解釈の独善性について(3)

 

さて、桜庭一樹氏は②の記事に掲載された見解の冒頭で次のように断言している。

私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています。

ここを読み、大きく分けて二つのことを思った。その第一は、こういうことである。「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し(中略)たことが描かれています」というが、この作品には躊躇なくそう断言することを可能にする記述が極めて乏しいのではないか。いや極めて乏しいどころか、皆無であるのではないか。というより、そのような場面を描くことは、この作品の設定からして原理的にほぼ不可能であるとさえ言えるのではないか。なぜなら、すでに記したとおり、「少女を埋める」は一人称小説であり、かつ、語り手を務める主人公の冬子は二十年に及ぶ老老介護の現場にほぼ居合わせていなかったからである。つまり介護中の両親の具体的な常況は語り手には語り得ない事柄に属する。いわゆる「移人称小説」であれば話は違ってくるが、この作品はそうではない。したがって、冬子がそれについて知り、語るには、両親の身近にいて事情に通じた第三者から話を聞く、あるいは隠しカメラを設置するなどする必要があると思われるが、しかし、この小説にはそのような場面は存在しない。つまり――②における桜庭氏自身の言葉を借りて言えば――「そのようなシーンは、小説のどこにも、一つもありません」ということである。したがって、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病」云々というのは――やはり②における桜庭氏自身の言葉を借りるが――「実際の描写にはない余白のストーリーを想像」したものにすぎないと言わなければならないのではないか。そしてそれが「想像」であるからには――桜庭氏自身が述べるように――「主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない」のではないか。

②において桜庭氏は、かなり不可解な振る舞いをしているように見える。不可解というのは、何より桜庭氏が上記のような自家撞着を、すでに作品を読み終えた読者に対して取り繕う気がみじんもないように見えるからである。このことの不可解さは、相手方の鴻巣氏が自身の想像の妥当性について、③を書いて公開することを通じ、作品を読んだ読者にも通用する体で証明しようと試みていたことに比べてみれば、いっそう際立ってくる。しかも、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し(中略)たことが描かれてい」ないことは、「夫の看護を独り背負った母」が「弱弱介護の密室で」「夫を虐待した」ことが描かれていないことと同程度に、あるいはそれ以上に明白な事実であるように思える。一篇を読み通せばだれでもそのこと、つまり「献身的」な「看病」の場面が不在であることに思い至らざるを得ないのである。

しかし少し冷静になれば、作者のこの振る舞いが、じつはいささかも不可解ではないことが見えてくる。

作者は、「少女を埋める」の続編とみなし得る作品「キメラ――『少女を埋める』のそれから」(文學界11月号、以下「キメラ」と呼ぶ)の中で、「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていた」というのは「故郷に向けて単純化した言葉と表現」であり、その「前半はとくに文学の共同体に向けて綴られた言葉ではな」いと語り手に語らせている。この「単純化」ということについては、桜庭氏本人も、冒頭に引用した一節と同趣旨の音声メッセージ(「私は今月、自伝的な小説を発表しました。主人公は自分をモデルにした人物で、ほかに、病気の夫を献身的に看病した母、夫を深く愛していた女性としての母も出てきます」)をTwitterに投稿した直後、「伝わりやすいように言葉や表現を単純化した部分があります」とツイートしている。とはいえ「単純化」とは一体どういうことなのか、その具体的内容については作者、作中人物とも一切言及していない。「単純化」しないで言うとどうなるのか、その点に関しても両者はまったく言葉を費やそうとしない。だから「単純化」の内実については何もわからないとしか言いようがないのであるが、しかし、わかることもある。②における桜庭氏の言葉が、すでに「少女を埋める」を読み終えた人間、そしてこれから読んでみようと考えるような人間には向けられていないということ、そのことがわかる。その言葉が向けられている対象は、この作品をまだ読んでおらず、また、これから読むつもりもさらさらなく、かつ、朝日新聞に書いてあることは何もかもぜんぶ真実だと頭から決めつけている人々、とりわけ――「キメラ」で言われるように――作者の故郷に暮らす「高齢者」たちなのである。この点に関してはいささかも疑う余地がないと思われる。

そもそも桜庭氏が文芸時評に異議を唱えたのは、単に一人の文芸評論家によって自作を誤読されたからではない。自作の誤読に基づく評が「朝日新聞」という「数百万部発行の巨大メディア」(②における桜庭氏の言葉)に掲載されたことにより、同紙には本当のことしか書かれていないと妄信する「故郷の高齢者」たちの間で母親についてあらぬ「噂」が広がることを懸念したからである。したがって、桜庭氏が朝日の記事においてこのような読み手の限定を行ったこと、また、「噂をきっぱり否定するため」(「キメラ」)、時評に記された「虐待」という言葉との対照の際立つ「献身的に看病」という文言を自家撞着を厭わず敢えて入れたことは、不可解どころか、むしろ所期の目的に照らして極めて合理的な行動であったと言わなければならないだろう。念のため言い添えておけば、「小説のどこにも、一つも」ない場面について「想像」で書くことは、朝日新聞においてはすでに公然と認められている。

以上が第一に思ったことのあらましであるが、これに関連し、あらすじと解釈の区別という問題についても少し考えたことがあるので、書いておきたいと思う。

桜庭氏は同じく②において次のような見解を表明している。

小説の読み方は、もちろん読者の自由です。時には実際の描写にはない余白のストーリーを想像(二次創作)することもあり、それも読書という創造的行為の一つだと私は考えます。しかしその想像は評者の主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない。それは、これから小説を読む方の多様な読みを阻害することにも繋(つな)がります。

先に部分的に引用してもいるこの一節において、桜庭氏は、「あらすじ」は《書いてあること》によって構成すべきであり、《書いてないこと》についてなされた「想像」は「あらすじ」に含めてはならず、「解釈」として提示しなければならないと主張している。つまり「あらすじ」と「解釈」の区別を《書いてあること》と《書いてないこと》の区別に関わらせている。同様の主張は「キメラ」においては、より簡潔な言い方でなされている。「作品に書かれていたことはあらすじとして、読んで自分が想像したことは解釈として分けて書く」。桜庭氏が《書いてあること》と《書いてないこと》は客観的かつ明確に区別できるという考えを自明の前提としていることは明らかであるように思われる。しかし、この前提は、それほど自明なものと言えるだろうか?

