中島義道の「変な感じ」

死ぬのがこわい、できれば死にたくないという人も、では永遠に死なないのがいいのかときかれれば即座に、それもごめんだと答えるのではないか。日々の暮らしの中で不意に襲ってくるタイプの死の恐怖、それについて語られたものをみると、「永遠に」だとか「無限の時にわたって」だとか、そういう時間的な観念もまた、激しい恐怖の一因をなしている。子供のころ読んだ水木しげるの漫画(だったと思うが違うかもしれない)に、何かの理由で死ねなくなった人間が四肢をばらばらに切断されて、でも死ねないので、頭は頭、腕は腕、脚は脚、それぞれの部位が、それぞれのスタイルで、永遠に「痛いよう、痛いよう」と嘆き続けるというのがあって、いやな気分になった。ほかにも不死の不幸について語る小説、随筆など、よくある。しかし、だから死ぬのは幸せなのだともならないのだから、難儀である。

死ねないのは不幸だ、ゆえに死ぬのは幸福だというのは理屈だが、死の恐怖はどうやら理屈ではない。「ただ可厭だから可厭なんだ」(二葉亭四迷)。といって本能というわけでもないだろう。丸山圭三郎も書いていたが、死の恐怖は、まぢかに迫った死の危険に際して犬猫でも感じるはずの感覚、動物的本能に由来する恐怖とは別物だ。なぜなら、健康体に襲いかかる死の恐怖には、直接的な理由も原因もないからだ。それはハイデガーの語る「退屈の第三形式」のように、日々の雑事のあいま、ちょっとした空白の時間に、何の予告もなく突然やって来る。

この観念的な驟雨に襲われた人間は、日常生活の何もかも、一切合財が、ことごとくフィクションであることに気づいてしまう。学校で勉強すること、会社で仕事をすること、赤信号で止まること、歯を磨くこと、飲み食いすること、大小便をすること、寝ること、夢を見ること、息をすること――ぜんぶ嘘、まやかしである。そのことに気づいて、身ぐるみはがされたような気分になる。そして、ただひとつのこと――丸裸の自分が死ぬということ――そのことだけが、究極の真理、現実のなかの現実として、最大限のリアリティを伴って、眼前に立ち現れる。

死の恐怖は理屈を超えているのだ。いろいろな理屈(「一人称の死は存在しない」とか)を並べて、「だから死ぬのは怖くない」としたり顔で話す人が、なんだか頓珍漢に見えるのは、そのせいだろう。むしろ、「それでも死ぬのは怖い」のだと言える。あるいは、「死の恐怖はどうすれば克服できるのか」といった、やたらザッハリッヒな問いの立て方も、自然な思考の成り行きに従っているとはいえ、オチが見えているだけに、つまらない。どうせ「悟りを開け」だとか「ポジティブに生きよう」だとか、そういう話になる。単に恐怖を解消するのなら、ジョギングでもすればいいんじゃないか*1

そもそも、死の恐怖は、能動的に克服できるものなのか、克服すべきものなのかということだ。どうもそうじゃない気がする。

「私は死の恐怖を克服することはできない」と言い切り、さらには「死の恐怖がなくなることもまた、大きな恐怖」であるとする森岡正博(『無痛文明論』)をはじめ、恐怖を克服するという方向の、短絡的な解決に就かない論者は少なくない。

たとえば、「智識で『死』の恐怖を去る事は出来ん」と語る二葉亭四迷(「予が半生の懺悔」)。あるいは柄谷行人もそうだろう。死の恐怖を「近代的な錯誤」であるとするフィリップ・アリエスらの指摘が正しいとしても、その正しさによっては、恐怖を解消することはできないと書いている(『探究II』)。

そして、死について考え続けるという「不純な動機」(『明るいニヒリズム』)を抱えて哲学を始めたと告白する中島義道もまた、かりに哲学的思索によって死の恐怖のもとになった諸概念を解体したとしても、単にそれだけでは恐怖を消し去ることができないと観念している。頭で理解するだけではダメで、身体で実感しなければならないというのだ。

