病した母、夫を深く愛していた女性としての母も出てきます」)をTwitterに投稿した直後、「伝わりやすいように言葉や表現を単純化した部分があります」とツイートしている。とはいえ「単純化」とは一体どういうことなのか、その具体的内容については作者、作中人物とも一切言及していない。「単純化」しないで言うとどうなるのか、その点に関しても両者はまったく言葉を費やそうとしない。だから「単純化」の内実については何もわからないとしか言いようがないのであるが、しかし、わかることもある。②における桜庭氏の言葉が、すでに「少女を埋める」を読み終えた人間、そしてこれから読んでみようと考えるような人間には向けられていないということ、そのことがわかる。その言葉が向けられている対象は、この作品をまだ読んでおらず、また、これから読むつもりもさらさらなく、かつ、朝日新聞に書いてあることは何もかもぜんぶ真実だと頭から決めつけている人々、とりわけ――「キメラ」で言われるように――作者の故郷に暮らす「高齢者」たちなのである。この点に関してはいささかも疑う余地がないと思われる。

そもそも桜庭氏が文芸時評に異議を唱えたのは、単に一人の文芸評論家によって自作を誤読されたからではない。自作の誤読に基づく評が「朝日新聞」という「数百万部発行の巨大メディア」(②における桜庭氏の言葉)に掲載されたことにより、同紙には本当のことしか書かれていないと妄信する「故郷の高齢者」たちの間で母親についてあらぬ「噂」が広がることを懸念したからである。したがって、桜庭氏が朝日の記事においてこのような読み手の限定を行ったこと、また、「噂をきっぱり否定するため」(「キメラ」)、時評に記された「虐待」という言葉との対照の際立つ「献身的に看病」という文言を自家撞着を厭わず敢えて入れたことは、不可解どころか、むしろ所期の目的に照らして極めて合理的な行動であったと言わなければならないだろう。念のため言い添えておけば、「小説のどこにも、一つも」ない場面について「想像」で書くことは、朝日新聞においてはすでに公然と認められている。

以上が第一に思ったことのあらましであるが、これに関連し、あらすじと解釈の区別という問題についても少し考えたことがあるので、書いておきたいと思う。

桜庭氏は同じく②において次のような見解を表明している。

小説の読み方は、もちろん読者の自由です。時には実際の描写にはない余白のストーリーを想像(二次創作)することもあり、それも読書という創造的行為の一つだと私は考えます。しかしその想像は評者の主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない。それは、これから小説を読む方の多様な読みを阻害することにも繋(つな)がります。

先に部分的に引用してもいるこの一節において、桜庭氏は、「あらすじ」は《書いてあること》によって構成すべきであり、《書いてないこと》についてなされた「想像」は「あらすじ」に含めてはならず、「解釈」として提示しなければならないと主張している。つまり「あらすじ」と「解釈」の区別を《書いてあること》と《書いてないこと》の区別に関わらせている。同様の主張は「キメラ」においては、より簡潔な言い方でなされている。「作品に書かれていたことはあらすじとして、読んで自分が想像したことは解釈として分けて書く」。桜庭氏が《書いてあること》と《書いてないこと》は客観的かつ明確に区別できるという考えを自明の前提としていることは明らかであるように思われる。しかし、この前提は、それほど自明なものと言えるだろうか?

そもそも《書いてあること》と《書いてないこと》を客観的かつ明確に区別できるのであれば、今回のようなことは起こっていなかったはずである。というのも鴻巣氏は介護中の虐待を《書いてあること》の範疇に繰り込んでいるに違いなく、だからこそ「あらすじ」にも組み込んでいたはずである。したがって《書いてあること》と《書いてないこと》の区別に基づいて「あらすじ」と「解釈」を区別すべしという桜庭氏の主張は、異議申立ての方法としてあまり有効ではないように思える。繰り返すが、鴻巣氏は主観的にはそうした区別を正しく遂行したつもりでいたと考えられるからである。

ここはひとつ別の事例で考えてみよう。ウィキペディアには「ボヴァリー夫人」が立項されているが、その記事を読むと、「『ボヴァリー夫人』(中略)は、フローベールの長編小説で、19世紀フランス文学の名作と位置づけられているフローベール自身の代表作である」との(機械翻訳的にやや拙い)記載があり、続けて「田舎の平凡な結婚生活に倦怠した若い女主人公エマ・ボヴァリーが自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生に絶望して服毒自殺に至っていく物語である」(強調引用者)との要約がある。何の問題もないようだが、しかし、『『ボヴァリー夫人』論』の蓮實重彦氏であれば、この要約に鋭く否を突きつけるはずである。なぜなら同書において蓮實氏は、「『フィクション論』の理論家」リュボミール・ドレツェルが「『エンマ・ボヴァリーは自殺した』という命題」を「そのできごとが起こったフローベールの小説の長い部分(第三部、八章)を短く要約したもの」と見なしていることを再三にわたって取り上げ、この命題は「フローベールの小説の長い部分(第三部、八章)」の要約では「ありえない」と述べているからである。なぜか?

