暗いバス通り――保坂和志「こことよそ」論(2)

 

この作品は、話者の「私」が年の暮れ、「谷崎潤一郎全集の月報にエッセイを書いてほしいという依頼」を受けたという話で幕をあける。「エッセイの趣旨は作品論的なものでなく個人的な思い出のようなものということだったから『細雪』のことを書こうかと思った」。というのは、「私」にはむかし「和歌山の友達」のところに「一週間くらい」遊びに行って、その友達の家で「昼間ずーっと」『細雪』を読んで過ごしたという体験がある。いやじつはこの「ずーっと」というのは友達の見方であるにすぎず、「私」には「ずーっと」は言いすぎであるような気がしている。和歌山は白浜である。「私」はあちこちの温泉に足を運んだ。でも、「温泉に入ったことと『細雪』は何も結びつかない」。「だから書きようがない」。でも書きたい。「白浜での一週間はいつ思い出してもピチピチ魚がはねるようだ」。そのころは「バブルの真っ最中というか上昇期」で、みんな「気楽」にやっていた。社会全体が浮かれていた。そうだ、「私はたしかに『細雪』を昼間はずうっと読んでいた」。いやそうじゃない、「ずうっとといってもせいぜい三十分だろう」。そんなことより昼間の記憶は友達の「おふくろさん」が「私」に向かってずうっと喋り続けていたことのほうが鮮明だ。「おふくろさん」は、「あんた東京の人に見えないからこっちもしゃべるのにちっともよそ行きにならんでいいわと合い間合い間に入れてはしゃべりつづけた」。でも「おふくろさん」は谷崎と関係ない。この話も使えない。それで「私」は「『異端者の悲しみ』のことを書くことにした」。

逡巡する「私」の内面を模写するこの導入部から先、話者は、谷崎全集の月報エッセイに記された作者の言葉を切り刻み、小分けにしてから、小説のなかに、すこしずつ取り込んでいく。「私はいま月報に書いたことをほとんど丸写ししている」。こんなふうにたびたび断りを入れながらも、じつは話者は、じっさいには作者が月報に書いていないことまで書いてあることとして述べていくのだが、このような言葉は、その事実性にかかわりなく、話者と、話者にそのように述べることを許す作者の双方が、小説の立ち上がる場で、限界ちかくまで自由にふるまっているという印象を、読んでいるわたしたちに、強く与える。しかし、自由であるという印象は、じじつ自由であることと同じではない。つまり、このようなことを殊更に述べることによって、作者は、いまここに小説の自由が実現されているというふうに、わたしたち読者に感じさせようとしている、そのようにわたしたちには感じられるが、しかし、じじつ自由であるようには、感じられないのである。

「こことよそ」の言葉たちは、話者が月報の引き写しだと言い張る作業をやり遂げてからもなお、その「個人的な思い出」を、導入部と同じようなスタイルで表出していく。それは時系列や構成などお構いなしといったふうだ。でも、そのような言葉を読み進めながら、わたしたちは、やはりこの作品には何か軸のようなもの、芯のようなもの、まとまりのようなものがあると、感じることを、どうしてもやめることができない。「毎日が楽しすぎる」、「ウキウキしてきた」、「楽しくてしょうがない」、「明るい風景しかない」といった言葉がたびたび発せられ、そのことによって小説がすみずみまで肯定的な感情の色に染めあげられていく。こうした一貫した感情の色あいを背景に、冒頭に据えられた月報の原稿依頼を受けたという話、そのとき谷崎潤一郎の最初期の作品である『異端者の悲しみ』を読んでいたという話が、反復的に呼び出される。こうしたテーマの反復的な呼び出しには、どうやら「私」の記憶のネジを巻きなおすという役割が与えられているようだ。それはその都度、細かく分岐するいろいろな思い出を引き連れてくる。そうして次々と、こまかい、あらたな記述を生成し、小説を前へ、前へと進めていく。若い頃にかかわった映画の撮影のこと、書いた小説のこと、読んだ本のこと、聴いた曲のこと、見た夢のこと、テレビコマーシャルのこと、話者の記憶は、こんなふうにあらたによみがえるたくさんの記憶を巻き込みながら、徐々にはっきりと丸みを帯び、球体状に膨れ上がっていく。

このように膨れ上がる球体の、記憶の像を引き連れて前へ、前へと向かう作品で、文の独創的なおかしさは、その前進運動に抵抗を加える重石のように作用している。これが重石のようであるといえるのは、文の直上に作者の思いという名の言語の外部がのしかかっているからだ。わたしたち読者がそれをそのように受けとるからだ。この作品で最大の負荷を作っているのは作品劈頭にあらわれる独創的に読みにくい文だ。冒頭に引用した箇所もそのなかに含まれている。しかしじつはその後、この文ほど読みにくい文はあらわれない。おかしいといえばおかしいといえるくらいの文が続く。ふつうであれば句点を打つようなところに読点を打ったりもしている。このように句読点の使い方には癖がある。しかし、それはあまり妨げにならないようだ。だから作品を構成するそれぞれの文は、はじめ頭に載せられた重石をつぎつぎと後続の文に受け渡していく。そういう格好になる。重石は重いけれども小説の歩みを決定的に止めてしまうほどのものではない。小説は決定的に押しつぶされることなく、じりじりと進んでいく。こうした叙述の均衡が、でも次の条りで、がらり崩れる。

いまこうして他に選びようもなくなった人生とまったく別の、あの時点で人生は可能性の放射のように開け、死はその可能性を閉じさせられない…………私はあの時点の感触に何度書き直しても届かないからもう何度も何度もこのページを書き直してきた、今の私、死んだ尾崎、あのときの私、暴走族の気配を引きずっていた尾崎、これらの関係は書いても書いても固定する言葉がない、それは言葉の次元ではない。

 

(続く)