これについては以前のエントリでも、中島義道における論理的解決と心理的解決の区別という形で注目している(後者「心理的解決」は、「直観的解決」という言い方のほうがよかったかもしれない)。そこでは、最終的な目標が「心理的解決」すなわち「実感」であるのなら、それに先立つ「論理的解決」すなわち「理解」の過程はいらないのではないかと考えたのであった。

再度の引用となるが、中島義道の「実感」は、次のような態様をとっている。

ずっと前のことだが、ミュンヘンからミラノへ鉄道でゆっくりと下っていたときのこと、澄みわたった空にゴツゴツした岩山が車窓間近に聳えていた。そのとき、フッと変な感じが湧きあがってきた。眼に染みるような青空と太陽に光り輝く雄大な山を見つめているうちに、ほんの一種のことだが「私は<ここ>にではなく<あそこ>にいる」というまぎれもない実感がした。私は見ている場所ではなく見られている場所にいる。私はこの身体を飛び出てあの山に貼りついているのだ。「ああ、こういうことなのだな」と思った。そして「私は死なないのだな」とも思った。
中島義道「『死』を突き抜けて」『生きにくい……私は哲学病』)

中島は、「フッと変な感じが湧きあがってきた」と語っている。そして「『私は死なないのだな』とも思った」と書いている。この不死性の感触に伴う「変な感じ」は、たいそう気になる。中島は、エッセイの末尾、次のように記している。

これが「私」を脱ぎ捨てたP0の実感であったのかどうか、それはわからない……が。
(同上)

自分の「実感」の意味合いを測りかねている様子だ。そこで今から、中島義道に代わり、この「実感」の意味するものを考えてみたい。

引用したくだりに先立つ部分で、中島は、「死んだら私は永遠の時間にわたって無の中に閉じ込められる」というような、この種の死の恐怖に特有のイメージ*2が、ひとつには、「時間の空間化」という錯覚に基づいていることを指摘している*3。時間は空間ではない。そのことは誰でも知っているはずなのに、過去や未来について考えるとき、人はなぜか、過去という場所、未来という場所が、現在という場所の前後に等質的な形で広がっている像を描いてしまう。その未来という場所にある「死」が、やがて自分のもとにやって来る。そんなふうに考えてしまうのだ。あるいは、無限に伸びる直線のような客観的時間軸を想定し、その軸上に自分の誕生や死といった出来事を位置づける*4。自分の死が記された一点から先、この直線は無限のかなたまでずっと伸びていく。しかしそこに「私」はいない。そして二度と現れない。

しかし、中島によれば、こうしたイメージはぜんぶ、じつのところ錯覚にすぎない。過去も未来も、そのものとして、空間的に「ある」わけではない。実在するわけではない。仮象だ。そのことに気づき、大学生の中島は「少々ラクになった」という。けれど、「これによって死の恐怖が雲散霧消したわけではない」。――「無」が引っかかる。自分が「無」であるとはどういうことなのか。

「無」がもたらす恐怖については、このエッセイではあまり展開されていないが、『「死」を哲学する』で、やや詳しく、その解明が試みられている。

さしあたり言えば、「無はない」(パルメニデス)。それは本来、否定辞としての「ない」という言葉にすぎないはずなのだ。ところが、この「無」について直接的に語ろうとすると、どうしても「無」という名の「有」の話になってしまう。単なる否定の精神作用が実体化されてしまうのである。西田幾多郎の「無の場所」なども、この「有」化された「無」、いつわりの無の表象なのではないか*5。「私は死んでしまった瞬間に、一日死んでいようが、百年死んでいようが、一億年死んでいようが、まったく同じ無なのです。無=ゼロなのですから、それにどんな大きな数をかけてもゼロのまま」。「永遠の無」が恐ろしいのは、じつはこの「無」が完全な「無」ではなく、微小な「有」と錯覚されているからだ。微小ではあれ、ゼロでなければ、掛け算が効いてくる。

