それを「主語」と呼ぶのは自由――柳父章『近代日本語の思想』、金谷武洋『日本語に主語はいらない』、鴻巣友季子「朝吹真理子 アテンポラルな夢の世界」

文芸誌『群像』の三月号で、マイケル・エメリックという日英翻訳家と柴田元幸が対談をしている。一か所、ふつうに読めば、奇妙なやりとりがある。

エメリック (……)日本語には時制が無いと言われます。完了形が基本で過去形がないので、自由に「〜であった。〜である。」と続けていくことが出来る。
柴田 現在形と過去形を混ぜちゃっていい。
エメリック 日本語はとても寛容な言語ですね。
(「翻訳は言語からの解放」『群像』2011年3月号)

エメリックという人は、日本語に「過去形がない」と断言している。おまけに「日本語には時制が無い」というのだから、とうぜん「現在形」もないと考えているはずだ。にもかかわらず柴田は、「現在形と過去形を混ぜちゃっていい」と、何の留保もなく、エメリックの発言の土台をぶちこわすような言葉で、これに平然と応じている。エメリックは、日本語には現在形も過去形もないと言ったのだ。いったいどうやって、この存在しない「現在形」と「過去形」を混ぜることができるのか。だれでもいぶかしむに違いない。しかし、右で対話は、いささかもぎくしゃくしていない。奇妙である。どういうことか。

いや、これは本当は、奇妙でもなんでもない。柴田の「過去形」は、エメリック氏の発言にある「過去形」を指していないのだ。つまり柴田の「過去形」はエメリックの「〜であった」を、そして柴田の「現在形」はエメリックの「〜である」を受けている。文法的に言えば、柴田の「過去形」は文末を助動詞「た」で終える形、すなわち「タ形」を、「現在形」は文末を動詞の終止形で終える形、すなわち「ル形」を指しているということだ。

だとすれば、柴田の発言は、正確には次のように記述されなければならなかったはずである。

柴田 「現在形」と「過去形」を混ぜちゃっていい。

カッコがついているのである。

「た」が「過去形」でないこと、両者が同じ機能を持たないことなんて、百も承知だ。便宜的に「過去形」と言ってるだけだ。わかってて、あえて使っている。二人とも、そういうつもりなのだろう。こんなふうに言い張る人も、とりわけ翻訳者の間などに少なくないようだ。けれど、本当にわかって使っているのだろうか。

例えばエメリックの発言で「日本語はとても寛容な言語」というのは変だ。なぜなら、文末で完了の助動詞「た」と動詞の終止形を混用できる、というのは、寛容でもなんでもないからだ。そもそも「混用している」という意識は生じないはずだろう。だって、完了の助動詞「た」と、動詞の終止形は、文法カテゴリーがぜんぜん違うのだから。範列関係にない。お互いを排除するものではないのだ。これが「混用」であると感じられるのは、「た」と動詞終止形の両者をいずれも時制の表現であると考えている、つまり欧米語の「過去形」と「現在形」と同じであるとみなしているからだ。ようするに、わかってない。

もちろん、「た」を「過去形」と呼ぶのは自由だ。実際そのほうが通りがいいのだし。ただ、カッコつきで話したり書いたりする人は、いつのまにか、ついうっかり、カッコを外してしまう傾向がある。とりわけ文体分析などするときに、そうなってしまうようだ。

朝吹真理子「流跡」の文体的特徴の)二つ目には、いわゆる現在形の多用がある。ただし、日本語には英語に見られるような時制の概念はないので、それが実際に現在という時間を表すものかどうかは判断のしようがない。むしろ時間の色合いを取り払い、過去形につきまとう物語の匂いを遠ざけるものとして使用されている観がある。

これは文學界三月号に掲載された鴻巣友季子朝吹真理子 アテンポラルな夢の世界」の一節である。鴻巣は、「日本語には英語に見られるような時制の概念はない」と言いつつ、「現在形」と「過去形」という言葉を使っている。つまり、この両語を自分はカッコに入れて使っています、と宣言しているわけだ。けれど、朝吹の小説で多用されるカッコつきの「現在形」について、「実際に現在という時間を表すものかどうかは判断のしようがない」と言っている点、また、それが「時間の色合いを取り払」うと言っている点、ぜんぜん腑に落ちない。「時制の概念はない」と言い切るのなら、「実際に現在という時間を表すものかどうか」迷う必要はないはずだ。また、「現在形」の使用が「時間の色合い」を消すと言っているからには、「過去形」の使用は逆に「時間の色合い」をもたらすと考えているのだろう。これは鴻巣が、カッコつきの過去形である「た」をカッコなしの「過去形」と同一視している、つまり「た」を物語時制と考えているということになるのではないか。

