こねこ文、あるいはシニフィアンとシニフィエの結合不良

互盛央「蓮實重彦のイマージュ、反イマージュの蓮實重彦」を読む。工藤庸子編『論集 蓮實重彦』に収められた文章のひとつで、蓮實重彦「「魂」の唯物論的な擁護にむけて」を主題的にとりあげている。この蓮實の論考、90年代の初め5号まで刊行された雑誌、ルプレザンタシオンの最終号に掲載されたものである。手元にあるので発行日を確認すると、互のいうとおり1993年11月25日。当時わたしは会社勤めをしていた。バレリーナ相手にレオタードやトゥシューズを売っていた。内容のある文章を読む時間なんてほとんどなかったけれど、この号はなぜか書店で手に取り、蓮實のを立ち読みし、買って帰ったのだった。互と同じく「丸山圭三郎の記憶に」と献辞のあるのが気になったのかもしれない。

さて、互のエッセイである。つかみの挿話から面白く、するする読み進めていたのだが、ある箇所で引っかかった。フェルディナン・ド・ソシュールの一般言語学講義に出席していた学生の一人、エミール・コンスタンタンのとった聴講ノートの引用が出てくるところ。ノートの原文はフランス語なので、翻訳なのだが、その訳文がひどく難解なのである。

この注意を付け加えよう。そうすることで私たちは、ありうべき曖昧さなしにその全体、
[シニフィエシニフィアン]
を示す、不在を嘆きうる語を手にしないだろう。(記号辞項など)どの用語が選ばれるにせよ、脇に滑って一部分しか示さない恐れがあるだろう。おそらく、そんな用語はありえない。
言語(ラング)では、ある用語が価値の観念に適用されるとすぐに、横線の一方の側にいるのか、もう一方の側にいるのか、それとも同時に両方の側にいるのかを知ることはできなくなる。
だから、誤解の余地なく連合を示す語を手にするのは非常に困難。
(互盛央「蓮實重彦のイマージュ、反イマージュの蓮實重彦」、工藤庸子編『論集蓮實重彦』pp. 239-240、太字は原文で傍点の付された字、[シニフィエシニフィアン]は横長の楕円が一本の横線で上下に区切られた図であって上側に「シニフィエ」、下側に「シニフィアン」と記載のあるもの)

冒頭、「この注意を付け加えよう。そうすることで」とある。この「そうすることで」の「そうすること」は、直前に記された一つの行為を指していると考えられる。つまり、「そうすることで」は「この注意を付け加えることで」と同義である。そうとしか読めない。「この注意」がどの注意か不明だが、とにかく、ここでソシュールは何らかの意図をもって聴講者たちに呼びかけている。注意せよと。

ところで、一般的に人は、他人から「注意せよ」といわれた場合、どのようなことを考えるだろう。その「注意」を払うことによって、危険を未然に防ぐことができたり、物事の新たな側面に気付いたりといった、労力に見合った恩恵に浴することを期待するのではないか。では、この場合、つまり一般言語学講義という場において、恩恵とはどのようなものでありえるだろう。たとえば、「ありうべき曖昧さなしにその全体、[シニフィエシニフィアン]を示す、不在を嘆きうる語」を手にすることなどが、そのような恩恵の一つでありえるだろう。ところがである。互の訳文によれば、聴講者たちは、わざわざ追加的な注意を払うことによって、このような恩恵的な語を「手にしないだろう」。一体なぜソシュールは、そんな無意味な注意を払うことを求めているのか。

難解すぎる翻訳はいくらでもある。だから単に難解すぎるというだけなら、わざわざ論うことはしない。不思議に思ったことがあるのだ。それは、この難解すぎる訳文を載せた互が、出典として、引用元の原文だけでなく、すでに存在するその日本語訳の対応箇所を明記していることである。つまり、コンスタンタンの聴講ノートには既訳が――少なくとも二つ――ある。そして互が「文献」欄に掲げている既訳の訳文は、読んでみると、互自身のものと違い、ふつうに意味の通じる日本語になっている。互は、このふつうに意味の通じる訳文に目を通しているにもかかわらず、同じ原文[註1]を――敢えてなのか何なのか――ほとんど意味の通じない形に訳出し、自分のエッセイに引いているのだ。

互の参照している影浦峡田中久美子の訳文は次のとおりである。

次の注意を付け加えておきましょう。すなわち、残念なことですが、これでもまだ、私たちは、シニフィアンシニフィエの結びつきを曖昧性なく示す言葉を手にしていません。


(記号、項、語など)どのような用語を選んでも、この総体の傍らをかすめるだけで、その一部しか指し示さない危険がある。[シニフィエシニフィアン]