死は、よくたとえられるように、眠りに似ている。意識がないという点では、同一であるとさえいえる。けれど、眠りは恐怖を呼び起こさない。なぜか。人は眠りから覚めることができるからだ。けれど、死はそこから覚めることができない。「死が恐ろしいのは、無になるからではなく、『あとから』それを確認する視点をもちえないからなのです」。すなわち、想起する視点の消滅。これが、ただの「不在」とは異なる本当の意味での「無」なのであり、そしてこの真の「無」の観念こそが、恐怖の源泉となるのである。

ということは――中島は考える――逆に、この「視点」を何らかの方法で回復できるということになれば、死は不在や眠りと実質的に変わらないものとなり、その効果として、死の恐怖もまた小さいものとなるのではないか。

「視点」が重要である。とすれば、たとえば冷凍睡眠や前世の記憶を保持したままの輪廻転生などのように、実際に「無」から「覚める」必要はないかもしれない。「視点」だけが回復すればいい。さらには、この「視点」が「私の視点」である必要さえないかもしれない。「絶対的な他者の視点において『私の体験したこと』をすっかり想起すること」(原文は「おいて」に傍点)。たとえば「神が私において想起する」というような――。この実感が確信に至るならば、「私が死ぬことによって、『私において』という『様態(modus)』が消えるだけであって、想起されたものの本質はいささかも変化しないのかもしれないのです」

正直「想起されたものの本質」という言葉が何をさしているのかよくわからないのだけれど、この「絶対的な他者の視点」の話が「変な感じ」の体験談と深く関係していることはわかる。ただし、そのことを理解するには、中島の「私」概念をめぐる考察に立ち入らなければならない。

「時間」、そして「無」に続いて、「『死』を突き抜けて」の中島は、「私」を俎上に載せる。私は死ぬのが怖い。だが、これほどまで死を恐れるこの「私」とはなんだろう。中島によれば、「私」とは、「想起の対象(過去)と想起する作用(現在)とを繋ぐもの」である。

「無我夢中で」「我を忘れて」という言い方があるが、そうでなくても、じつは、ただふつうに生きているだけでは、「私」は意識に現れない。「私」が「私」であるという意識――自己意識――は、ある特殊な要請によって出現するのだ。ではそれは、どういう要請か。

私は過去の事象を想起する。そのとき、想起されたものは過去という時間にあるが、想起する私は現在ある。ここに過去と現在という異質的なものを「繋ぐ」ものとして「私」が論理的に要請される。
(「『死』を突き抜けて」)

「なぜ想起するのか?」という問いは問えると思う。中島は、客観的過去を作り上げたり、時間を空間化したりという人間の心性の底に、原因の追究という「原始的な願望」(『時間を哲学する』)を見出している。また、『明るいニヒリズム』では、「時間を空間と混同すること」がもたらす「実用的生活」上のメリット(「測定」等)について指摘している。「気がついたら、想起してしまっている」(『明るいニヒリズム』)というような場合も含め、「想起」にも、なにかこうした人間が真っ当な社会生活を営む上で役に立つ機能が備わっているのかもしれない。

まあ、とにかく、「私」は想起する(こういう言い方をすると、まず「私」があって、それから「想起」が起きるような感じになるが、実際には同時に起きているということだろう。『明るいニヒリズム』では「『私』の登場と『過去』の登場は『等根源的』である」と言われている)。そして、この想起という特殊な場面で要請され、この要請に従って作り上げられた「私」という概念を、現在時における「知覚」という作用にもあてはめ、さらに「意識作用一般に拡張した」とき、「私」という、恐らくは実用的な概念が完成する。

つまり、この「私」は、いささかもアプリオリなものではない。構成されたものにすぎない。構成されたものであるからには、解体することもできるだろう。

こうした方向に思索を進めてゆきながら、かなりぼんやりとした実感なのだが、私は私の身体を離れることによって死を離れることができるのではないか、と思いはじめた。すなわち、過去を切り捨てること、想起を切り捨てることである。
(同前)