このエッセイで、「流跡」に対し鴻巣のやっている文体分析は――あとでまた見るが――不審な点があまりにも多い。結論を先に言ってしまえば、この分析は、ぜんぜん分析になっていない。「日本語には英語に見られるような時制の概念はない」という知識、「現在形の多用が」「時間の色合いを取り払い、過去形につきまとう物語の匂いを遠ざける」という知識を、矛盾したまま、ただ並べているだけで、「流跡」文体の本質には、一瞬たりとも触れてない。

自分は日本語の「過去形」が欧米語の過去形とは別物であることは知っている。ただ、「過去形」という言い方が英語教育等により市民権を得ているので、通りがいいから使っているだけだ。こういうのが、「過去形」愛用者たちの主張の典型だろう。ところが、そういう彼らの、日本語に対する分析や反省の言葉には、欧米型過去形特有のコンセプトが、こっそり忍び込んでいる。この密輸入されたコンセプトが、分析や反省を空転させる。日本語を読んでの実感は、おいてけぼりなのだ。

以上、黙示的なカッコの使い方を見た。以下、明示的なカッコの使い方を見る。代表的な使い手として、柳父章がいる。

柳父章の翻訳論は、いろいろ重要なアイディアを含んでいる気がするけれど、いまいち論述の突き詰めが足りないせいか、読んでいて、ちょっとイライラすることがある。

ここで私の結論を先に言えば、「た」じたいは、とくに話し言葉では現在形でも過去形でもなかった。西洋語の完了形とも違う。西洋語のテンスの概念を日本語にそのまま持ってきて当てはめようとするのは、基本的に無理だったのだ。この無理な当てはめには、もちろんしかるべき理由があったので、それがすなわち近代以後の翻訳の要請であった。


しかしまた、「た」で止めるような新しい「過去形」が、結果としてつくられていった、ということも重要である。それは、翻訳文を中心として、ある限られた範囲で、日本文における「過去形」の役割を果たしているのである。


これが果たして過去形と断定できるかどうかを、私は疑問としているので、括弧つきで「過去形」と言っておきたい。
柳父章『近代日本語の思想』pp.84-85)

日本語に元来あった「た」という語それ自体は時制と無縁だ。しかし、西欧語の過去形の翻訳で、この「た」が機械的に使われるようになったという事実がある。したがって、翻訳の日本語における「た」は、カッコつきの「過去形」である。

というのだが、「過去形」にカッコをつける意味が、あるいはカッコのついていることの意味が、よくわからない。つまり柳父は、

1.翻訳文における「た」止めの「過去形」は、西欧語の過去形と同様、過去時制を表している、と言いたいのか、
2.それとも、やはり、この「過去形」は、翻訳文においても、西欧語の過去形とは異質であると考えているのか、

それが曖昧なのである。仮に1.だとすると、カッコを付ける必要はない。単に翻訳文の「た」は過去形である、過去時制を表示していると言えばいいのだ。もちろん、この主張は受け入れがたい。たとえ翻訳文においても、助動詞「た」は過去を表していない。

次に、「2.」だとしても、カッコをつける意味が不明である。なぜならこの「過去形」は西欧語の過去形とは異質なのだから。そこから名前を借りる必要性も、必然性も、皆無だろう。

西欧語の過去形にシステマティックに「た」をあてた翻訳、具体的には二葉亭の『あひびき』の翻訳(明治21年)によって、それまでの日本語に見られなかった新しい文の形ができた、そしてその新しい形が明治30年頃から広まった、というのは、いい。でも、過去形を機械的に「た」で翻訳したからといって、その「た」が原文の過去形と同じ機能を獲得することにはならないだろう。単に新しい文の形が生まれただけだ。だとすれば、これをカッコつきでも「過去形」と呼ぶ必要はない。翻訳文の影響で「た」を文末とする新しい文の形が広がったというだけでいい。なによりこの「た」それ自体が、過去の日本語の「た」と異なる、新しい機能を持ったわけではないのだ*1

それでもこれを「過去形」と呼びたければ、それはもう自由であるとしか言いようがない。ただ、このカッコは、最初に見た通り、どうやら外れやすいようだから、気をつけたほうがいいと思うばかりだ。