そもそも《書いてあること》と《書いてないこと》を客観的かつ明確に区別できるのであれば、今回のようなことは起こっていなかったはずである。というのも鴻巣氏は介護中の虐待を《書いてあること》の範疇に繰り込んでいるに違いなく、だからこそ「あらすじ」にも組み込んでいたはずである。したがって《書いてあること》と《書いてないこと》の区別に基づいて「あらすじ」と「解釈」を区別すべしという桜庭氏の主張は、異議申立ての方法としてあまり有効ではないように思える。繰り返すが、鴻巣氏は主観的にはそうした区別を正しく遂行したつもりでいたと考えられるからである。

ここはひとつ別の事例で考えてみよう。ウィキペディアには「ボヴァリー夫人」が立項されているが、その記事を読むと、「『ボヴァリー夫人』(中略)は、フローベールの長編小説で、19世紀フランス文学の名作と位置づけられているフローベール自身の代表作である」との(機械翻訳的にやや拙い)記載があり、続けて「田舎の平凡な結婚生活に倦怠した若い女主人公エマ・ボヴァリーが自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生に絶望して服毒自殺に至っていく物語である」(強調引用者)との要約がある。何の問題もないようだが、しかし、『『ボヴァリー夫人』論』の蓮實重彦氏であれば、この要約に鋭く否を突きつけるはずである。なぜなら同書において蓮實氏は、「『フィクション論』の理論家」リュボミール・ドレツェルが「『エンマ・ボヴァリーは自殺した』という命題」を「そのできごとが起こったフローベールの小説の長い部分(第三部、八章)を短く要約したもの」と見なしていることを再三にわたって取り上げ、この命題は「フローベールの小説の長い部分(第三部、八章)」の要約では「ありえない」と述べているからである。なぜか?

理由はごく単純で、『ボヴァリー夫人』には「エンマ・ボヴァリー」という「固有名詞」などひとつとして書きこまれてはおらず、その命題を導きだすドレツェルのテクストの解読そのものが誤りというほかはないからである。あるいは、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という命題は、この理論家がテクストを読む労をいとわず[「労をとらず」の誤りか?(引用者)]に創作した一種のフィクションだというべきかもしれない。

蓮實重彦『『ボヴァリー夫人』論』p.56)

(※じつは蓮實氏はこれより数百頁後の部分で別の理由も示しているが、その理由にはやや微妙なところが含まれているので、ここでは触れないことにする。)

電子データ化された本文(これこれ)に全文検索をかけてみるとたちまちわかるが、たしかに「エンマ・ボヴァリー(Emma Bovary)」という言葉は『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary)には「書きこまれて」いない。そして「要約」には《書いてないこと》を一切含めてはならないとすれば、テキストに存在しない言葉の紛れ込んでいるこの命題を「要約」と呼ぶわけにはいかなくなる。「創作」とまで呼べるか否かについては様々な判断がありえるとしても、この命題の全体を「解釈」と呼ぶくらいであれば特段の差し障りがあると思えない。少なくともそこにおいて何らかの「解釈」――「エンマ」という洗礼名を持つ女性が「ボヴァリー」という苗字を持つ男性と結婚し、「ボヴァリー夫人」と呼ばれているのであるからには、作中自殺したその女性の名前は「エンマ・ボヴァリー」であるに違いない、というような――が作用しているとは間違いなく言えるのである。

しかし他方、この「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という命題が『ボヴァリー夫人』を通読したことのある多くの人々においては第三部第八章の正当な要約として容認されるに違いないということもまた同じように間違いなく言えるのではないかと思える。つまりこれら「多くの人々」は、「エンマ・ボヴァリー」程度の「解釈」であれば《書いてあること》のうちに数えていいものとみなしているわけである。ちなみにこの「多くの人々」には、アルベール・チボーデ、エーリッヒ・アウエルバッハ、アンリ・トロワイヤマリオ・バルガス=リョサ、それに社会学ピエール・ブルデューや分析美学のケンダル・ウォルトンといった錚々たる人士が含まれるようだ。蓮實氏によれば、これらの人たちは自著で『ボヴァリー夫人』に触れる際、この小説に存在しない「エンマ・ボヴァリー」という言葉を平気で書きつけている。

このように「多くの人々」が『ボヴァリー夫人』の中に「ひとつとして書きこまれて」いない「エンマ・ボヴァリー」という言葉を《書いてあること》の範疇に含めている。蓮實氏の観点によれば《書いてないこと》が「多くの人々」の観点によれば《書いてあること》のうちに繰り込まれるということである。

蓮實氏の観点については少し説明がいるだろう。氏は「小説」と呼ばれる散文形式の虚構作品を「テクスト的な現実」と「フィクション世界」の二層に分けて考えている。前者を活字の次元における作品の存在論、後者を想像の次元における作品の存在論と言い換えても、ここではさほど問題は生じないと思う。「エンマ・ボヴァリー」は活字上存在しない。しかし、言語の物質性の反映たる活字を読み進める読者の脳裏に立ち上がる想像の世界においては、現実世界と同様、肉体と精神を備え、ときに「エンマ」、ときに「彼女」、ときに「彼の妻」、ときに「ボヴァリー夫人」と呼ばれる、地に足をつけた人間として立派に存在する。蓮實氏が前者「テクスト的な現実」の観点に立っていることは言うまでもないだろう。逆に「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という文字列を要約として容認する「多くの人々」は後者「フィクション世界」の存在論に立脚しているのである。