理由はごく単純で、『ボヴァリー夫人』には「エンマ・ボヴァリー」という「固有名詞」などひとつとして書きこまれてはおらず、その命題を導きだすドレツェルのテクストの解読そのものが誤りというほかはないからである。あるいは、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という命題は、この理論家がテクストを読む労をいとわず[「労をとらず」の誤りか?(引用者)]に創作した一種のフィクションだというべきかもしれない。

蓮實重彦『『ボヴァリー夫人』論』p.56)

(※じつは蓮實氏はこれより数百頁後の部分で別の理由も示しているが、その理由にはやや微妙なところが含まれているので、ここでは触れないことにする。)

電子データ化された本文(これこれ)に全文検索をかけてみるとたちまちわかるが、たしかに「エンマ・ボヴァリー(Emma Bovary)」という言葉は『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary)には「書きこまれて」いない。そして「要約」には《書いてないこと》を一切含めてはならないとすれば、テキストに存在しない言葉の紛れ込んでいるこの命題を「要約」と呼ぶわけにはいかなくなる。「創作」とまで呼べるか否かについては様々な判断がありえるとしても、この命題の全体を「解釈」と呼ぶくらいであれば特段の差し障りがあると思えない。少なくともそこにおいて何らかの「解釈」――「エンマ」という洗礼名を持つ女性が「ボヴァリー」という苗字を持つ男性と結婚し、「ボヴァリー夫人」と呼ばれているのであるからには、作中自殺したその女性の名前は「エンマ・ボヴァリー」であるに違いない、というような――が作用しているとは間違いなく言えるのである。

しかし他方、この「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という命題が『ボヴァリー夫人』を通読したことのある多くの人々においては第三部第八章の正当な要約として容認されるに違いないということもまた同じように間違いなく言えるのではないかと思える。つまりこれら「多くの人々」は、「エンマ・ボヴァリー」程度の「解釈」であれば《書いてあること》のうちに数えていいものとみなしているわけである。ちなみにこの「多くの人々」には、アルベール・チボーデ、エーリッヒ・アウエルバッハ、アンリ・トロワイヤマリオ・バルガス=リョサ、それに社会学ピエール・ブルデューや分析美学のケンダル・ウォルトンといった錚々たる人士が含まれるようだ。蓮實氏によれば、これらの人たちは自著で『ボヴァリー夫人』に触れる際、この小説に存在しない「エンマ・ボヴァリー」という言葉を平気で書きつけている。

このように「多くの人々」が『ボヴァリー夫人』の中に「ひとつとして書きこまれて」いない「エンマ・ボヴァリー」という言葉を《書いてあること》の範疇に含めている。蓮實氏の観点によれば《書いてないこと》が「多くの人々」の観点によれば《書いてあること》のうちに繰り込まれるということである。

蓮實氏の観点については少し説明がいるだろう。氏は「小説」と呼ばれる散文形式の虚構作品を「テクスト的な現実」と「フィクション世界」の二層に分けて考えている。前者を活字の次元における作品の存在論、後者を想像の次元における作品の存在論と言い換えても、ここではさほど問題は生じないと思う。「エンマ・ボヴァリー」は活字上存在しない。しかし、言語の物質性の反映たる活字を読み進める読者の脳裏に立ち上がる想像の世界においては、現実世界と同様、肉体と精神を備え、ときに「エンマ」、ときに「彼女」、ときに「彼の妻」、ときに「ボヴァリー夫人」と呼ばれる、地に足をつけた人間として立派に存在する。蓮實氏が前者「テクスト的な現実」の観点に立っていることは言うまでもないだろう。逆に「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という文字列を要約として容認する「多くの人々」は後者「フィクション世界」の存在論に立脚しているのである。

この二層区分に照らしてみれば、1980年代後半の日本に現れたいわゆる「テクスト論」の眼目が、「テクスト的な現実」の水準において意味作用を有する記号として存在する活字の連なり――すなわち「テクスト」――を徹底的に読み込むことを通じて、それが表象する「フィクション世界」の解像度を引き上げ、またその領域を広げること、すなわち《書いてあること》の領域を思い切って拡充することにあったことがわかる。一方は物質、他方は想像力からなる二つの層はお互い物理的に切断されており、しかもその相関性は比較的緩やかなのであるから、「フィクション世界」の時空間は「テクスト的な現実」による制約からかなりの程度自由でいられる。小森陽一氏らが夏目漱石こゝろ』の読みにおいて示したような、作品に描かれた出来事の後日談とも言える内容に踏み込んだ読解は、こうした「フィクション世界」の特性を足場としていると言えるだろう。