おそらく、適当な用語がないのです。言語においては、価値という概念に用語を当てはめるや否や、境界の一方の側を示すのか、もう一方の側を示すのか、二つを一度に表しているのかが、わからなくなります。したがって、曖昧性なくこの結び付き
[シニフィエシニフィアン]を表す語を得るのは大変難しいのです。
(『ソシュール一般言語学講義――コンスタンタンのノート』影浦峡田中久美子訳pp. 118-119、[シニフィエシニフィアン]は原文では横長の楕円が一本の横線で上下に区切られた図であって上側に「シニフィエ」、下側に「シニフィアン」と記載のあるもの)

これなら分かる。我々はまだ、シニフィアンシニフィエの結合体であるところのそれをズバリ言い表すことができていない。残念だ。でも、そんなことのできる言葉なんて、実際のところ存在しないのではないか。ソシュールはそういっている。この点に関し、難しいところはない。互は、このように意味のきちんと伝わる訳文を確かめておきながら、このようには意味をとることのできない、前記のような晦渋な訳文を提示している。どうして互は自分の訳文を直さなかったのだろう。

この聴講ノートの一節は、互のエッセイ中、蓮實重彦の言葉に「端的」な「間違い」が含まれていることを示すための証拠として引かれたものである。しかも引用は、「これを読めば蓮實の誤りは明らかだ!」といわんばかりに、内容について何の注釈もなく、それだけが投げ出される形になっている。でも分からなかった。

いや、もちろん互も、自分の訳文が既訳よりも読みやすい、分かりやすいものになっているとは考えていないだろう。おそらく読みにくい、分かりにくいものだと考えているだろう。けれど逆にいえば、自分の訳の欠点は、この程度のもの――ちょっと分かりにくいだけ――だと考えている。そして、この程度の些細な欠点を補うだけの意義が自分の訳文には備わっていると考えている。たとえば、「生硬だが語学的に正確」ないし「原文に忠実」な訳文であると考えている。たしかに分かりにくいところがあるかもしれないが、読む人が読めばちゃんと分かるはずだ。自分の訳は、影浦・田中訳と、本質の部分で重なり合っている。想像するに、互が訳文を直さないのは、こんなふうに考えてのことなのではないか。エッセンスは伝わっているのだからこれでもう十分だと。

けれど互盛央の訳文と影浦・田中の訳文とを照らし合わせてみれば、両者がその意味的本質において等しくなっているとは、だれも思わないだろう。原文にあたることなく、前者の訳文だけを材料に、後者の訳文を引き出すことは不可能だ。前者の訳文の言葉をきちんと理解しようとすればするほどそうなのである。

互訳は、学校英語式、英文和訳式の、いわゆる「直訳」に近いものであり、ある程度の長さを備えた原文に「直訳」式が機械的に適用された場合によく見られる、単なる晦渋さを超えた意味の歪みを伴っている。しかし、繰り返すが、問題はここにはない。問題は、この明らかに不備欠陥を抱えた訳文を、それよりも妥当性の高い訳文を目にしておきながら、そのまま放置する、その姿勢のほうにある。この姿勢が悪いというのではない。不思議なのだ。このような姿勢を許す、言語活動に係る現実の、その不思議さについて問いたいのである。

この不思議な言語活動の及ぶ圏域は、翻訳の場に限られない。佐々木中との対談で、保坂和志が、自作『生きる歓び』の一文だと称して、次のような文を示している。

私は子猫の動くのを見ていると、いつもハ虫類みたいだ。[註2]

そして、こう語る。

この文章、変だって言われるのね。「いつもハ虫類を思い出す」とか「連想する」にしろという直しが入る。最近思うんですけど、こう書いても、そういう風に直せたっていうことは、通じているわけですよね? (中略)直せるっていうことは、そう読めているということだから、書いてあるということと同じことで、それでいいじゃないかという。
(「小説の言葉、思想の言葉」、佐々木中『この日々を歌い交わす』p. 11)

「直せるっていうことは、そう読めているということだから、書いてあるということと同じ」。先に見た互の訳文は、影浦・田中訳の形に「直せる」ものではないが、この違いは主観と客観の違いにすぎない。つまり、互本人は「直せる」と思っているはずなのであるから、互盛央と保坂和志との間には、言葉の取り扱いにおいて、共通の姿勢があるといっていいだろう。ちょっと不自由な文だとしても、十分伝わる(と思われる)のであれば、整った文に直す必要はない。そういう判断がある。

ただ、ここで一点注意しなければならないことがあるとすれば、保坂の場合、「直せる」とはいっているものの、実質的には「直せない」と考えているということである。「私は子猫の動くのを見ていると、いつもハ虫類みたいだ。」(以下、この文を「こねこ文」と呼ぶことにする)という文と、たとえば「私は子猫の動くのを見ていると、いつもハ虫類を思い出す。」という文が、「同じ」であるとは、じつは考えていない。文の入口をA、出口をBとする。そういって、次のような意見を述べている。