この二層区分に照らしてみれば、1980年代後半の日本に現れたいわゆる「テクスト論」の眼目が、「テクスト的な現実」の水準において意味作用を有する記号として存在する活字の連なり――すなわち「テクスト」――を徹底的に読み込むことを通じて、それが表象する「フィクション世界」の解像度を引き上げ、またその領域を広げること、すなわち《書いてあること》の領域を思い切って拡充することにあったことがわかる。一方は物質、他方は想像力からなる二つの層はお互い物理的に切断されており、しかもその相関性は比較的緩やかなのであるから、「フィクション世界」の時空間は「テクスト的な現実」による制約からかなりの程度自由でいられる。小森陽一氏らが夏目漱石こゝろ』の読みにおいて示したような、作品に描かれた出来事の後日談とも言える内容に踏み込んだ読解は、こうした「フィクション世界」の特性を足場としていると言えるだろう。

言うまでもないことだが、「テクスト論」的な読解は決して特殊な読み方ではない。ごく普通に小説を読む読者であればだれでも採用しているはずの、活字を追って意味を取り、そこから立ち上がる像に意識を向けるという読み方と、根本的なところで違っているわけではないからである。ただ、蓮實氏が『『ボヴァリー夫人』論』でいうとおり「人類は『テクスト』を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもない」ので、どうしても「テクスト的な現実」への注意がおろそかになりやすい。したがって四百字詰め原稿用紙一八〇枚の分量を有する中編小説「少女を埋める」にある「覚えてない」、「覚えてたのか」の呼応を読み落とすようなことは人類である限りだれにでも――文芸評論家と呼ばれる人たちにでも――起こり得るのであって、それ自体珍しいことではない。

たとえば――先に「移人称小説」という言葉を出したので、それにちなんだ例を挙げることにするが――文芸評論家の渡部直己氏が、その著書『小説技術論』に収められた論考「移人称小説論――今日の「純粋小説」について」の中で、岡田利規氏の小説「わたしの場所の複数」では「主役夫婦のあいだで、携帯電話が繋がらない」(強調は原文では傍点)と書いている。また、そのことが「独特の山場をもたらす」ことになるとも言うのだが、しかし、この作品には「夫は(中略)携帯を手に取って(中略)わたし[=妻(引用者)]が書いたメールを読んだ」という記述が含まれており、実際には夫婦の携帯電話は繋がっている。加えてこの作品における「独特の山場」は携帯電話が繋がった後、すなわちこの夫が「メールを読んだ」後に到来しており、ようするに渡部氏はこの記述を単純に読み落としているのである。

話を戻そう。見たように、《書いてあること》と《書いてないこと》の境界は、読み手がどのような立場をとるかによって動く。《書いてあること》の範囲は「テクスト的な現実」に忠実な読解において最も狭くなり、「テクスト論」に依拠した読解において最も広くなる。「多くの人々」にとっての《書いてあること》は、この両極に挟まれた空間に位置づけられると考えていい。

この中間領域において「多くの人々」が採用する読みの構えは、「テクスト的な現実」に意識を縛り付け、ひたすらその意味作用に注意を向けるというものではないだろう。活字の記号を追う読み手が意味に向ける意識には常に想像的な意識が伴っている。とはいえ、「フィクション世界」を構成するこの想像の態様は、「テクスト論」的な読解において見られるような能動的な、前のめりの想像力の行使ともやはり異なるはずである。小説を読むことにおいて自動的、自発的に立ち上がる像の領域が存在するのだ。ジャン=ポール・サルトルは、『想像力の問題』において、読書に伴うこのいわば中動態的な像のことを「像的要素(élément imagé)」と呼び、能動的な想像に伴う「心的イマージュ(image mentale)」と区別している。「多くの人々」が小説を読む際、その意識はこの「像的要素」に浸された記号――単なる意味でも単なる像でもない、両者の性質を兼ね備えたハイブリットな対象――に対面していると思われる。

その意味では、《書いてあること》と《書いてないこと》の切り離しは、小説を読む際「多くの人々」が通常とる意識の構えにおいては、ほぼ不可能であると言っても過言ではないだろう。なぜなら、「テクスト的な現実」の次元における《書いてあること》には、中動態的な想像の像、すなわち《書いてないこと》が絶えず覆いかぶさってくるからである。人類が「テクスト」を読むことを苦手とする最大の理由はここにあると言えるのではないか。

 繰り返しになるが、何が《書いてあること》であり、何が《書いてないこと》であるかは読み手の立場により異なる。また、小説を読む際の通常の意識においては《書いてあること》と《書いてないこと》が絶えず絡み合っている。したがって両者を客観的かつ明確に区別することは困難であり、したがってこの区別に基づいて「あらすじ」と「解釈」を区別することは「簡単そうで難しい」(②における鴻巣氏の言葉)。

 とはいえ、《書いてあること》の範囲を最も厳しく限定した「テクスト的な現実」の観点に立つのであれば、《書いてあること》と《書いてないこと》を厳密に切り分け、したがって「あらすじ」と「解釈」を明確に区別することができるのではないか? しかし、どうやらこの問いに対しても否と答えるのがふさわしいようである。なぜなら「あらすじ」は定義上、その構成にあたって「テクスト的な現実」からの遊離をどうしても必要とするからである。というのも「あらすじ」とは「テクスト」の内容をかいつまんで短くまとめたものをいうのであり、したがってそれは「テクスト」の意味論的、形態論的な圧縮であらざるを得ず、そしてそれが圧縮であるからには言葉の取捨選択やパラフレーズが不可欠であり、こうした作業には不可避的に「解釈」が入り込むからである。端的に言えば、「あらすじ」はそれ自体において「解釈」であらざるを得ない。

したがって、「あらすじ」と「解釈」を「分けるのは簡単そうで難しい」という②における鴻巣氏の言葉はやはり正しいと言うほかない。両者の分離は原理的に不可能であるとさえ言えるだろう。そして仮にそのように言えるとすれば、おそらく可能なのは、《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》の区別だけであるとも言えるに違いない。しかし、このように言えるからといって、「あらすじと解釈は区別を」という②における桜庭氏の主張に治癒できない瑕疵があり、それが異議申立ての有効性を減殺しているとはただちには言えないのである。

