暗いバス通り――保坂和志「こことよそ」論(7)

 

月報エッセイの内容は、そのほぼすべてが「こことよそ」に取り込まれている。フロイトの夢の話も別ではない。けれどエッセイを締めくくる、右に引いた段落の要諦と言ってもいいかもしれない、中段のよじれた文による記述は別かもしれない。「私はむしろ今の自分の方こそ、考えのなかった二十代の自分が見ている夢かもしれない」。この文は小説のなかに取り込まれていない、作品の外部のその場に留め置かれている、そのように見える。しかし、それは表面上のことである。先に見たバス通りの言表の言語の体内に込められた、過去の自分が現在の自分のことを思い出しているという状態は、現在の自分(六十歳の自分)が過去の自分(二十代の自分)の見ている夢のなかの自分であればこそ可能になる状態だ。目覚めたとき夢は、目覚めた自分にとって過去となる。二十代の自分が六十歳の自分のことを自分の見た夢として思い返すとき、その状態が手に入るだろう。また同じく、現在の自分が現在の自分のことを思い出しているという状態は、思い出す側の自分(六十歳の自分)が思い出される側の自分(六十歳の自分)と同一の自分ではなく、ほんとうはそれとは別個の自分であることに薄明のなかで気づいている状態をあらわしている。「思い出している」という言葉には時間的な差異への気づきが鮮明にあらわれているが、時間的な差異と質的な差異が二つの自分を分かつものとしてあるという完全形の事実は、この段階では意識にとって未到の領域にあるため、こういう奇妙な言い方が生まれている。こういう奇妙な状態は、夢のなかの現在の自分(六十歳の自分)が、ほんとうは夢のそとで夢を見ている現在の自分(二十代の自分)であることを、当の夢のなかで淡く自覚するときにあらわれる、あの遷移的な状態によく似ている。そのとき自分は夢を見つつも半分夢から覚めている。夢の現前と、夢の想起とが、混淆しているのだ。

つまり「こことよそ」の言表が生きる二重写しの異様の現実は、六十歳の小説家の自分は、「ただ小説家になりたいという思いばかりを持っていた」若い頃の自分の見ている夢の自分なのであり、つまり現に小説家である大人の自分は、小説家になることを夢見ていた青年の自分よりも大きさとして小さくあるという事実認識が世界をさしおいて独力で作りあげた現実である。つまり「その記憶はすごくリアルで私は逆向きに歩きながら六十歳のいまを思い出しているようだった」という小説の言葉と、「私はむしろ今の自分の方こそ、考えのなかった二十代の自分が見ている夢かもしれない」というエッセイの言葉は、同じひとつの薄明の現実状態を指し示している。

しかし、エッセイでは、この言葉に引き続き唐突に、エッセイを書く「私」のそれとは別の、ひとつの声が立ち上がる。「私」に対して「おまえ」と呼びかける、その声が荘厳に告げる。「おまえはそうであることを望んでいるに違いない」と。どこからともなく「私」のもとにやってきて「私」の語りの首座をかすめとるこの言葉の抱え込む意味内容は、たしかに、小説の言葉に受肉していない。小説の内部に見られるのは、「私はあの若かった頃があったそれを確認するだけで喜びがある」という言葉までだ。いまの自分がその「若かった頃」の自分の見ている夢の現在に限定された生を生きる、小さな像の自分であればいいのにという思いまでは書き込まれていないのである。しかし、「こことよそ」に書き込まれていないが、そこに書き込まれた、厳格に曖昧であること通じ、離接的綜合を体現するその言表には、月評エッセイのなかで垂直の何者かによって言いあてられた、この根源的な秘密の思いが込められているのではないか。異様の現実の像は、この根源的な秘密の願望の作りあげた心の産物なのではないか。このような修辞的な疑問の声が、わたしたちの外部から聞こえて来るようだ。

けれどもわたしたちは、このように冷め切った理知的な声に説得されることはないのである。「こことよそ」の厳格な曖昧さのうちに固く閉じこもった言表から、わたしたちがいやでも受けとってしまう事項は、真理の告知を装う荘厳な声の告知する、がりがりに痩せ細った願望の言葉に切り詰めることはできないのである。「おまえはそうであることを望んでいるに違いない」という言葉は、まさにそれが言葉であることによって、「その記憶はすごくリアルで私は逆向きに歩きながら六十歳のいまを思い出しているようだった」という言表に相関する言語の外部であることから降りている。願望は願望であるかぎり言語の内部であるほかない。それは語りえる。それは語られた。わたしたちの立場は揺るがない。作者の思いがあって、そこからおかしな文が生まれるのではない。おかしな文に、わたしたち読者が作者の思いを見てとるだけなのだ。「こことよそ」の言表からわたしたちが受けとる思いは、小説の内部にも、外部にも、どこにも、その表現的な相関物を見つけることができない。それはその思いとして受けとられるものが、ほんとうは思いとしての資格と内実を持っていないからだ。それは背後のない、背骨の抜かれた純粋な手ごたえ、または手触りであるにすぎない。そこに作者の思いを見てとるのは、ただの習慣、ただの取り決めに従った、機械的な反応であるにすぎない。わたしたちが分かりにくく、分かりにくい「こことよそ」の言表に、たしかな手ごたえ、または手触りを感じるとして、この手ごたえ、または手触りを生み出しているのは、その手ごたえ、または手触りに先立ってある作者の思いなのではなく、二つ目の焦点を作品の内部に据えようという、純粋に作図的な作者の、小説家の、保坂和志の企図であると考えざるを得ない。

晦日の夜、鎌倉のバス通りを歩きながら、六十歳の「私」は、「大学五年」の頃の自分が元日の夜、同じ道を逆向きに歩いていたことを思い出した。あるひとつの構造において作品に推進力を与える役割を担っていた、この挿話の三度におよぶ反復は、別のひとつの構造においては、三度目の反復に込められた離接的綜合を、それに先立つ二度の記述との差異において読者に印象づける、合図としての役割を果たしている。だからこの反復は、二重の機能を発揮しているのだと言える。そしてその機能の二重性において、分かりやすい分かりにくさと、分かりにくい分かりにくさの双方に働きかけることによって、二つの言語の外部を読者であるわたしたちのもとに送り届けているのだと言える。この作品からは、このようにして二つの外部が、二つの態様でこぼれだしている。一方で言語の外部は、作品の外側に脱出している。他方で言語の外部は、作品の内側にめくれこんでいる。二つの外部は、お互いがお互いに対して異質であり収斂しない。二つの外部は、それぞれが作品の言語の外部であることの権利を声高に主張して譲ろうとしない。調停は無理だ。不可能である。それは作品を消却することだ。そんなことはできない。そしてなにより、二つの外部の言いぶんをきくことが、どうしてもできない。なぜならそれはただの外部でなく、言語の外部であるからだ。わたしたちにできるのは、二重の生を生きる、三度の繰り返しから浮かび上がる、ひたすら「暗く閑散としたバス通り」の、夢のようになまなましいその暗さの手触りを、こうしてただ、たしかめることだけだ。

 

(終り)