身体を離れることが、過去と想起を切り捨てることになるのは、中島においては想起の対象=「私の状態」であり、この「私の状態の中心に私の身体が位置する」からだ。

今、私が昨年夏にドナウ川べりの泳ぎ場にいたことを想起するとき、私は私の身体の状態としての心地よさと、私の身体の周りに広がる広大な緑地、そこに寝ころぶ人々、そのかなたのドナウ川という私の身体に対する世界の状態を想起している。
(同前)

「私」に「身体」というものが備わっていなければ、こうした身体的な記憶は生じようがない。したがって想起が不可能となり、ゆえに想起に伴う「私」も出てこない。こうした想起から切断され、「私」から切断された、現在の知覚の場面においてあるものを、中島は、「視点P0」と呼ぶ。この「視点P0」は「さまざまな人(中略)に共通のあり方なのであって、私固有の視点ではない」。すなわち「ニュートラルな存在者」であり、「私」とは無関係だ。この非人称的な視点が、「私の視点」であると感じられるのは、すでに見たように「錯覚」にすぎない。そしてこの「視点P0」は単なる視点なのであるから「生まれたり死んだりする存在者でない」。よって「P0である私は死ぬこともないのだ」。

「『死』を突き抜けて」では、この言葉の直後、3つのアステリスクを挟み、すでに引用した「変な感じ」の体験談が語られる。だが、この体験談を、直前までの記述と突き合わせて考えると、いくつか疑問点が出てくる。

まず第一に、中島は、「視点P0」が「さまざまな人(中略)に共通のあり方」だと言っているけれど、体験談に記される「実感」は、この言葉を裏切っているように思われる。なぜなら中島は、「私は<ここ>にではなく<あそこ>にいる」と記しているからだ。ここに表明されているのは、「さまざまな人(中略)に共通」ではないもの、「私」的な存在者に固有の感覚ではないか。「さまざまな人(中略)に共通」なのであれば、<ここ>を否定し、<あそこ>を肯定することはできないだろう。

次に、体験談中の「私」――恐らく中島は、この「私」が「P0である私」だと考えている――は、「この身体を飛び出してあの山に貼りついている」。これはつまり、「私」が物理的に「私の身体」から切り離されているという感覚であると言えるが、この感覚は、体験談に先立つ部分で語られる切り離しと、内容的に見合っていないのではないか。

中島はこう書いていた。「私は私の身体を離れることによって死を離れることができるのではないか、と思いはじめた。すなわち、過去を切り捨てること、想起を切り捨てることである」。このような意味での切り離しは、観念的に遂行されれば十分なのであり、「私」と「私の身体」の物理的な切り離しまでは、要求されないはずだ。しかし、中島の実感において、「私」とその「身体」は、文字通りフィジカルな形で切断されている。この実感に備わる過剰性は、どこから来るのか。何に由来するのか。何を意味するのか。

恐らくこの過剰性は、「<ここ>にではなく<あそこ>にいる」「私」が――日常生活の「私」でないのは無論だとして――純粋な「視点P0」とも異なる何かであることを意味している。いわゆる「私」ではないが、「私」と呼ばれる資格を有し、かつ「身体」から物理的に切り離されているもの――この「私」は、ようするに、「私」の「魂」であると考えられる。

そしてそうであるならば、<あそこ>と区別されたものとしての<ここ>、すなわち魂の抜けた「私の身体」のもとで、「私は<ここ>にではなく<あそこ>にいる」という「実感」を感じている主体は、誰なのか。あるいは、何なのか。