すでに見たように、桜庭氏は、②に掲載された自身の見解中「主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病」云々とある冒頭部分は「言葉や表現を単純化した」ものであると語っている。また桜庭氏は、「(母は父を)虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ」との文芸時評の言葉を「あらすじ」と呼んでいるのだから、その「内容とは全く逆の」この冒頭部分を「あらすじ」と見ることについて氏に異存があるとは思われない。つまり桜庭氏は、「あらすじ」において「言葉や表現」の「単純化」がなされることを認めている。その上、この桜庭氏による「あらすじ」に含まれる「献身的に看病」という文字列が「少女を埋める」に「ひとつとして書きこまれて」いないことは明らかであるから、この「単純化」が「テクスト的な現実」からの遊離と無関係であるとも思われない。すなわち、「単純化」の施されたこの冒頭部分は「テクスト」の意味論的ないし形態論的な圧縮になっていると考えざるを得ない。したがって桜庭氏は、その実践を通じて、「あらすじ」に「解釈」が含まれること、「あらすじ」がそれ自体において「解釈」であることを暗に認めていると考えざるを得ない。

さらに言えば、桜庭氏が自身の「あらすじ」に含まれる「解釈」を「妥当性の低い」ものと見ているとは考えにくい。したがって②において桜庭氏のいう「あらすじ」は、当然ながら《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》のことを指していると考えなければならないだろう。とすれば、②の見解で桜庭氏が「あらすじ」と対照的に用いる「解釈」は、これも当然《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》を指しているということになるだろう。したがって「あらすじ」と「解釈」を区別せよという桜庭氏の主張は、実質的には《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》を区別せよという主張であると読まなければならないだろう。

鴻巣氏の見解も見ておこう。鴻巣氏は②の見解において、桜庭氏から「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があった」と述べ、かつ、その「要請に従いウェブ版を修正した」と述べている。修正後の文芸時評を見ると、当初「虐待した」と断言の形をとっていた表現が「『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」という言い回しに和らげられているほか、「わたしはそのように読んだ」という言葉が補われている。この追加の言葉は、鴻巣氏が当該箇所を「あらすじ」とは明確に区別される「解釈」として位置づけたということを意味すると考えられる。

ところで鴻巣氏は②の見解において、すでに引用したように、「あらすじ」と「解釈」を「分けるのは簡単そうで難しい」と述べていた。③においても「あらすじと解釈を分離するのはむずかしい」と書いているから、これが鴻巣氏の信念であることが伺われる。また、この信念の内容の正しさについてもすでに確認したとおりである。ところが鴻巣氏は、この「簡単そうで難しい」はずの「あらすじ」と「解釈」の区別を、修正後の文芸時評において、単に表現を和らげ、「わたしはそのように読んだ」という短い文を付け加えるだけで、いとも簡単に遂行しているように見える。なぜこのようなことが可能であるのか? それはこの遂行された「あらすじ」と「解釈」が、「簡単そうで難しい」と形容されていた元々の「あらすじ」と「解釈」の区別とは別の観点において遂行されているからだと考えるのがいちばん理にかなっていると思われる。そしてこの「別の観点」が桜庭氏の観点であると考えることも同じように理にかなっていると思われる。なぜなら鴻巣氏は、桜庭氏の「要請に従いウェブ版を修正した」と述べているからであり、さらに言えば、これもまたすでに確認したとおり、「可能なのは、《妥当性の高い解釈に基づくあらすじ》と《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》の区別だけ」だからである。

桜庭氏の観点によれば「解釈」とは《妥当性の低い解釈に基づくあらすじ》のことなのであった。鴻巣氏は修正後の時評において「わたしはそのように読んだ」といい、「『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」という自身の読みが「解釈」であることを認めている。すなわち自身の読みが《妥当性の低い解釈に基づく》ものであることを認めている。一見、情実を交えつつお気持ち忖度案件に持ち込んで幕引きを図ろうとしたかに見える鴻巣氏も、じつは自らの誤読をいさぎよく認めているのであり、また、このような自認の言葉を鴻巣氏から引き出すことに成功したのであるからには、桜庭氏の主張は異議申立てのやり方として極めて有効性の高いものであったということになるのではないか。私はそのように思った。

解釈の独善性について(2)

 

前回の続きなのだが、この問題についてこのようにしつこく書くのには二つの理由がある。ひとつは、小説家の桜庭一樹氏と文芸評論家の鴻巣友季子氏との間にこのほど持ち上がった対立は、たんに両者の対立というにとどまらない、日本近代小説の根幹に触れる大事な論点をはらんでいるのではないかと考えるからである。この論点は作品の読み方にかかわるものであり、桜庭氏の要請を受け入れ鴻巣氏が修正を加えた時評文においても、そのまま引き継がれている。

まずは前回確認した内容に若干の補足を加えつつ、そのポイントをざっと整理しておきたい(①等の番号については前回記事を参照のこと)。

ことの始まりは鴻巣氏が①の文芸時評で桜庭氏の小説「少女を埋める」を取り上げ、これを「実父の死を記録する自伝的随想のような、不思議な中編」と呼んだうえ、主人公の母親がその夫(肺を患い長期にわたって自宅療養を続けている)、すなわち主人公の父親を「弱弱介護の密室で」「虐待した」と書いたことにある。この記述に対し桜庭氏の側からそのような作中事実はないと物言いがつき、これを受け鴻巣氏が③を公表して自己の解釈につき釈明を行った。

