フランス法の「既判力」について

「autorité de la chose jugée」は、よく「既判力」と訳されるけれど、日本の法学でいう「既判力」概念とはいろいろ違いがあるようで、注意が必要。調べたことをメモしておきます。

まず日本の「既判力」の定義を確認する。有斐閣法律用語辞典(第3版)にこうある。

民事訴訟法上、裁判が確定した効果として、同一当事者間で同一事項が後日別の訴訟で問題となったとしても、当事者は確定した裁判で示された判断に反する主張をすることができず、裁判所もこれと抵触する裁判をすることができないという拘束力のこと。実体的確定力ともいう。

続いて平凡社世界大百科事典(初版)の「既判力」の項も見ておく。

裁判の効力の一種。実質的確定力、実体的確定力ともいう。文字どおり、すでに裁判所が判断した事項について生じる効力で、既判力の及ぶ範囲では、当事者も後訴裁判所も、さきに裁判所の示した判断に拘束され、それと矛盾する訴えや主張ないし裁判をすることが許されない。

二つの定義には微妙な違いがある。後者で「すでに裁判所が判断した事項について生じる効力」とあるところ、前者では「裁判が確定した効果」となっている。

日本法で「裁判が確定」というとき、その内実は、「通常の不服申立て方法によっては取り消したり変更したりすることができない状態」(有斐閣法律用語辞典「確定判決」の項)に達するということである。こういう状態を一般に、裁判が「形式的確定力」を得たという。

よって次のような等式が成り立つ。

有斐閣法律用語辞典の「既判力」=「実体的確定力」+「形式的確定力」
平凡社世界大百科事典の「既判力」=「実体的確定力」

両文献はいずれも、「実体的確定力」を「既判力」の別称としている。であるならば、日本法の「既判力」概念に組み込まれた「形式的確定力」の前提は、本来的・中心的な「既判力」概念に事後的に付け加えられた、外的・周縁的な条件なのではないかという疑いを抱くことができる。

ところで「既判力」は、米国法ではラテン語のまま「res judicata(レス・ジュディカータ)」と呼ばれるようだ(日本の民事訴訟法の英訳でも、「既判力」にはこのラテン語が当てられている。法務省日本法令外国語訳データベース」参照)。

けれど、この「res judicata」という言葉は、文字通りには「既判事項」という意味しか持たない。「力」ないし「効力」という意味は含んでいないのである。

したがって、「res judicata」が、どのような「効力」を伴っているのかということについては、この表現だけを見ていてはわからない。

金山直樹『時効における理論と解釈』p.239に次のような記載がある。

既判力概念は、その源を探れば、ローマ法(D.50, 17, 207 : res judicata pro veritate accipitur)にまで遡る。

res judicata pro veritate accipitur」は、「既判事項は真実とみなされる」という意味である。「res judicata」を頭に戴くこの法諺から言えることは、第一に「既判力」概念の淵源において、「形式的確定力」についての言及が見えないということである。そして第二に、「既判事項」の効力は、「真実」としての効力であるということである。

第一の点に関して言えば、フランス法の「既判力」概念においてもまた、「形式的確定力」すなわち不服申立ての可能性の尽きることは、その効力発揮の場面で要求されていない。「autorité de la chose jugée」は、日本法でいうところの「裁判の確定」を待たず、判決言渡しの時点で生じると条文に規定されている。民事訴訟法典(code de la procédure civile)480条を見よ。ここに、日仏制度間の顕著な違いのひとつがあると言えるだろう。

ではフランス法において、上訴が尽きたことによって判決が持つ効力をなんと呼ぶか。「force de la chose jugée」と呼ぶ。こちらは民事訴訟法典500条参照のこと。

つまり、フランスの判決効は、以下のような形に分けることができると考えられる。

autorité de la chose jugée=実体的確定力=既判力
force de la chose jugée=形式的確定力

なお、条文を見る限り、「force de la chose jugée」の主眼は、「執行力」にあるようだ。そして、日本の「既判力」概念をめぐる学説上・判例上のトピックは、フランスの場合「autorité de la chose jugée」という言葉の周囲に組織されているようだ。

ここで、「autorité de la chose jugée」から派生した2つの言葉も見ておきたい。「autorité positive de chose jugée」(既判事項の積極的権威または積極的既判力)と「autorité négative de  chose jugée」(既判事項の消極的権威または消極的既判力)である。両者は「autorité de la chose jugée」をその作用(effet)の面から見た場合の言い方で、前者は既判事項の「effet positif」(積極的作用)に、後者は「effet négatif」(消極的作用)に着目しているのである。

「autorité de la chose jugée」の「積極的作用」とはなにか。話は上記「res judicata」第二の側面に関係する。つまり「積極的作用」とは、「res judicata」の法諺にある通り、「présomption de vérité(真実の推定)」のことなのである。言い渡された判決は、これを一個の真実とみなすということ。