「主語」の話に移る。

日本語に主語は不要だ。主語という概念は西洋語の文法を無理やり日本語に当てはめたものにすぎない。三上章に代表される、こうしたいわゆる「主語無用論」に、「大筋としては」「賛成である」と柳父は言う。ただし、この意見には「もう一つ大事な視点を付け加える必要がある」。それは、「近代以後の日本は、西洋の文法理論をモデルとして受け入れた、というだけではなくて、近代の日本語じたいを、西洋文をモデルとしてつくりかえてきた、という事実である」(『近代日本語の思想』p.27)。

だから、主語はないが「主語」はある。それは翻訳によって作られた。柳父はそう考える。具体的には「学問ノ目的ハ真理ヲ発明スルニアリ」(石原健三『政治言論』)の「学問ノ目的ハ」というのが「主語」である。つまり「〜は」という言い回しが「主語」を表しているというのだが、では、なぜ、これが「主語」であるといえるのか。柳父の説明はこうである。

近代日本語に新しく出現した「〜は」という言葉が「主語」である理由は、その意味内容を導く機能にあった。文法的には、三上章の説くように、伝統的な日本語における題目であると言うのが一応妥当と思われるが、翻訳文におけるその機能について、改めて考え直さなければならない。その意味内容が新しいのだ。すなわち、三上や大野[大野晋のこと。引用者注]たちの言う題目は、「相手にとっても既知のものでなければならない」のだが、ここで出現した「〜ハ」という「主語」は、多数読者にとっては既知ではない。未知なのである。
柳父章『近代日本語の思想』p.36)

「は」と「が」の使い分けの説明で、よく「は」は既知(旧情報)、「が」は未知(新情報)を表示すると言われる。例えば、

昔々、おじいさんとおばあさんありました。おじいさん山へ芝刈りに行きました。おばあさん川へ洗たくに行きました。

で、最初「おじいさんとおばあさん」とあるのは、二人の登場人物が新しい情報として与えられているからだ。続く文で「おじいさん」「おばあさん」とそれぞれ「〜は」になっているのは、両者が既知の情報であるからだ。

というのが一般的な説明である。

ところが! 「学問ノ目的ハ真理ヲ発明スルニアリ」という文で「学問ノ目的」というのは、「一般の読者にとって既知の概念ではない。当然未知の概念である」。ゆえに、この「は」には、「伝統的な日本語」の「は」にはなかった新しい機能が付与されていると見なければならない。だから「主語」と呼ぶしかない。

と柳父はいうのである。

よくわからない理屈だ。不明点は、二つある。まず、「〜は」に新しい機能が出現したからといって、なぜ、カッコつきではあれ、それが「主語」と呼ばれなければならないのか。柳父の言っていることは、「題目」の対象の範囲が広がった、変わった、ということでしかない。つまり、この「機能」は、西欧語の主語の機能とは、いっさい関わりを持たないのだ(西欧語の主語に新情報を導く機能などない。不定冠詞ならまだしも)。それがなんでまた「主語」なのか。

ここで、ちょっと寄り道をして、西欧語の主語の概念について見ておくことにする。これに関しては、金谷武洋が、『日本語に主語はいらない』という本で明快に説明している。この本で主語の条件として掲げられているのは、以下の4つだ。

(あ)基本文に不可欠の要素である。
(い)語順的には、ほとんどの場合、文頭に現れる。
(う)動詞に人称変化(つまり活用)を起こさせる。
(え)一定の格(主格)をもって現れる。
(金谷武洋『日本語に主語はいらない』p.62)

金谷は、言語学者アンドレ・マルティネの主語規定を踏まえた「(あ)」が最重要であり、他の3つのはこれを補完するものにすぎないと念を押している。いずれにせよ、この4つの命題から明らかなことは、西欧語の主語が、「客観的に観察できる構文的概念である」(同p.62)ということだ。

ところが、日本語学では、どうか。例えば、庵功雄・高梨信乃・中西久実子・山田敏弘著『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』を開いてみよう。「主語」に関するコラムがある。そこで「主語」は、「文中で特別な働きをする名詞句」と緩やかに規定され、次のような例によって、それがたしかに日本語に存在(?)することが証明(?)されている。

a.お母さんがお父さんに自分のスカートを自慢した。
b.お父さんがお母さんに自分のスカートを自慢した。

上の例で「前者は自然であるのに対し、後者は意味的に不自然である」(強調引用者)。つまり、ガ格名詞と「自分」は一致する。したがって、「日本語のガ格名詞句も(述語の一致という特徴は持たないものの)文中で特別な働きをしていると言えるので、これを『主語』と考えることができ」る(『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』pp.252-253)*2