この③の釈明中、鴻巣氏は、主人公の母親が夫の遺骸に向かって「いっぱい虐めた」ことを詫びている場面を引用し、「このいじめが二十年間の看護・介護中に起きたとは特に書かれていませんが、いつ起きたことなのかの明示もありません」と述べている。それとともに、「小説というのは、ある種の選択と要約を含まざるを得ません。『すべてを文字化することができない』以上、その余白の解釈へと読み手をいざなうものではないでしょうか」と語り、また、「小説は多様な『読み』にひらかれている」と語っている。つまりここで鴻巣氏は、小説の読み手には作中に書いてないこと(余白)について自由に解釈する権利があると主張している。もちろん鴻巣氏は、どれほど突拍子もない、どれほど不合理な解釈でも許されるとまでは考えていない。②において「妥当性」という基準を持ち出し、読み手の自由に一定の制限を加えている。

ここから、この小説には「このいじめ」の起きた時期に係る「余白」があり、その「余白」について解釈する権利が自分にはあり、しかもその「余白」について自分のした解釈には「妥当性」があるのだから自分に落ち度はない、そう鴻巣氏が考えていることが見てとれる。

しかし前回見たように、「このいじめ」は「二十年間の看護・介護中に起きた」ものではなく、それに先立つ時期に起きたものであると「妥当性」をもって解釈できるような記述がこの作品にはあった。この点についての「余白」はなかった。つまり鴻巣氏は、書いてないこと(余白)について想像したのではなく、書いてあることに反することを想像したのである。

したがって鴻巣氏は作中にきちんと書いてあること、すなわち作中事実の事実性を否定するに足る合理的な証拠を差し出さなければならないはずだが、そうしていない。③における鴻巣氏の説明は、前回記事で検討したとおり、作中事実に反する自身の解釈を正当化するに足るものではなかった。むしろ鴻巣氏は作品内に記されたいくつかの大切な言葉を、さしたる理由もなく切り捨てて読んでいる。鴻巣氏の解釈のやり方は「妥当性」を欠いていたと言わざるを得ない。私はこのように考え、鴻巣氏の読み方は「根拠薄弱な、不合理な勘ぐり」であるとしたのであった。

以上を踏まえ、今から、この先に横たわる問題について考えていきたい。鴻巣氏は、修正後の文芸時評においても、言い回しはやわらげてあるが、「このいじめ」が介護中にもあったとする自身の解釈は取り下げていない。「わたしはそのように読んだ」。自身の読みを貫いているのである。しかし、なぜ鴻巣氏は、一篇を読み直せばすぐにでもその誤りに気づくはずの「根拠薄弱な、不合理な勘ぐり」を、こうまで頑なに維持しているのか? たんにむきになっているだけ、誤読を認めたくないだけ、と考えることもできるだろう。桜庭氏の要請が、「評者の主観的解釈」(②)であることの明示にとどまり、誤読それ自体の訂正にまで及んでいなかったからということもあるだろう。しかし私はそのようには考えたくないのである。

「弱弱介護のなかで夫を『虐(いじ)め』ることもあったのではないか」。鴻巣氏は、自身の心に芽生えたこの信憑の原因を、③の記事を書く際、何らかの理由による思考能力の一時的麻痺のため、作中にうまく探り当てることができなかっただけなのではないか。あるいは、介護中にも「いじめ」があったと読んだその真の理由の在処を、何らかの理由による認識能力の一時的欠缺のため正しく認識できなかっただけなのではないか。あるいは、いろいろ忙しくて十分な検討の時間がとれず、不本意ながら適当な理由をでっちあげただけなのではないか。さらに踏み込めば、鴻巣氏は、たとえ③の説明に不備や誤りがあろうとも、この信憑が自分の心に生じたという事実、その想像の「妥当性」だけは、どうしても譲れないと考えているのではないか。私はこのように考えたいのである。

なぜか? なぜなら私自身もまた、騒ぎを知り、作品を読んで、鴻巣氏とまったく同様、この母親には介護中も「怒りの発作」にかられ夫を虐めることがあったのではないかという印象を、ちらっと抱いたからである。ここに、この問題に拘泥する二つ目の理由がある。主人公のあずかり知らぬところで母親は父親を、もちろん常にというのではないが、虐めていたのではないか、虐待していたのではないか、そう感じてしまったのである。これは鴻巣氏の言葉に影響されたのだろうか。そうかもしれない。しかし、たとえそうだとしても、この作品には、少なくともそう感じること、そう勘ぐることを無下には否定できなくする、そのような言葉が、きっと仕込まれている。そう思った。「テキストをいい加減に読むこと、あるいは、つじつまの合わないところを勝手に切り捨てて読むことによってしか成立しない」はずの読みが、ちらっとではあれ心に芽生えたのであるからには、この作品には、そのような読みを許す、あるいは促すようなところが――当然ながら鴻巣氏が③で指摘するのとは別の形で――あるに違いない。これは即座に退けていい考え方ではないように思われる。

この作品は、いわゆる一人称小説であり、全編が主人公「冬子」の語りによって統御されている。したがって問いは、この語り手、冬子の語りのどこかに、「いい加減に読むこと」、「ある一定の言葉を考慮せずにいること」を誘発する箇所があるのではないか、ということになる。そして実際、読めばだれでも気づくように、この冬子の語りには、真正面から素直に受け取ることの難しい言葉が散見されるのである。そして、そのような言葉が母親への言及に際して集中的に現れることに気づくのも、さほど難しいことではないと思われる。

母は……。

ひどく偏りがあるだろうわたしの記憶では、だが。家庭という密室で子供に暴力をふるうこともあった。

文學界9月号p.53、強調は引用者)

これもまた主観的記憶なのだが。二十代後半のとき、母がわたしの住む東京に、神社の宮司と名乗る三十代半ばの親しい男性を連れてきたことがあった。

(同p.53、強調は引用者)

これらはわたし個人の視点に過ぎないし、きっとかなり歪んだレンズに映る記憶なのだろうが……。母はいつも父ではない誰かと疑似家族を作りたがっているように見えていた。性別や年齢に関係なく、時々誰かと恋に落ちるように仲良くなり、東京まで連れてきたりし、わたしに会わせた。

(同p.54、強調は引用者)

