「作者の死」?――ロラン・バルト雑感その3

ロラン・バルトが描いてみせた「作者の死」の光景には、作者の死体と並んで、批評家の死体が転がっている。

ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。このような考え方は、批評にとって実に好都合である。そこで、批評は、作品の背後に「作者」(または、それと三位一体のもの、つまり社会、歴史、心理、自由)を発見することを重要な任務としたがる。「作者」が見出されれば、テクストは<説明>され、批評家は勝ったことになるのだ。したがって、「作者」の支配する時代が、歴史的に、「批評」の支配する時代でもあったことは少しも驚くにあたらないが、しかしまた批評が(たとえ新しい批評であっても)、今日、「作者」とともにゆさぶられていても少しも驚くにあたらない。(ロラン・バルト「作者の死」、『物語の構造分析』p.87、訳文は一部修正、太字は引用者)

仮に「作者」という概念が消えるようなことがあるとすれば、そこで消えるのは「作者」だけではない。あらゆる批評が消えることになるだろう。なぜなら批評は、それが解釈である限り、意味するものとしての「作者」を、どうしても必要とするからだ。時代や社会や人が作品に反映するという実証主義的な批評はもとより、そうした制度的な読み方に異を唱えるような「新しい批評」、いわゆる「ヌーヴェル・クリティック」であっても、それに変わりはない。「作者の死」とはすなわち批評の死である。右の一節で、バルトは、そういうことを言っている。

ところが、否定的な文脈であれ肯定的な文脈であれ、「作者の死」、あるいはその相関物としての「テクスト論」という言葉には、しばしば「批評」という、一番似つかわしくない言葉が寄り添っている。

これまでテクスト論批評として知られてきたものについて言えば、その創始者の一人ともいうべきロラン・バルトは、作者の手から自由になったテクスト=記号の織物を、目にもあざやかな手つきで読解し、テクスト論の切り開いた領野の可能性を開示してみせたが、それを文学作品批評の新方法として受けとったいわゆるテクスト批評論者のほうは、そのツケを支払う形で、以後、この考え方が内包する「価値の決定不可能性」という難問に、苦しむようになる。(加藤典洋『テクストから遠く離れて』p.198、太字は引用者)

バルトは「テクスト論批評」の「創始者」ではない。「テクスト論」は「批評」を否定するものなのだ。テクスト論者バルトの「目にもあざやかな」「読解」とは、具体的には、バルトのどの文章、どの著作を指して言っているのだろう。

例えばバルトが「作者の死」とともに揺さぶられると書いた「新しい批評」のひとつに、「テマティスム(テーマ批評)」と呼ばれるものがある。これを作者を殺す「テクスト論批評」の実践とみなす人もいるけれど、違う。テマティスムは「作者」を殺さない。そのことは、テマティックと形容される一連の批評の標題を見れば、誰の目にも明らかだ。バルトの『ミシュレ』、ジャン=ピエール・リシャールの『マラルメの想像的宇宙』、あるいは蓮實重彦の『夏目漱石』(註1)。これらのタイトルに含まれる「ミシュレ」や「マラルメ」や「夏目漱石」は、現実の「ミシュレ」や「マラルメ」や「夏目漱石」と正確に一致している。『夏目漱石論』で蓮實が取り上げる文章は、ことごとく生身の夏目漱石が書いたものではないか。つまりテマティスムは、作者を殺すどころか、その批評の基礎部分に、冷凍保存された生身の作者を埋めているのだ。

あるいは、テマティスムを「作者の死」の反映とみなす考え方は、はなはだしいアナクロニスムでもあるだろう。『ミシュレ』の刊行は1954年、『マラルメの想像的宇宙』は1961年。一方、「作者の死」は1968年の文章である。

バルトの「作者の死」をめぐる誤解は、まだほかにもある。実際、この言葉は、「多様な読みの可能性」と要約できる、真っ当で穏当な考え方と結び付けられることが多い。「作品はすでに作者の手を離れている。それはすなわち読者の手に委ねられているということだ。だから、ある一定の条件のもと、読者が自由に解釈していい」というような考え方だ。けれど、バルトの「作者の死」は、こうした「解釈」という行為それ自体を疑問に付すものなのだ(註2)。したがって、ヴォルフガング・イーザー、ウェイン・ブース、スタンリー・フィッシュらの読者反応論ないし受容理論ウンベルト・エーコの「開かれた作品」、あるいはイェール学派の脱構築批評、さらには「誤読の権利」や「読みの創造性」といったありがちな議論とは、ほとんど触れ合わない(註3)

これらの文学理論における「読者」と、「読者の誕生は、『作者』の死によってあがなわれなければならないのだ」とバルトが記すときの「読者」との間には、相当な開きがある。バルトの「読者」は、「あるエクリチュールを構成するあらゆる引用が、一つも失われることなく記入される空間にほかならない」。またそれは、「歴史も、伝記も、心理ももたない人間である」。単なる物理的な空間にすぎず、徹底的に受動的なバルトの「読者」は、「読者」であるとは言うものの、読むことから限りなく遠ざけられている。この「読者」は、読者の癖に、読まないのだ。

こうした天井を突き破ったような読者像が、近代以前の物語受容者にも対応しないことは明白だ。つまりバルトは、「作者」という概念の歴史性について語っているけれど、その「読者」概念について言えば、歴史性とは別の次元で考えているということだ。

加藤は「ただの読者として小説を読む」(前掲書p.324)といった。けれどこの「ただの読者」は、物理的に目の前に存在しない「作者」を、物理的に目の前に存在する文字列の背後に「像」として見てしまうほど、教化された読者、訓練された読者なのである。この読者は、頭の中に、「作者のいいたかったことは何か」としつこく聞いてくる教師を飼っている。この内面の教師の問いに律儀に答えようとする「ただの読者」は、だれもかれも、小ぶりの批評家みたいな顔つきだ。