日本語の「主語」は――「意味的に不自然」という言葉からも分かる通り――それを析出するのに意味の分析を必要とするのだ。ようするに、日本語の「主語」は、金谷の指摘する通り、「意味論的」(金谷前掲p.142)概念なのである。

例えば、英語の主語が述語と一致しない場合、それは「意味的に不自然」となるのではない。統語的・形態的に不自然となる。つまり、「特別な働き」は「特別な働き」かもしれないが、双方の働きの次元は、まったく異なる。一部の日本語学者が、本来の「主語」概念を拡大解釈し、それを勝手に「主語」と呼んでいるにすぎないのである。

現代日本語文法入門』の小池清治は、「いわゆる『主語』は文の必須成分ではない」(p.117強調引用者)と言いながら、後で、一見それと矛盾したようなことを言っている。

「上がる」という自動詞は「主格補足語」を必須要素とし、(中略)「上げる」(他動詞)は「主格補足語と対格補足語」を、「ある」(存在詞)は「主格補足語と場所格補足語」を、「美しい」(形容詞)は「主格補足語」を、「静かだ」(形容動詞)は「主格補足語」を要求する。これらの語が叙部に期待する補足語は、必須要素ではあるが、常に文の表面に表されるとは限らないので、(中略)「潜在的格要求」という。(中略)「主格補足語」はすべての用言の潜在的格要求の対象となる。この点で、他の補足語とは際立った異なりを見せる。本書では、「主格補足語」を他の補足語とは異なるものとして、「主語」ということにする。
小池清治『現代日本語文法入門』p.159強調引用者)

「いわゆる『主語』は文の必須成分ではない」の「必須」とは構文的に必須のことを意味し、「潜在的要求」の対象となる「補足語」は意味的に必須であるということになるだろう。しかし、英語や仏語の主語は、構文的に必須、すなわち「潜在的」にではなく、「顕在的」に要求されるものだ。「常に文の表面に表される」のである(したがってそれが現れないとその文は「非文法的」となる。一方小池の「補足語」はそれが現れなくても文を「非文法的」にしない)。つまり、小池の「主語」は、欧米語の主語と、まったく関係がない。それもそのはずで、小池は、この「主語」という言葉を、「『主格補足語』の短縮による省略形という意味」(p.159)で使っているのだ。日本語文法の範囲内で小池が発案した概念であり、仏語の「sujet」や英語の「subject」とは完全に切れている。そしてそのことを小池は自ら認めている。

こうした自覚の上での命名は自由だろう。それを妨げる理由はない。同様に、柳父章が「〜は」という形を「主語」と呼ぶのも自由である。ちょっと紛らわしいのは事実だけれど、呼びたいなら呼べばいいのである。

ここで話を戻せば、柳父の主張で、近代日本語の「〜は」がカッコつきの「主語」である理由は、これが、それまでにない新しい役割を担っているからであった。二つ目の不明点は、この「〜は」が、本当に新しい役割を担っていると言えるのか、ということである。

「〜は」といえば、もともと聴き手・読み手にとって「既知」のものを表す表現であったはずなのに、近代日本語の「〜は」は、多くの人々にとって「未知」の概念を戴いている。だから新しい。そう柳父は言うのだが、この考え方は適切だろうか(そもそも「既知」および「未知」の概念を「主語」の概念に関係付けることが適切なのかどうかは別として)。

適切ではないと思う。柳父は、「既知」「未知」という概念を、ひどく浅いところで理解しているのではないか。

大野晋は、柳父も引く『日本語の文法を考える』で、「既知(あるいは既知扱い)の下にハという助詞を使う。(中略)未知(あるいは未知扱い)の下にガという助詞を使う」(p.24)と説明しているが、同書とは別の場所で、この「『扱い』ということの意味がよく理解されていない」と嘆いている(「ハとガの源流」『日本語と世界』p.86)。

○元来、助詞は、話手が名詞や動詞などを、どう関係づけるつもりか、それらの関係を主体的にどう扱うつもりかということを表明する言葉である。

○従ってハ・ガという助詞は、単に事実関係における既知や未知を、そのまま反映するものではなく、その助詞の承けるものごとを、文章表現の中で、主体的に既知扱いするか、未知扱いするかを表明する役目を負っているものである。
(同p.87)