「母は……。」と言いよどんだ後、堰を切ったようにその母親の振る舞いにまつわる不愉快な思い出を吐露し始める語り手は、その際このようにしきりと自分の記憶が歪んでいる可能性に注意を促している。このくだりの締めくくりに置かれた言葉も引いておこう。

……さて、ここまでのこの話は、果たして本当だろうか? こうして思い返すと、とても事実とは思えないほど変だし、誰かの適当な作り話か、もしくは、このわたしが長い間、狐か狸に化かされていたのが真相なんじゃないかという気もする。

(同p.55、強調は引用者)

だからこの語り手の記憶は曖昧であり、だから疑わしい、だから信用できない、というような、すっとぼけたことが言いたいわけではない。あたりまえである。逆である。むしろ語り手は、ここに述べられたことは紛れもない事実であると確信している。そして読み手もまた、ここに書かれていることは紛れもない事実であると読むだろう。

語り手の言葉に対する、読み手の側からのこの信頼は、どこから来るか。差し当たりそれは、この段に見られる留保の言葉の、機械のように律義な反復から来ると考えることができるだろう。語り手は、母親の所業について新しい事実を語り出すとき常に、まるでとってつけたように、自分の記憶の疑わしさを言っている。この反復強化された「とってつけたよう」な印象が、「とってつけたよう」な部分を、ただのつけたりとして読みから取り除くことを読み手に強く促している。つまり、記憶が不確かであるという言葉を真に受けないこと、その言葉を切り捨てて読むことを強く促しているのである。

もし事実性がそれほどまでに疑わしいのであれば、そのことを語らないという選択もできたはずである。それなのに語り手は、自分の記憶が間違っているかもしれないとその都度断りを入れながらも、母親の過去の所業について語らずにはいられない。語り手は、「この話を信じてもらいたい」と言っている。「信じられないかもしれないが本当の話なのだ」と言っている。読み手はそう読む。つまり、文字どおりには「自分の記憶は不確かである」としか読めない言葉の群に「自分の記憶は確かである」というメタメッセージを読み込むのである。

この作品には、語り手が記憶に関する自身の考えを披歴する箇所がいくつか存在する。しかし、その考察はどれも月並みで、考察の内容それ自体に重点が打たれているようには思えない。先ほど見た、母親の所業について語るくだりの締めくくりの段に現れる「狐か狸に化かされていたのが真相なんじゃないか」という言葉も常套句的であり、他愛ないという以上の感想を抱かせない。むしろ、こうした考察は、②における桜庭氏の言葉を借りて言えば、記憶の不確かさという「一般論」を、何かの「言いわけに使っているように見え」る。

「七年前の春」、冬子が母親に対し、自分が「子供のころ受けた暴力について問う」ところを見よう。問われた母親は「『そんなこと、したことない』ときょとんと」し、そして、「揺るぎない態度で『あたしは楽しいことしか覚えてないのよ』と声を震わせる」。このとき冬子は次のように考える。

人の記憶は、どこを覚えていて、どれとどれをつないで線を作るか、どんな歴史として記憶するかが、みんなバラバラだ。わたしは悲嘆や悔しさが詰まった水袋のような偏った人間に育ち、母が大切な思い出にしてくれている、楽しかった時間のことを忘れてしまったのだろう。

文學界9月号p.56)

冬子の母親はその母親、つまり冬子の祖母にあたる人から一歳の頃、折檻を受けたことがある。しかし冬子の母親は一歳と幼かったため、当然、冬子と違い何も覚えていない。ここで月並みな記憶の一般論を持ち出す冬子は、そうすることによって無理にでも母親を擁護しようとしているように見える。いや違う。擁護しているわけではないだろう。冬子は、本人知ってか知らでか、こうした記憶の一般論を後ろ盾に、暴力を受けた記憶を自己に向けた反省へと置き換え、無理やり飲みこんでいるのではないか。

ここに限らず、冬子は、母親にうんざりしている様子は示すものの、その母親を難詰するような言葉、厳しくなじるような言葉の使用を一貫して避けている。母親との衝突が起きないよう、自分を押し殺し、「目の粗いザル」になっている。先に引用した「母は……」で始まるくだりにおいても、そのまま母親への非難が始まってもおかしくないところ、それは始まらず、すでに見たように記憶の一般論で話を閉じている。冬子の腹の奥底には、無理に飲みこまれたこうした不愉快なあれこれが、正当に言語化されず、ずっしり貯め込まれているのではないか。

前回私は「覚えてない」、「覚えてたのか」の突き合わせに基づき、母親が嘘をついていたと判定した。しかし冬子はと言えば、ここでも、その嘘を嘘といって糾弾するような思考の態勢をとろうとしない。「内心、(覚えてたのか……)と思った。」の直後、次のように語り始める。

自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかってるものなのだろうか。あの人もこの人も、みんな。

異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。

母はただ涙を流しており、父は、穏やかな顔で、黙っていた。

父は、許しているように、わたしには感じられた。あれだけ優しかった人が、泣いて謝っている人を、しかも愛妻を許さないという姿は想像できなかった。

何もかもが一昨日で終わったのか。すべては恩讐の彼方となるのか。

それにしても、とわたしは思った。

――夫婦って、奴はよ!