バルトの「読者」は、加藤のいう「ただの読者」の手前に立っている。この読者は、文字を文字として、記号を記号として感受することができるほどには「読む」ことができるが、記号を構造化し、より広い文脈に置き直すことはできない。というよりも、しない。なぜなら、こうした構造化と文脈化にどういう意味があるのか、そのことさえ知らないからだ。けれど、この「読者」は、自分の原初的な読みの行為から、最高度の喜びを引き出している。「作者の像」なんて思い浮かべることのない、解釈にも解読にも関心を抱かない、こうした無教養で、反文化的で、非人称的な読者、「作者の死」の手前を生きる、「テクストの快楽」しか知らない野生の「読者」こそが、バルトの「読者」なのである。

さて、「作者の死」から3年後に発表された「作品からテクストへ」という文章で、早くもバルトは、「テクスト」という概念に対して、ひとごとのような態度をとっている。この中でバルトは「テクスト」に関する7つのテーゼを示しているが、それらには明らかに、他者の思考が紛れ込んでいる。概してこの「作品からテクストへ」は、「作者の死」とともに、バルトが自己のテクスト論を開陳したマニフェストのような文章として受け取られている。けれど、首尾一貫性を欠いた、ときに相互に矛盾する命題群に、彼自身のテクスト論を読み取ることは難しい。実際バルトは、あくまで自分を「紹介者présentateur」と位置付けている。

これら7つの主張を受けて書かれた結論部――もっとも、ここにもやはり他者の痕跡が残されているが――には、しかし、バルトの考える野生の「読者」の行く末がはっきりと示されている。バルトはこう書く。「テクスト」をめぐる個々の命題が、「テクスト理論」なるものを織り上げることはない。というのも、「テクスト理論」というものがあるとすれば、それは、「メタ言語的陳述に満足できない」はずだから。

メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にはメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないであろう。というのも、「テクスト」は、いかなる言語活動をも外部に避難させておかず、言表行為のいかなる主体をも、裁判官、教師、精神分析医、聴罪司祭、暗号解読者の立場に立たせることのない、あの社会的空間だからである。「テクスト」の理論は、エクリチュールの実践と一致する以外ありえないのだ。(ロラン・バルト「作品からテクストへ」、『物語の構造分析』pp.104-105)

〈読むこと〉の失調において〈書くこと〉が起動する。バルトのテクスト論は、批評の理論でも、読者の理論でもない。それは、歴史的にではなく、認識的に新しい、しかし、読むことの始原に常に潜む、普遍的な存在としての〈書く読者〉を前景化する。すなわち「作者の死」は、エクリチュールの理論として、人知れず、作者の誕生を告げているということだ。


註1蓮實重彦は、この評論が「テマティスム」とは「無縁の試み」であると、序章で韜晦している。この場合、「テマティスム」の定義が問題となるだろうが、「そんなことはどうでもよろしい」。

註2:テマティスムも、それが批評と呼ばれるからには、とうぜん解釈であることを免れていない。バルトは言う。「ミシュレのテキストに関して、まるで聖書解釈ばりの解釈学が成立すると言っても過言ではない」。ただし、「ミシュレを直線的に読むことはできない」。「ミシュレの言説は紛う方なき暗号文であって暗号解読用の格子が必要なのだが、その格子とは作品の構造そのものなのである」(ロラン・バルトミシュレ』p.257)。

マティスムは、テーマの網の目が作り出す構造を作品(群)から抽出し、当の構造それ自体を「シニフィアン」と考える批評のやり方であると言えるだろう。この構造的シニフィアンには、それに対応する「シニフィエ(signifié)」ないし「意味(sens)」が示されることもあれば、示されないこともある。後者の場合、テーマと構造を抽出する手つきの鮮やかさが批評の価値に置きかえられる。テマティスムに魅力があるとすれば、ここにあると考える論者は多い。リシャールの文章はすばらしい、バルトの文章は美しい等々。けれどこの事実は、テマティスムが、全体的ないし統一的な「意味」を志向しているという別の事実を打ち消すものではない。

註3:一方、加藤典洋が『テクストから遠く離れて』で提示する「作者の像」という考え方は、ウェイン・ブースの「内在する作者(implied author)」を思わせないでもない。けれど、もっと似たようなことを主張する人が、国文学の領域にいる(いた)。三好行雄。三好は、蓮實重彦との対談(「『作者』とは何か」)で、こう語っている。「作家の実生活を作品と直結すること自体には私は必ずしも賛成しないわけです。ただ、そういう作家という存在を、作品とのかかわりにおいてどんなに切り落としていったところで、最後に、作品の時空を統括する存在としての作者というものは残るのではないか」。三好によれば、この「作者」は、いわゆる「内的作者」とは違い、「非常に細い糸」によって現実の作者につながっている。「それは作者の影であってもいいわけだし、(中略)たぶん虚像なんだろう。つまり、自分の仮構した作者像にすぎないかもしれない」。

加藤の本は、「作者の死」をモットーにした教条的なテクスト論に対して、作者の「虚像」を起点に批評を紡ぎだすことの権利を、「信憑」と「普遍的な美の原理」という二つの言葉によって擁護しようというものだ。しかし、少なくとも蓮實重彦は、こうした加藤典洋的(あるいは三好行雄的)な読解の権利を否定しているわけではないし、『夏目漱石論』的な読解が「普遍的な方法としては全く成立しない」と明確に語ってもいる。明らかに蓮實の『小説から遠く離れて』のパロディとしての表題を持つ『テクストから遠く離れて』に、蓮實重彦の名前が一度も登場しない理由は、たぶんここにある。