つまり大野は、事実としての知識の有無は、「は」と「が」の使い分けに無関係だと言っているのだ。したがって当然、「は」が未知の概念を受けてもいっこうに構わないということになるだろう。

ここで、事実として未知の事物を「は」で受ける実例を、近代以前の日本語表現に探って示すのがいいのかもしれないが、その余裕はない。ふと思いついたのは、『古今和歌集』「仮名序」の「やまとうたは、人のこころをたねとして、万の言の葉とぞなれりける」である。この日本最古の歌論で、「やまとうたは」に導かれた内容は、柳父が「は」の新しい役割と考える「未知の概念についての一般論」(『近代日本語の思想』p.131)にあたると言えると思うが、どうか*3

さらに言えば、「未知」「既知」の「知」とは、そもそも意味内容や内包についての「知」を意味しているだろうか。例えば「私は大野です」で「私」が「既知」であるというのは、「私なる存在については相手もこれを見て知っている」(大野晋『日本語の文法を考える』p.25)という意味の「知」であって、「私」という言葉の定義や内包についての「知」ではないだろう。「未知」「既知」の「知」は、あくまで指示や照応のレベルの話なのである。

「未知の概念についての一般論」に係る「〜は」が目に付くようになったのは大日本帝国憲法からであるという指摘は、たぶん当たっているだろう。この憲法がドイツ語からの翻訳文を元にしたというのも事実だろう。そしてこの憲法の文章が、ある種「異常な日本文」(柳父章『近代日本語の思想』p.3)であるというのにも同意できる。

ただ、この異常は、あくまで文体上の異常、偏差であり、「は」に新しい機能が生じているとか、いわんや日本語に「主語」が現れたとか、そういう話ではない。異常なほど「は」が連続している。それだけだ。そしてこの「は」の連続は、『枕草子』の「春はあけぼの」「夏はよる」式の連続と、機能的・本質的に異なるものではないのである。

鴻巣友季子の文体分析について見たい。

鴻巣は、朝吹真理子「流跡」の文体的特徴を「アテンポラルな夢の世界」で三つ挙げている。先刻見たのは、その二つ目、「現在形の多用」であった。今から残りの二つを見る。「主語の欠落」と「『が』の多用」。順番は逆になるが、後者から行くことにする。

鴻巣は言う。作品「流跡」で「次々と出現するものを作者は『〜は』と描写しない」。これはつまり、作者は初出・未知の名詞を「は」で受けていない、「が」で受けている、ということだ。そのことを鴻巣は、文体上の「重要な特徴」として挙げている。

初出・未知の名詞を「は」で受けず「が」で受ける。これを鴻巣は、さも特異な事態であるかのように語っている。でも、この使い方は、日本語の文章で、ごく普通のこと、あたりまえのことである。それがいったいなぜ「重要な特徴」となるのか。だれでも疑問に思うだろう。

考えられるのはこういうことだ。

日本語の文章、とりわけ小説の冒頭部では、冒頭部であるからには初出・未知であるはずの名詞を、「が」ではなく「は」で受けることがある。例はたくさんある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』105頁では四つ挙げられている。そのうち二つだけ、ここに借り出してみる。

「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした」
宮沢賢治セロ弾きのゴーシュ』)


「医者は探りを入れたあとで、手術台の上から津田をおろした」
夏目漱石『明暗』)

こうした「は」の使い方を三上章は「既知強制」と呼んでいる。これは大野晋の指摘する通り「既知扱い」の顕著なケースだろう(『日本語と世界』p.88)。未知のものを既知と扱うことで、読み手を「強制」的に物語の中に引き込むのである。

ただし、これは物語の冒頭部(あるいは何らかの意味での導入部)に限定されるものだ。それ以外の場所で「次々と出現するもの」を「は」で受けることなんて、まずない。

つまり鴻巣は、書き出し部分に限らず、いかなる場所においても初出・未知の名詞を「〜は」で受けるのが物語の標準仕様であると勘違いしているのではないか。だからこそ、「次々と出現するものを作者は『〜は』と描写しない」という、日本の文章でまったく自然なことが、特異なものに見えてしまうのだ。

また鴻巣は、柳父章の「主語」説を真に受けて、「〜は」という形を「書き手にとって既出既知のことを相手に知らしめる文型」だと言い、これを、全知の語り手と無知の読み手という情報格差の構図に読み替える。さらにはこの格差の構図を「西洋のノベル」の基本的構えであるとみなし、「日本昔話の文体」と対比する。しかし、冒頭部における「読者の知らないこと」の導入は、それこそ「既知強制」と言えば済むものだ。つまり、このような冒頭形式の小説で、読み手はむしろ「既知」の状態に立つ。