深いな。沼だな。で、おっかねぇなぁ、おい。

ぼんやりと鈍そうなポーカーフェイスを保ったまま、内心そんなことを考えていた。

……愛しあっていたのだな。ずっと、わたしは知らなかったのだな。

文學界9月号pp.43-44、強調は引用者)

「愛しあっていたのだな」。急転直下、という印象を受ける。このナイーブさは、どうだろう。何かいろいろすっとばしているのではないか。何かもっとほかに考えることがあるのではないか。「覚えてない」という母親がじつは「覚えてた」こと、母親が嘘をついていたことを確認したばかりの冬子が、母親の流す涙を、そのまま真っすぐ受け入れている。しかしこの、すぐに「きょとん」とする(「キョトン」とする場合もある)母親には、冬子に対してふるった暴力、母方の祖母に目撃されたこともあるそうした暴力を、「七年前の春」、声を震わせて否定することもあったのである。父親について妻を愛していたと想像するのはいい。父親は「優しかった人」と言われ、冬子は「父親っ子」を自認している。しかし母親が夫を心から愛していたとは、この作品に含まれる母親の描写からは、そうやすやすとは想像できない。納骨の際、冬子の従姉妹が発した「子供のころおじちゃんのことが大好きだったの。初恋だったかも」という言葉に母親が顔色を変える場面などもあるが、「子供への愛や執着は強いが、心への興味は薄く感じられた」とも語られる母親のこの反応も、心と心の結び付きによるものではなく、夫への「執着」にすぎないとも読めてしまい、弱い。

冬子は母親をかばおうとしているのだろうか? 擁護しようとしているのだろうか? 違うだろう。冬子は母親を擁護しようとしているわけではないだろう。そうではなく、その母親を伴侶とし、「愛妻」としたその夫、つまり自分の父親の人生を擁護しようとしている。母親を肯定したいから母親を肯定しているのではなく、父親という人間を肯定するには母親という人間を否定するわけにはいかない、そのような曲折した心の動きである。なぜなら冬子は「父が好きだったから」。帰郷にあたり「目の粗いザル」に化けているのも、母親と仲たがいしたくないからというよりは、「七年前の春」のように母親とぶつかることで父親を悲しませたくないからというのが本当だろう。「今は父のために母を支えなくては」。ここでも、これが根本にある。

この一節は、冬子の思考の歪み、あるいは補償的な心の機制が作中一番むき出しになっている箇所であると読める。それゆえ、「愛しあっていたのだな」という冬子の言葉を素直に受け取ることは至難である。この言葉を真に受けるのではなく、いい加減なものとして受け取ること、いい加減に受け取ることが求められている気がするのである。冬子は心の機制のため真実とは逆向きの思考を取っているのであるから、真実を探るには、その思考をさらに反転させて、本来の向きに直さなければならないだろう。母親は父親を愛していなかった、両親は愛しあっていなかった、というように。

納骨を終え、東京に戻ってからの冬子、語り手の様子には、ただならぬ切迫感が漂っている。ここにおいて作用しているのは、すでに見た機械的な律義さと、そして、ようやくあの、「余白」の圧である。

夕方、母から「お元気で!!!」とメールが届く。やっぱり、と思う。これには、返信せず。

文學界9月号p.65)

翌日、(中略)気が重いが、母に(中略)メールを送る。するとすぐ返信がくる。考え、これにも、返信せず。

(同p.65)

数日後。母からメールがくる。考え、これにも、返信せず。

(同p.65)

数日後、また母からメールがくる。

読み、ベランダから飛び降りねばならないと思う。存在していてはいけないと諭す声がする。

(同p.66)

いずれも母親からのメールに記された言葉は記されない。とりわけ四つ目のメールには、おそらく語り手にはとても真正面から向き合うことができないような、自分の記憶を疑う言葉を添える程度では、あるいは思考を逆向きに走らせる程度では、絶対に補償できないような、そうした過酷な言葉が記されていたであろうことが一定の「妥当性」をもって想像できる。

しかし、ここに至ってもなお、語り手は母親を強く否定する言葉を発していない。こうした否定の言葉の徹底した排除ゆえに、逆に、この母親に対する否定的なイメージが、作品を読み進める読み手の腹の奥底に少しずつ、しかし着実に蓄積されていくのである。読み手の腹の奥底に蓄積されたこの負のイメージは、何かの拍子でそれが吐き出された場合、「家庭という密室で怒りの発作を抱えて」いた母親、「家庭という密室で子供に暴力をふるうこともあった」この母親には、自宅介護の閉ざされた空間で、病気で弱った老齢の夫を発作的に虐待することもあったのではないか、いや、あったに違いないという、テキストにまったく書かれていない出来事をめぐる強い疑いとして言語化されるだろう。少なくとも私においては初読時、そのように言語化されたようである。

 

解釈の独善性について

 

小説家の桜庭一樹氏が8月25日付朝日新聞朝刊に掲載された文芸時評(以下①と呼ぶ)中、自作「少女を埋める」(文學界9月号)への評に異議を唱えている。私は評者である鴻巣友季子氏が提示した作品の読み方、また、9月7日付朝日新聞朝刊文化欄の記事「本紙『文芸時評』の記述めぐり議論」(以下②と呼ぶ)内の見解やEvernoteの記事「8月の朝日新聞文芸時評について。」(以下③と呼ぶ)において表明した考え方には、桜庭氏がTwitterで言うとおり、かなりの「無理」があると思う。以下そのことについて書く。

まず作品の読み方についてだが、①において鴻巣氏は、次のとおり、主人公で語り手の「冬子」の母親が父親を介護中に虐待したと書いている。

家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ。

このように考えたことの根拠として、鴻巣氏は③において作品から2箇所引用している。ひとつは次の箇所である。父親の遺骸に語りかける母親の言葉を語り手の「わたし」が「黙って聞いて」いる場面。

いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。

文學界9月号p.43、強調は引用者、以下「引用箇所A」と呼ぶ)

このくだりについて、鴻巣氏は次のように述べる。

このいじめが二十年間の看護・介護中に起きたとは特に書かれていませんが、いつ起きたことなのかの明示もありません。

父が病気になる前にも、看護・介護中にもあったのだろう、そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです。

(③、強調は原文)

しかし、小説では、引用箇所Aに対応する一節の直後に、語り手の言葉として、

内心、(覚えてたのか……)と思った。

文學界9月号p.43)