既判力の「積極的作用」は、日本法の文献では、ざっと見るに「後訴裁判所は既判力の生じた判断を前提として裁判しなければならない」(山本弘ら『民事訴訟法』有斐閣アルマp.365)といった説明が主流のようであり、「真実の推定」という概念は持ち出されていない。

金山直樹氏によれば、ボワソナードの旧民法草案においては、この概念は生きていた。それが旧民法の条文やその後の学説・議論からは消えてしまう。「徹底した実用主義・実利主義」(金山前掲p.247)が勝利したのだ。もっとも、これは日本に限られることではなく、フランス本国においても、「真実の推定」という観点は不人気であるという。

しかし、既判力が、真実の推定という考え方から切り離された形で観念されてしまうと、司法制度はそれが前提とする権利の守護者としての存在意義ないし価値を失ってしまいかねない。仮に判決したことが真実だと推定できないとなると、既判力は実体的な正当性の契機をどこにも見いだすことができなくなってしまうからである。それゆえ、訴訟の観点だけから既判力を捉えて済ませることはできないと考える。
(金山直樹『時効における理論と解釈』p.249)

次に「消極的作用」であるが、こちらは既判力ある裁判の後訴に対する排斥作用(遮断効)のことで、ようするに同じ紛争を蒸し返すことを妨げるものだ。フランスの場合、既判事項につき、同一審級の裁判所があらためて審理に入ることはできない(不受理事由fin de non-recevoirを構成する)。

仏民法典(code civile)1351条は、この作用に3重の条件を付けている。「請求事項(chose demandée)の同一性」「請求原因(cause)の同一性」「当事者(parties)の同一性」である。かかる3点が前訴と同じである場合、後訴は排斥される。

既判力の客観的範囲については、日本の場合、民事訴訟法に「確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。」(114条1項)という規定が設けられており、原則として判決理由中の判断には既判力が生じないとされる 。

フランスではどうか。じつは以前、あるフランス人法曹が「フランス法の既判力は、主文(dispositif)のみならず、しばしば決定的な理由(motifs décisifs)にも認められる」と書いているのを読んだことがある。けれど条文上は、やはり既判力の範囲を主文に限定しているように見える(民訴法480条)。

この問題に関しては、パリ第2大学教授セルジュ・ギャンシャール(Serge Guinchard)の論文「判決理由中の判断と既判力――フランス法の議論から」(ジュリスト1997年9月1日号)が詳しい。これによれば、民訴法480条は「主文において本案の全部又は一部について判断する判決に既判力を付与しているとしても、判決のどの部分に既判力が付与されるかを明確にしていない」。それゆえ、判例や学説で、さまざまな議論が生じているのだという。

ギャンシャール教授は、「決定的な理由」(motif décisif)と「判決的な理由」(motif décisoire)、「終局判決」(jugement définitif)と「先行判決」(jugement avant dire droit)を区分して論じている。

「決定的な理由」とは、主文と論理的な関係を持ち、主文を支える根拠として必要不可欠な理由のこと。一方「判決的な理由」(「決訟的な理由」とも訳される)は、主文とは無関係に本案について判断しているもので、判決文作成上のミス(erreur rédactionnelle)によって主文の外に追いやられてしまったものをいう。

「先行判決」は、手続き中に証拠調べ(mesure d’instruction)や仮の処分(mesure provisoire)を命じる判決のことで、こうした判決それ自体には原則として既判力が生じない(民訴法482条)。問題は、先行判決に示された判決理由が本案についての判断を含む場合で、このような判決理由に既判力を認めるか否かという点につき、判例は割れているらしい。

なお、「先行判決」は「中間判決」とも訳される。ただし、日本法の「中間判決」とは内容がだいぶ異なる。これに関しては、ギャンシャール論文の訳者、山本和彦氏の注に含まれる説明が明快だった。

(フランスの)先行判決に相当する日本の制度は証拠調べ決定や保全処分決定であろうが、それは原則として常に本案の判断とは別個になされる(したがって、日本には混合判決は存在しない)。ここで論じられている問題を無理に日本法に引き付けると、例えば証拠調べ決定(鑑定命令等)の中で本案に関する判断がなされているときの効力の問題ということになろうが、日本では否定的に解されることに異論はないと思われる。
ジュリスト1997年9月1日号p.77)

最後、既判力を考慮するにあたって、当事者の援用が必要となるのか、あるいは裁判所が職権で調査するのかという問題について。日本の裁判では、既判力の有無は職権調査事項に属するが、フランスも同様と考えていいようだ。フランス法律用語辞典(Dalloz社のLexique des termes juridiquesの翻訳)第3版(三省堂)の「chose jugée」の項に「既判力は裁判官により職権で指摘されうる」とある(第2版にこの一文はなかったのだ!)。

以上、フランス法の「既判力」概念について、翻訳者として留意しておいたほうがいいと思われることを簡単にまとめてみました。思い違いや誤りもあるかもしれません。あくまで参考まで。