小説を書かないことの幸福――ロラン・バルト雑感その1

澄み切った秋空がひろがっている。今朝から何も食べていない。空腹の中、山崎ナオコーラのエッセイ「小説を書くに当たって」(文學界10月号)を読んだ。小説が人間を描くこと、小説家が人間であることが、ともにいさぎよく否定されている。なんておもしろい。けれどその出だし、「小説を書きたい。小説を書きたい、と今書いただけでもすでに幸福になり、もう実際には書かなくてもいいくらいだ」とあるのを読んで、ふと頭をよぎったのは、ロラン・バルトのことだった。

晩年のバルトは、小説を書くことに関心を抱いていたと言われる。事実、コレージュ・ド・フランスでの最後の講義は「小説の準備」がテーマだったし、小説のための構想メモのようなものも残っている。なかには踏み込んで、遺作の写真論『明るい部屋』は彼の小説であった、と強弁する人もいたはずだ(記憶による。たしかではない)。だがこんな言葉もある。

バルトは晩年、「新生(ヴィタ・ノーヴァ)」というダンテから引いてきたタイトルで、小説家としての新しい人生に入っていこうとしつつ、それが書けるか書けないかの瀬戸際で躊躇い続けている「彼自身」をめぐってセミネールを開講したりしていた。「書かれずに終わったバルトの小説」は誰もの関心を惹くのですが、たとえあれより長生きしたところでバルトは決して小説は書かなかったろう、というのが私の最終的な結論です。

これは松浦寿輝が以前、雑誌ユリイカの増刊号(2003年12月)で書いていたことなのだが、賛成である。バルトは書かなかったと思う。けれど、そう思う理由は、小説を書くこと(より限定的に言えば登場人物の名前をひねり出すこと)に伴う「下品さ」に、バルトが、書くことに対するその「倫理」感ゆえに、耐えられなかったであろうから――これが松浦の考え――というのではない。

バルトが小説を書かなかったのは、たぶん彼が、逆説的にも、人一倍「小説」を書きたいと思っていたからではないか。そして同時に、彼が人一倍「幸福」であることに敏感であったからではないか。

おそらく小説家とは、「小説を書きたい」と、そのように「書いただけでもすでに幸福にな」ってしまう人間だろう。だから本当は書かなくてもいいはずなのだ。それなのに書いてしまう。ここには、他人から強いられるのではない、自己の奥底に発する強い促しがある。そしてまた、この促しの底の底には、それに不合理な突き上げの力を与え続ける、きっと小説家本人にも意識されない、隠された原因がある。小説家に書くことを強制する、この原因は、きっと、義務感と呼べるようなものに違いない。小説を書くと書くだけで幸福ならば、実際に書くことは、より多くの幸福をもたらすだろうと考えるのは、間違いだ。書けば書くだけ、人間としては不幸になる。そう知りながら、それでもなお、書く。それはそれが小説家にとって、ひとつの義務であるからだろう。

しかしバルトにとって、「義務(le Devoir)」とは「幸福(la Fête)」の反意語であった。

本当はフランス人なのにミラノ人を自称したスタンダールは、たんなる旅行者でもなく地元民でもないという、そのどっちつかずの立場において、彼が市民的な義務を免れていられるイタリアという国から、この上ない快楽を引き出した。絶筆とされる「人はつねに愛するものについて語りそこなう」の中でこんなふうに確認するバルトと小説の関係は、このスタンダールとイタリアの関係と重なっている。小説を書こうと思うこと(想像のミラノ人であること)、そして、実際には書かないこと(現実のミラノ人ではないこと)。これによりバルトは、スタンダール的な不即不離の立場を手に入れることができる。そして、この立場を保持することで、小説の土地から、「絶頂(éclatement)」に決して至らぬ「よろこび(jubiliation)」(『恋愛のディスクール・断章』)を絶えず汲み上げることができる。このよろこびは、実際に書いてしまったら、たちまち枯れてしまうのだ。なぜなら、「『祝祭(fête)』とは待ち望まれるものである」(同)のだから。祝祭は、それが到来した瞬間、きれいに、あとかたもなく消える。あるいはそれは、自己の死と同様、不可能なものの領域に属する。それをあますことなく味わいつくすのは、人間である限り、不可能なのだ。

わたしは、夕食を楽しみ、会話を楽しみ、やさしさを楽しみ、よろこび(plaisir)のたしかな約束を楽しむ。それは「深淵の上で生きる術」なのである。
(『恋愛のディスクール・断章』)

小説を書きたいと思うこと、思い続けることは、百年ほどを上限とする生の中で、一個の人間として生きる者に、絶え間なく「よろこび」を注ぎ続ける。その意味で、「書きたい(Vouloir-Ecrire)」気持ちの保持は、「深淵の上で生きる術」なのだ。