これこそが「視点P0」だろう。

いわゆる「私」を脱ぎ捨てた純粋な視点「P0」は、そのまま、いわゆる「私」の「身体」に残っている(したがって「P0」は、「さまざまな人に共通」のものではなく、元の「私」の視点と視野をそのまま引き継いでいる)。そしてその位置から、山肌に貼りつく、いわゆる「私」の「魂」を眺めている。つまり、「P0」が「私の身体」を離れるのではなく、逆に「私」の「魂」が「私の身体」を離れたということだ。あるいは、「私」は自分の「魂」を外に放り出すことによって、純粋な「視点」となる。

この純粋な「視点P0」は、「私の身体」のもとにとどまっており、したがって、その死とともに消滅することになるだろう。では、山肌に貼りついた「私」の「魂」については、どうか。中島はこう書いている。「『ああ、こういうことなのだな』と思った。そして『私は死なないのだな』とも思った」。つまり、「P0である私」が消滅し、「魂である私」が残る。これが中島の「実感」の内実である。

中島は、体験談に先立つ論述で、「P0である私」は死なないと書いていた。しかし、その体験談を精査した結果、中島の実感が、それと異なり、「魂である私」の不死の気分であることが明らかとなった。つまり、中島の論理的解決と中島の心理的解決は対応していない。よって、「私は死なない」という実感の到来、死の恐怖からの解放は、やはり論証とは関係ない。

無論、このように言えるのは、中島義道が「変な感じ」の体験を正しく言葉に変換している場合に限られるのだが。


※関連するエントリ:
死の恐怖をめぐって――中島義道、大江健三郎、森岡正博を中心に - 翻訳論その他
哲学の欺瞞性――國分功一郎『暇と退屈の倫理学』から考える - 翻訳論その他
父が息子に語る「運命の乗り換え」 - 翻訳論その他

*1:メメントモリ的な教育についてはどうか。こうした準備教育は、死ぬのが怖くないという人には、たしかに必要なのかもしれない。が、死に伴う「苦痛」にではなく「永遠の無」に怯えるタイプには不要だろう。こうしたタイプの人間は、ふだんから、ちょっと空いた時間ができればすぐにたやすく死の恐怖にさらわれてしまうわけで、言ってみれば日々独学に励んでいることになる。わざわざ「死の準備」などと構える必要はない。おまけに、突発的な死の恐怖と付き合いの深い人の場合、いざ本番を迎えても、それ自体によっては、それほど恐怖を感じない可能性がある。観念的な死の恐怖は、現実的な死のリスクと関係ないからだ。

*2:以前のエントリでは、中島義道大江健三郎森岡正博の記述を引用したが、今回は平野啓一郎の小説から引用する。「大野は死を恐れている。(中略)死と云う刹那の出来事そのものは、さほど怖いとも感じない。死に方によっては、随分と苦痛があるだろうとは思うものの、その苦痛が恐怖の正体ではない。彼が恐れるのは、その後に死に続けていなければならない時間の無限である。(中略)五感の活動が一切停止したまま、永遠に終わらない時間を不在のまま耐え続けねばならない。やがて人類が滅亡し、地球が太陽に呑まれ、宇宙に何か思いも寄らない異変が起きたとしても、それは彼の死を中断する事が出来ない。(中略)それを考えると、彼は内から真空が張り詰めてくるような、鋭い金属的な感触の恐怖を感じる。」(「フェカンにて」)。長編『決壊』にも、登場人物の一人が似たような台詞を口にする場面がある。

*3:たとえば以前引用した大江健三郎「セブンティーン」における死の恐怖の記述では、「永遠のゼロ」の話が、そのまま何の断りもなく宇宙の果ての「なにもない所」の話につながっている。

*4:『明るいニヒリズム』では「年表的世界像」と言われている。ちなみにカート・ヴォネガットスローターハウス5』に出てくるトラルファマドール星人は、「四次元的な視力」を持っていて、比喩ではなしに、時間を空間的に知覚する。彼らは死体を見ても嘆いたりしない。なぜなら、視線をちょっと逸らせば、その人の生きている姿を見ることができるからだ。

*5:「無の場所」的イメージは、SF小説にしばしば登場する。ハインライン、法条遥……。