こうやって書いちゃったっていうことは、書いてる自分としては、この状態にいるAとBで気分が変わってるんです。それを、ここがつじつまが合うような、これはここで断絶しているっていう意味なんだけど、ここで断絶していないセンテンスにこだわると、このAからBへの気持ちとか思考の移動がうまくいかないんだよね。とにかく書くというこの時間の中で、書いている人間にとって大事なのは何なのかというと、このAからBへ移動することだと思うんです。
(前掲p. 12)

「AとBで気分が変わっている」。通りのいいセンテンスに直すと、こうした変化、運動、AからBへの移動の軌跡が消えてしまう。つまり、書き手の主体的側面の表出という水準では、修正前と修正後のセンテンスは「同じ」ではない。「ズレた文章」の「ズレ」具合を、単に「きれいな文章」からの逸脱、偏差、隔たりとしてではなく、それそのものとして余すことなく味わい尽くすことを保坂は、保坂の読者に求めている。「こういうズレた文章は読みたくない、俺はきれいな文章が読みたいんだとかっていうさ、そういう人は読者にいらないわけ」(前掲p. 32)

内容とは別に、書き手の「気分」「気持ち」「思考」の動くさまが言葉に反映するという見方は、吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で提示したコンセプト――「指示表出」に対置された「自己表出」、「意味」に対置された「価値」――に重ね合わせることができるだろう。保坂は、吉本語でいえば、「意味」ではなく「価値」の次元での言葉の受容、作品の享受を読み手に期待しているわけだ。

しかし、互盛央、保坂和志という二人の言語使用者に限定的な言葉の使い方を超えて、とりあえずは「日本語」と呼ばれる言語の圏域において確認される現実を可視化するには、「意味」と「価値」、この二つの概念に、互のところで「エッセンス」と呼んでおいた第三の次元を概念化し、これを加えた三分法により、言語活動を考えてみるのが有効だと思われる。

『言語にとって美とはなにか』で、吉本はこういう例を挙げていた。「海だ。」と「海である。」。この二つの文を読み比べたとき、日本語話者であればだれでも、ある観点から見れば両者は「同じ」だが、別の観点から見れば「同じ」でないと感じるはずだ。前者の観点が「意味」の観点であり、後者の観点が「価値」の観点である。「海だ。」と「海である。」は、吉本の術語で「意味」は同じだが「価値」は異なるということになる。

この前提に立ち、いまここで「エッセンス」というカタカナ語でとらえようとしているのは、「意味」の観点からも「同じ」とはいえない言表間に、ある種の精神的態度のもと設定される同一性のことである。

たとえば保坂は、こねこ文をそれとは別の自然な表現に「直せる」というが、実際には、相当の確実性をもって一定の文に直すことはできない(こねこ文はこの点で「言い間違い」の類と異なる)。「連想する」と「思い出す」は同じ意味ではないだろう。つまり「エッセンス」とは、「連想する」と「思い出す」の間、あるいは「手にしないだろう」(互盛央の訳文)と「手にしていません」(影浦峡田中久美子の訳文)の間にある明白な意味の違いがどうでもいいものとして消去されるような次元での言葉の交換にかかわる要素である。

こういうふんわりした言葉のやりとりの傍らで、言葉に対して厳しく反省的な姿勢を示す人々がいないわけではない。けれど彼らが言葉のふるまいを精密に観察するという構えをとるとき、すぐに持ち出されるのが話者の主体性、その思考や心情の動き、あるいは聞き手の身体性への働きかけといったものであるのはどういうことなのか。視線が言語を突き抜けてしまうのである。これは時枝誠記もそうだし、三浦つとむもそうだ。ある意味では森有正もそうかもしれない。吉本隆明は顕著にそうだし、すでに見たとおり保坂和志もそうなのだ。

日本語の体をなしていない、意味のよく伝わらない言葉であっても、なんとなく分かるのだからそれでいい。言葉を観察するとは畢竟言葉の外部を観察することにほかならない。この二極的な言葉に対する態度から抜け落ちているものは何か。言語の言語的存在である。「日本語」の圏域においては、言語が言語であることが、頑強な抵抗にあっているようなのだ。「言語というようなものはない」という吉本隆明の言葉、あるいは「何を読み、何を書いても、最終的にはどこかしら虚しい」という山城むつみの言葉は、こうした言語の軽視、無視、あるいは言語に対するぞんざいな扱いの、その根にあるものへの鋭い嗅覚がいわせたものなのではないか。

(続く)

※註

註1
厳密には同じじゃないみたい。影浦峡田中久美子訳は、手書きのノートを原稿に起こして訳したそうだ(すごい)。互盛央氏は、エングラーの校訂版を底本としながらも、最新の校訂版ソシュール研究誌58号)を参照して訂正を加えている。後者、最新の校訂版に基づく原文は次のとおり。エングラー版と微妙に違う(どっちの校訂版Google ブックスで見れた)。

Ajoutons cette remarque : Nous n'aurons pas gagné par là ce mot dont on peut déplorer l'absence et qui désignerait sans ambiguïté possible leur ensemble
[signifié / signifiant]

Probablement qu'il ne peut pas en avoir.
Aussitôt que dans une langue un terme s'applique à une notion de valeur, il est impossible de savoir si on est d'un côté de la barre ou de l'autre ou des deux à la fois.