晩年のバルトが批評家として取り出そうとしたのは、この、エクリチュールの手前にある、「よろこび」の源泉としての「書きたい」の輪郭、真相だったのではないか。このパトスを、「エクリチュール=祝祭=死」の出来するその直前まで追い詰め、そうした臨界の状態をそのまま、あくまで「批評」という形において写し取ること。ここに晩年のバルトの狙いがあったと言えるだろう。

バルトは、コレージュ・ド・フランスにおける最後の講義「小説の準備」で、ダンテ等を参照しながら、「人生の『なかば』(le « Milieu » de la vie)」における「新生(Vita NovaあるいはVita Nuova)」について語っている。この「人生の『なかば』」は、「人生の折り返し地点」という意味、つまり寿命の半分という意味ではない。それは、人生の「残りの日数が数えられる」局面に入ったこと、すなわち、「自分が死すべき存在である」ことに気付くことを意味する。「新生」とは、こうした「深淵」の在処を強く意識した人間が、残りの生の「質」を、これまでのそれとはすっかり変えてしまうこと(「量」を変えることはできないので)なのである。

「ものを書く人間、書くことを選んだ人間、書くことによろこびや幸福(それも「最高の幸福」に近いもの)を感じるような人間にとって、「新生」とは、新しい書き方を発見すること以外にはあり得えない」とバルトはいう。新たな内容ではなく、新たな形式。では、バルトがめざしたのは、どんな形式であったのか。

それは、「小説」であった、というのが、ひとまずの答えとなるだろう。しかし、この「小説」は、コレージュ・ド・フランス講義の最終回の、それも最後の言葉として語られた「ハ長調の作品」でないことはたしかだと思われる。

1978年、やはりコレージュ・ド・フランスを舞台として行われた、「Longtemps, je me suis couché de bonne heure」と題された講演で、バルトは、こういっている。「小説(Roman)――もちろん私は、自分の過去のやり方、過去の文章と異なる形式のことを、便宜的にこう呼んでいるわけです」。晩年のバルトは、「小説」という言葉を「便宜的」なものとして使っている。そのことを忘れてはならないだろう。

この講演で語られている内容は、「小説の準備」講義の最初の2回のそれと大分重なっている。けれど、とりわけ結論部において、講義で語られていないことが語られており、それがこの講演の価値を引き上げていると言える。

自分は小説を書こうとしているのか。それは分かりません。これまで自分の書いてきた文章には、ロマネスク的な要素がたくさんあった。だから、いわゆる知的な文章とはずいぶん違うものだったと思います。それでもやはり、知的な要素は、私の書くどんな文章にもありました。でも、私が書きたいのは、こうした要素から徹底的に切り離された作品なのです。これを「小説」と呼んでいいのかどうか。そのことも分かりません。

というようなことを述べてから、おもむろにバルトは、「方法」について語り始める。

私にとって重要なことは、あたかも自分が、こうしたユートピア的な小説を書くべきであるかのようにふるまうことです。なにかについて語る者ではなく、なにかを作る者の立場に身を置くこと。生産物について研究するのではなく、生産に携わる。そのとき世界は、もはや対象でなく、エクリチュールとして、すなわち実践として、私の前に立ち現れるでしょう。私は別様の知、「アマチュア」の知のもとに赴くのです。その意味で私は方法的なのです。

「アマチュア」とはすなわち、「想像のミラノ人」のことである。つまりバルトの「方法」とは、不即不離の立場を作り出すことである。小説を書くでも、書かないでもなく、書く「かのように」ふるまうこと。そしてバルトは、この「かのように」という態度と、「科学的なアプローチ」との類似性を指摘してから、こういう。

私という人間の心の奥底には、どうやら、私の知らない天性の科学者がいて、その科学者が――少々困ったことに――ヴィーコのいう「新しい学(Scienza Nuova)」の方を向いているようなのです。この「学」が、この世界の輝きであると同時に苦悩であるものを、この世界において私を魅了しつつ憤慨させるものを、必ずやうまく表現してくれるのではないでしょうか?

バルトに「新生」があったとすれば、それは恐らく、この「新しい学」のうちにあったと考えられる。天性の科学者には小説を書くことができないだろう。その証拠に、バルトは「生から小説へ」といっている。もし天性の小説家という者があるとすれば、それは、「生から小説へ」の移行ではなく、「生」と「小説」との切断を語るに違いないのだ。「人間でなくなるために小説を書きたい」という山崎ナオコーラのように。

幸せになれと言われると蹴飛ばしたくなる。そういうことをするために生まれてきたのではないのだ。私を写真に撮るとひとり分の人間に映るからといって、人間扱いはしないで欲しい。人間にも女性にもならなくて済む、本の中で生きるために生まれてきたのだ。
山崎ナオコーラ「小説を書くに当たって)。


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