という記述が置かれている。この記述を踏まえると、「いじめが二十年間の看護・介護中に起きた」と読むことには相当な「無理」があることがわかる。なぜなら、「覚えてたのか……」という感慨は、語り手がこの「いじめ」の事実について十分な認識を持っていることを示すものであり、かつ、語り手は「二十年間の看護・介護」を母親にほぼ任せきりで、介護の現場にほとんど居合わせていなかったからである。つまり語り手は「二十年間の看護・介護」という「密室」で起きた出来事を知る立場にない。語り手が「いじめ」について知っているからには、この「いじめ」は「二十年間の看護・介護中に起きた」ものではない。まずはこのように読むのが、ふつうの読み方であると思われる。しかし鴻巣氏は、引用箇所Aの直後に記されたこの「内心、(覚えてたのか……)と思った」という文を、③において引用に含めず、無視している。つまり、「(いじめが)看護・介護中にもあったのだろう」という自己の読みを形成するにあたり、テキストに明白に書かれていること――作中事実――をさしたる理由も示さずに無視している。

もちろん、語り手が二十年間の看護・介護という「密室」で起きたことをまったく知る立場にないと即断するのは早計にすぎるという考え方もできる。たとえば看護師等の第三者から「いじめ」の事実を聞いて知っていたという可能性もあったのではないかと。しかし、この場合、語り手は、母親が介護中に父親を「いっぱい虐め」ていることを知りながら、その母親に二十年間、介護を任せていたことになる……。

いや、じつはこんなことは考えなくてもいいのである。なぜなら、「いつ起きたことなのか」の問題は、これもやはりテキスト内に記された言葉をきちんと読めば、比較的容易に解決するからである。語り手の「覚えてたのか……」という言葉は、桜庭氏のツイートにあるとおり、この箇所に先立つ頁(p.28)に記された母親の言葉「覚えてない」を踏まえたものなのである。

 ここで、帰省して初めて、母と二人で話した。

 父が体調を崩してからの二十年、幸せだった、と母は噛みしめるようにしみじみと言った。驚いて声を飲みこんだ。

 記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。

 不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。

文學界9月号p.28、強調は引用者、以下「引用箇所B」と呼ぶ)

つまり母親は、口では「覚えてない」と言いつつ、本当は「不仲だったころ」父親を「いっぱい虐めた」ことを覚えていた、ということである。しかし、母親がこの事実を覚えていたということは、後段(p.43)まで読み進めなくとも、引用箇所Bのすぐ後のくだりにおいて早々に明らかにされている。冬子が、

「もしかしたら、病気になる前は、お互い向きあってたから性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」

 と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。

文學界9月号pp.28-29、強調は引用者、以下「引用箇所C」と呼ぶ)

しかし、このくだりから読み取れることは、父親と「不仲だったころもあった」という事実を母親が「覚えていない」というのは単にしらばっくれているにすぎない、ということばかりではない。このくだりからは、「不仲だったころ」、つまり「ずいぶんお父さんを虐めた」時期が、「この二十年」でなく、それに先立つ時期、「病気になる前」であったという事実について、語り手とその母親との間に共通認識ができているということも、明白に読み取れるのである。

なお引用箇所Bは、鴻巣氏が③において自己の解釈の根拠として引いている2箇所のうちの一方でもある。鴻巣氏は、このBの引用に続けて、

母本人の意識や記憶と、傍から見た”現実”に齟齬があるのだなと思いました。

じつは、父が体調を崩してから(も)「不仲なころ」はあったということだろうと。

(③)

と述べている。しかし、見たように、母親が「覚えていない」というのは嘘であり、本当は記憶しているのであり、しかもその記憶の内容は語り手の記憶の内容と一致している。「母本人の意識や記憶と、傍から見た”現実”に齟齬がある」、「じつは、父が体調を崩してから(も)『不仲なころ』はあった」とする鴻巣氏の読みは、いじめのあった時期を特定する言葉をも含む引用箇所Cのくだり、すなわち、明白にテキストに書かれていること――作中事実――を無視する限りにおいて、かろうじて形成し得るものでしかない。

ところで鴻巣氏は②において次のような意見を表明している。

小説にはあえて「言わずに言う」ことや、省略、暗示、要約等の空白がある。例えば、女が男に摑みかかろうとする描写の暫し後に、女が「乱暴してごめん」と謝る場面があれば、暴力があったと理解する妥当性がある。

もし鴻巣氏が、「少女を埋める」にいくつも設けられた空白、余白について、作品内にきちんと書いてあることに基づき合理的な解釈を示しているのであれば、こうした「文学の一般論」(②における桜庭一樹氏の言葉)を持ち出すことにも意味があるだろう。しかし、見たように鴻巣氏の解釈はそういうものではない。それはむしろ、テキスト内にきちんと書いてあることを無視することによって、ようやく成り立たせることのできる脆弱な解釈でしかない。このような脆弱な解釈を防御するため、「読解の自由と多様性」(②における鴻巣氏の言葉)を持ち出すのは問題のすりかえであると思う。これはそんな次元の話ではない。

テキストに書いてあることを敢えて無視し、作中事実に反するかに見える要素を含む一見妥当性の低い読みを押し通そうというのであれば、それなりの手続きを踏まなければならないだろう。つまり、作中に記されたある一定の言葉を考慮せずにいることを正当化するための作業が必要になる。しかし、鴻巣氏は、時評の場でも、その他の場でも、こうした手続きを踏んでいない。

念のため言っておけば、鴻巣氏の解釈が問題なのは、作者の意図に忠実ではないから、ではない(桜庭氏もこんなことは問題にしていない)。テキストに忠実ではないから、である。鴻巣氏の読み方、「主人公の母親が主人公の父親を介護中に虐めた」という解釈は、テキストをいい加減に読むこと、あるいは、つじつまの合わないところを勝手に切り捨てて読むことによってしか成立しない。「評者はおそらく、作品を斜め読みし、内容を勘違いし、ケア、介護という評のテーマに当てはめるために間違った紹介をしてしまったのだろう」と桜庭氏が考えるのはもっともである。

鴻巣友季子氏により恣意的に構築された作品解釈、換言すれば作品の誤読は、作者の言い分等を踏まえて修正されたという時評においてもそのまま維持されている。「弱弱介護のなかで夫を「虐(いじ)め」ることもあったのではないか」というのは根拠薄弱な、不合理な勘ぐりである。私はそう思う。