主な違い。上で太字の「barre」がエングラー版では「borne」になってる。また、「pas en avoir」がエングラー版では「pas y en avoir」。山括弧は加筆箇所であることを示すよう。影浦峡田中久美子訳『ソシュール一般言語学講義――コンスタンタンのノート』の口絵にある原ノートの写真(ちょうどこの一節が含まれる見開きのものだった)で確認すると、該当箇所は文字が小さくて、色も若干濃い。

拙訳はこんな感じ。

注意しておきますが、以上のようにしたからといって、私たちがその不在を嘆いて然るべき一つの語、シニフィアンシニフィエからなる全体を曖昧さなしに示すことのできる、そうした語が手に入ったということにはならないでしょう。
(どんな言葉を選んでも――たとえば「記号」だろうが「項」だろうが「語」だろうが――狙いが外れ、片方しか示さないおそれがある。)
たぶん、どうしたって無理なんです。
どんな言語であれ、ただ何か言葉をあてがうだけで、その価値的概念が横棒の上を示すのか、下を示すのか、あるいは両方まとめて示すのか分かってもらうなんて、そんなことできっこありません。
([シニフィアンシニフィエ]の連合を曖昧さなしに示す語を手に入れるのは非常に難しいということ。)

この日、すなわち1911年5月19日の講義は、ソシュールが「シニフィアン」「シニフィエ」という二つの語を初めて口にした回として知られている。言語記号の性質を明確に定義するため、これまで「聴覚イメージ」と呼んできたものを「シニフィアン」と呼び、「概念」と呼んできたものを「シニフィエ」と呼ぶことにする。ソシュールは、そう語ったあと、引用部にあるような「注意」を喚起したのだ。

なお、引用部直前には山括弧に入った1文があって、こう書いてある。「これまで単に『記号』と呼んできましたが、この語ではまだ曖昧でした」。原文は「)」。エングラー版でデガリエのほうのノートを見ると、これとほとんど同じ文が本文扱いされている。原文の「par là」は、この文をじかに受けていると解釈できる? だとしたら、拙訳中「以上のようにしたからといって」は、「この呼び方ではやはり」に置き換えたほうがいいかも。影浦・田中訳の「これでもまだ」という訳し方は、指示の範囲を広くとることも狭くとることもできて上手いと思った。

最後、「Aussitôt」で始まる文の解釈について細かい論点を2つ挙げておきます。

まずは、従属節(Aussitôt節)が主節全体にかかっているか、それとも動詞savoirだけにかかっているかという問題。互訳、影浦・田中訳の解釈は前者、わたしは後者。

次に、「une notion de valeur」中のdeの用法について。互訳、影浦・田中訳では同格用法と解釈されているように見える。わたしの場合、この文脈でそれは難しいと思った。

註2
どうでもいいけど、この文、単行本の『生きる歓び』にはないよね(初出は未確認)。『未明の闘争』連載中の保坂氏が即興的に作ったものかもしれない。こねこ文として含まれているのは下の文。

この子猫にかぎらず子猫は一般に手足が細く、しっかり足場を確かめるためにいっぱいに前足を伸ばすその姿が私はいつもヤモリを思いだす。


La phrase-koneko* ou la disjonction du signifiant et du signifié

« Une chose telle que LA langue n'existe pas. » a dit l'écrivain, poète et penseur japonais Yoshimoto Takaaki (1924-2012). Cette formule a l'air impossible et presque ridicule. Malgré cela, au Japon, il n'est pas le seul à penser ainsi (tout comme Davidson ? Mais non !). Évidemment, la langue, même japonaise, existe. Sans surprise. C'est une réalité (sociale ? psychologique ? physique ?). Que veut dire alors Yoshimoto par là ? En fait, il a remis en cause l'idée de système des signes, ou le statut des signes japonais, je pense. Afin de décrire cet état de choses, j'ai d'abord recours à un triptyque conceptuel sémantique : le sens, la valeur et l'essence. Décryptage du (dys)fonctionnement des signes dans l'Empire des signes.

(*)Le mot koneko signifie en japonais « chaton ».