言うまでもないことだが、「テクスト論」的な読解は決して特殊な読み方ではない。ごく普通に小説を読む読者であればだれでも採用しているはずの、活字を追って意味を取り、そこから立ち上がる像に意識を向けるという読み方と、根本的なところで違っているわけではないからである。ただ、蓮實氏が『『ボヴァリー夫人』論』でいうとおり「人類は『テクスト』を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもない」ので、どうしても「テクスト的な現実」への注意がおろそかになりやすい。したがって四百字詰め原稿用紙一八〇枚の分量を有する中編小説「少女を埋める」にある「覚えてない」、「覚えてたのか」の呼応を読み落とすようなことは人類である限りだれにでも――文芸評論家と呼ばれる人たちにでも――起こり得るのであって、それ自体珍しいことではない。

たとえば――先に「移人称小説」という言葉を出したので、それにちなんだ例を挙げることにするが――文芸評論家の渡部直己氏が、その著書『小説技術論』に収められた論考「移人称小説論――今日の「純粋小説」について」の中で、岡田利規氏の小説「わたしの場所の複数」では「主役夫婦のあいだで、携帯電話が繋がらない」(強調は原文では傍点)と書いている。また、そのことが「独特の山場をもたらす」ことになるとも言うのだが、しかし、この作品には「夫は(中略)携帯を手に取って(中略)わたし[=妻(引用者)]が書いたメールを読んだ」という記述が含まれており、実際には夫婦の携帯電話は繋がっている。加えてこの作品における「独特の山場」は携帯電話が繋がった後、すなわちこの夫が「メールを読んだ」後に到来しており、ようするに渡部氏はこの記述を単純に読み落としているのである。

話を戻そう。見たように、《書いてあること》と《書いてないこと》の境界は、読み手がどのような立場をとるかによって動く。《書いてあること》の範囲は「テクスト的な現実」に忠実な読解において最も狭くなり、「テクスト論」に依拠した読解において最も広くなる。「多くの人々」にとっての《書いてあること》は、この両極に挟まれた空間に位置づけられると考えていい。

この中間領域において「多くの人々」が採用する読みの構えは、「テクスト的な現実」に意識を縛り付け、ひたすらその意味作用に注意を向けるというものではないだろう。活字の記号を追う読み手が意味に向ける意識には常に想像的な意識が伴っている。とはいえ、「フィクション世界」を構成するこの想像の態様は、「テクスト論」的な読解において見られるような能動的な、前のめりの想像力の行使ともやはり異なるはずである。小説を読むことにおいて自動的、自発的に立ち上がる像の領域が存在するのだ。ジャン=ポール・サルトルは、『想像力の問題』において、読書に伴うこのいわば中動態的な像のことを「像的要素(élément imagé)」と呼び、能動的な想像に伴う「心的イマージュ(image mentale)」と区別している。「多くの人々」が小説を読む際、その意識はこの「像的要素」に浸された記号――単なる意味でも単なる像でもない、両者の性質を兼ね備えたハイブリットな対象――に対面していると思われる。

その意味では、《書いてあること》と《書いてないこと》の切り離しは、小説を読む際「多くの人々」が通常とる意識の構えにおいては、ほぼ不可能であると言っても過言ではないだろう。なぜなら、「テクスト的な現実」の次元における《書いてあること》には、中動態的な想像の像、すなわち《書いてないこと》が絶えず覆いかぶさってくるからである。人類が「テクスト」を読むことを苦手とする最大の理由はここにあると言えるのではないか。

 繰り返しになるが、何が《書いてあること》であり、何が《書いてないこと》であるかは読み手の立場により異なる。また、小説を読む際の通常の意識においては《書いてあること》と《書いてないこと》が絶えず絡み合っている。したがって両者を客観的かつ明確に区別することは困難であり、したがってこの区別に基づいて「あらすじ」と「解釈」を区別することは「簡単そうで難しい」(②における鴻巣氏の言葉)。

 とはいえ、《書いてあること》の範囲を最も厳しく限定した「テクスト的な現実」の観点に立つのであれば、《書いてあること》と《書いてないこと》を厳密に切り分け、したがって「あらすじ」と「解釈」を明確に区別することができるのではないか? しかし、どうやらこの問いに対しても否と答えるのがふさわしいようである。なぜなら「あらすじ」は定義上、その構成にあたって「テクスト的な現実」からの遊離をどうしても必要とするからである。というのも「あらすじ」とは「テクスト」の内容をかいつまんで短くまとめたものをいうのであり、したがってそれは「テクスト」の意味論的、形態論的な圧縮であらざるを得ず、そしてそれが圧縮であるからには言葉の取捨選択やパラフレーズが不可欠であり、こうした作業には不可避的に「解釈」が入り込むからである。端的に言えば、「あらすじ」はそれ自体において「解釈」であらざるを得ない。