鴻巣によれば、「昔々ある所に、〜がいたそうな」という「日本昔話の文体」は、「『そうな』という伝聞の形をとると同時に、『〜が』で始めることで、語り手と読者の情報レベルがほぼ同じ位置にあることを示している」。この語りの形式が「古代的な語り」であるのだそうだ。

しかし、何度も言うが、「流跡」の「〜が」の使い方は、現代の日本語において、きわめて普通の用法なのだ。「古代的な語り」なんかではない。たしかに「昔々ある所に、〜がいたそうな」という「日本昔話の文体」は、大野晋以下、さまざまな論者が各自の分析で引き合いに出してきた。でも、彼らはこれを「古代的な語り」の例として挙げていたわけではない。あくまで現代日本語における「が」と「は」の使い分けを説明するための用例なのだ。当たり前の話である。この「日本昔話の文体」は「古代的な語り」そのままではない。ほとんど現代語だ。古代の物語は、『伊勢物語』(むかし、男ありけり)であれ『竹取物語』(いまはむかし、竹取の翁といふものありけり)であれ、冒頭部、格助詞の「が」は使っていない。「が」がたくさんあるから「古代的」というのは、成り立たないだろう*4

最後は「主語の欠落」についてだ。「本の中からくにゃくにゃと現れたもの、その主体を表す主語(彼? 彼女? それ?)が全く出てこない」。これを鴻巣は、「流跡」の特徴として真っ先に挙げている。

けれど、「主体を表す主語」が文章に現れないのも、ぜんぜん珍しいことではない。「主語」を欠いた文章なんて、いくらでもある。問題は、そういうことではないだろう。「流跡」で、ふつう問題とならない「主語」の欠落が問題となるのはなぜなのか。それこそが、本当の問題であるはずだ。

「流跡」を論じる気はないので、簡単に済ますが、この作品は、どうやらキャラクター的な想像力に抵抗している。「主体を表す主語」の欠落が問題となるのは、主人公なり語り手なり、物語の中心となるキャラクターをイメージすることができないような文章になっているからだろう。逆に言うと、「主体を表す主語」なんてなくても、イメージ化が可能であれば、ちっとも問題がないわけだ。

もうひとつ「流跡」を読んで気付くのは、通常の小説で、キャラクターというものが、物語の時空間の成立に、ふつう考えられる以上に大きな影響を与えているということである。物語は、明確な舞台設定があって、そこに自立したキャラクターを配置する、という形で成立しているのではない。むしろ確固たるキャラクターの成立が、その周囲にリアリティのある時空間を組織する。キャラクターが時空間を引っ張ってくるのだ。したがって、キャラクターの不安定な「流跡」は、キャラクターのみならず、物語に流れる時間やその背景をなす空間をも不安定にする。そういうことだろう。

結論を言おう。

鴻巣が「流跡」の特徴として挙げる文体的特徴は、三つともぜんぶ的外れだ。それらは「流跡」の文体的特徴なのではなく、日本語の特徴であるにすぎない。それが日本語の特徴なのであれば、当然、日本語で書かれた「流跡」にも当てはまる。でも、これでは、「流跡」の文体的特徴とは言えないだろう。

「アテンポラルな夢の世界」とは日本語の世界のことなのだ。

*1:「た」をめぐる柳父の論述は、混乱している。「『〜は』から始まって、『た。』に至る構文は、かつてのやまとことばにはない緊張した張りがある」(p.116強調引用者)と言いつつ、志賀直哉の「『……た。』で切れる文の『張り』や『簡潔な』句切れには、『……て・あり』という『源流』の語感が残っているのであろう」(pp.117-118強調引用者)と言っている。

*2:なお「自分」が「主語」と一致するという考え方は、金谷武洋によって否定されている(『日本語に主語はいらない』pp.155-164参照)。

*3:もっとも「仮名序」は、漢文の「真名序」に裏打ちされているという説もある。というよりも、日本語のシンタックスが、そもそも漢文訓読の効果であるということが言えるのだ。

*4:だいたい「が」が多いという言明はナンセンスだ。鴻巣は、数種ある助詞のうち「が」と「は」だけに着目し、通常「は」が使われる(と鴻巣が勝手に考える)場所で「は」が使われていないことをもって「が」が多いと判断しているのだろう。「『は』と『が』を比べる『主語病』」(金谷武洋)に罹患しているようだ。