したがって、「あらすじ」と「解釈」を「分けるのは簡単そうで難しい」という②における鴻巣氏の言葉はやはり正しいと言うほかない。両者の分離は原理的に不可能であるとさえ言えるだろう。そして仮にそのように言えるとすれば、おそらく可能なのは、《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》の区別だけであるとも言えるに違いない。しかし、このように言えるからといって、「あらすじと解釈は区別を」という②における桜庭氏の主張に治癒できない瑕疵があり、それが異議申立ての有効性を減殺しているとはただちには言えないのである。

すでに見たように、桜庭氏は、②に掲載された自身の見解中「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病」云々とある冒頭部分は「言葉や表現を単純化した」ものであると語っている。また桜庭氏は、「(母は父を)虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ」との文芸時評の言葉を「あらすじ」と呼んでいるのだから、その「内容とは全く逆の」この冒頭部分を「あらすじ」と見ることについて氏に異存があるとは思われない。つまり桜庭氏は、「あらすじ」において「言葉や表現」の「単純化」がなされることを認めている。その上、この桜庭氏による「あらすじ」に含まれる「献身的に看病」という文字列が「少女を埋める」に「ひとつとして書きこまれて」いないことは明らかであるから、この「単純化」が「テクスト的な現実」からの遊離と無関係であるとも思われない。すなわち、「単純化」の施されたこの冒頭部分は「テクスト」の意味論的ないし形態論的な圧縮になっていると考えざるを得ない。したがって桜庭氏は、その実践を通じて、「あらすじ」に「解釈」が含まれること、「あらすじ」がそれ自体において「解釈」であることを暗に認めていると考えざるを得ない。

さらに言えば、桜庭氏が自身の「あらすじ」に含まれる「解釈」を「妥当性の低い」ものと見ているとは考えにくい。したがって②において桜庭氏のいう「あらすじ」は、当然ながら《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》のことを指していると考えなければならないだろう。とすれば、②の見解で桜庭氏が「あらすじ」と対照的に用いる「解釈」は、これも当然《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》を指しているということになるだろう。したがって「あらすじ」と「解釈」を区別せよという桜庭氏の主張は、実質的には《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》を区別せよという主張であると読まなければならないだろう。

鴻巣氏の見解も見ておこう。鴻巣氏は②の見解において、桜庭氏から「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があった」と述べ、かつ、その「要請に従いウェブ版を修正した」と述べている。修正後の文芸時評を見ると、当初「虐待した」と断言の形をとっていた表現が「『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」という言い回しに和らげられているほか、「わたしはそのように読んだ」という言葉が補われている。この追加の言葉は、鴻巣氏が当該箇所を「あらすじ」とは明確に区別される「解釈」として位置づけたということを意味すると考えられる。

ところで鴻巣氏は②の見解において、すでに引用したように、「あらすじ」と「解釈」を「分けるのは簡単そうで難しい」と述べていた。③においても「あらすじと解釈を分離するのはむずかしい」と書いているから、これが鴻巣氏の信念であることが伺われる。また、この信念の内容の正しさについてもすでに確認したとおりである。ところが鴻巣氏は、この「簡単そうで難しい」はずの「あらすじ」と「解釈」の区別を、修正後の文芸時評において、単に表現を和らげ、「わたしはそのように読んだ」という短い文を付け加えるだけで、いとも簡単に遂行しているように見える。なぜこのようなことが可能であるのか? それはこの遂行された「あらすじ」と「解釈」が、「簡単そうで難しい」と形容されていた元々の「あらすじ」と「解釈」の区別とは別の観点において遂行されているからだと考えるのがいちばん理にかなっていると思われる。そしてこの「別の観点」が桜庭氏の観点であると考えることも同じように理にかなっていると思われる。なぜなら鴻巣氏は、桜庭氏の「要請に従いウェブ版を修正した」と述べているからであり、さらに言えば、これもまたすでに確認したとおり、「可能なのは、《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》の区別だけ」だからである。

桜庭氏の観点によれば「解釈」とは《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》のことなのであった。鴻巣氏は修正後の時評において「わたしはそのように読んだ」といい、「『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」という自身の読みが「解釈」であることを認めている。すなわち自身の読みが《妥当性の低い解釈に基づく》ものであることを認めている。一見、情実を交えつつお気持ち忖度案件に持ち込んで幕引きを図ろうとしたかに見える鴻巣氏も、じつは自らの誤読をいさぎよく認めているのであり、また、このような自認の言葉を鴻巣氏から引き出すことに成功したのであるからには、桜庭氏の主張は異議申立てのやり方として極めて有効性の高いものであったということになるのではないか。私はそのように思った。