写生の第三形式――貞久秀紀『雲の行方』

言語には存在と使用の二つの面があって、その二つの面のそれぞれにさらに二つの面がある。だから言語の存在、言語の使用というだけでは足りず、言語の言語的存在、言語の言語的使用といわなければならない。言語の非言語的存在とは言語を一般的な事物と同等…

DeepL Translatorはどうなのか

「グーグル翻訳より格段にいい」というふれこみのDeepL Translator。ちょっと試してみたけれど、どうも本当っぽい。去年グーグル翻訳が新しくなってすぐに試した英仏翻訳で不出来だった文が、だいぶまともなふうに訳された。 17) 原文:He was laughed at. G…

盗まれた身体――奥村悦三『古代日本語をよむ』

堀江敏幸「土左日記」現代語訳の面白み。「貫之の緒言」と「貫之の結言」、そして括弧を使って本文に組み込まれた沢山の自注。「十六歳の日記」みたいだ。でも実際の「土左日記」には緒言も結言も注記もない。だから「原文にない」、「創作だ」といいたくな…

ベンヤミン「雑誌『新しい天使』の予告」を読む

ヴァルター・ベンヤミンは、1921年、『新しい天使』という名前の雑誌を構想していた。この名前は、同年彼が手に入れたパウル・クレーの絵からとられている。結局、この雑誌は実現しなかったのだが、ベンヤミンは、短くも密度の濃い予告文を残している。ベン…

新しいグーグル翻訳と翻訳者の失業

仕事が一段落したので、話題の新Google翻訳を試してみる。まずは古典的な例文を投入。上が入力、下が出力(以下同様)。 1) He saw a woman in the garden with a telescope. 彼は望遠鏡で庭の女性を見た。 おー。 2) He saw a woman with a hammer. 彼はハ…

こねこ文、あるいはシニフィアンとシニフィエの結合不良

互盛央「蓮實重彦のイマージュ、反イマージュの蓮實重彦」を読む。工藤庸子編『論集 蓮實重彦』に収められた文章のひとつで、蓮實重彦「「魂」の唯物論的な擁護にむけて」を主題的にとりあげている。この蓮實の論考、90年代の初め5号まで刊行された雑誌、ル…

「AIが翻訳の不可能性に気付く日」へのトラックバックのご紹介(追記あり)

「AIが翻訳の不可能性に気付く日 - 翻訳論その他」という以前のエントリにトラックバックいただいたのでご紹介しておきます。どっちも面白い。 少し前の「ちゃんとした自動翻訳はやっぱり無理じゃね?」という懐疑論も面白かった。 (AIに何ができるか、何を…

内包と外延――写真と俳句のシステム論的素描

畠山直哉の写真集『気仙川』の「あとがきにかえて」に「絶対的な写真」という言葉が出てくる。写真は、第三者が「写真として」みれば「どうということもない」ものであっても、それを撮影した本人には、個人の記憶とのつながりにおいて、この上なく大切なも…

「こなれた日本語」の弊害(追記あり)

こなれた日本語。って言い方? ありますよね。翻訳文について言われるやつ。まあ、誉め言葉。の一種。なのかしらん? 「来年度の日本のGNP成長率は四%前後になります」 という発言に対して、 「Oh, it's too optimistic!」 という反応があった場合、田中さ…

AIが翻訳の不可能性に気付く日

中央公論4月号で人工知能研究者の松尾豊氏が「ほんやくコンニャク」は「夢物語ではない」と書いている。「研究自体は5年〜10年で一定のメドがつき、10年〜15年後には実用化できるかもしれない」。じつは今から10年前、リアルタイム自動翻訳は「あと5年で実現…

「移人称小説」と「いぬのせなか座」

「移人称小説」というレッテルがピンと来なくて。命名したのは渡部直己だが、次のように書いている。 ここにひとつ、昨今の小説風土の一部にかかってなかなか興味深い(中略)現象がある。/一種の「ブーム」のごとく、キャリアも実力も異にする現代作家たち…

「フランス語のウナギ文」再び

高田大介さんのブログ記事「うなぎ文の一般言語学」に触発された。以前書いた「フランス語のウナギ文」の続きを書くことにする。まずは念のためウナギ文の実例を挙げておこう。死後の世界で交わされたやりとりとして読んでもらいたい。 A:それで皆さんは何…

日本語は論理的ではないし、文法的でもない――森有正「現実嵌入」再考

1976年にパリで客死した森有正は哲学者であったが、自らの哲学についてはまとまった著作を残していない。完結していれば主著となったかもしれない『経験と思想』も尻切れとんぼだ。いくつか印象深い概念を提示し、繰り返し語っている。でも内容はどれも似た…

日本の言語の起源の補綴

古事記の序の終わり近く、撰録方針について太安万侶の記すところ、「上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難」とある。「昔の言葉は、その形式と内容において、今よりもずっと素朴であった。そのような言葉を文章化するのは難しい」という意味に解される。であ…

日本語のための第三空間――主語論の余白に

日本語文法学会編『日本語文法事典』(2014年)では「主語」の項を3つ立てている。そのうちの1つに、「日本語に主語はないという主張は、主語を専ら統語上の概念だと決めてかかる観点に立つものである」(p.267)とあって、ちょっと考え込んでしまった。とい…

あまり魂が入つてゐないもの

年末から元日にかけて、保坂和志の『小説の誕生』を読んでいたのだが、小島信夫の「裸木」と梶井基次郎の「檸檬」の文章を比べていた。「裸木」は「檸檬」に似てないとある。でもそれをいうならむしろこうじゃなかろうか。「裸木」は「檸檬」にだけは似てな…

独我論批判――永井均とそれ以外

妻のジュード・ロウVHSコレクションに『AI』があって観た。ジュード・ロウ演じるジゴロ・ジョーはセックス・ロボットだ。動きが少々ぎこちないけれど、見た目は人間と変わらない。当然、心もあるように見える。けれど、殺人の濡れ衣を着せられていた彼がラス…

アントワーヌ・ベルマンの二つの著作と、ある新鮮なベンヤミン論

最近アントワーヌ・ベルマンが国際哲学コレージュで行ったセミナーの記録が相次いで日本語に翻訳された。『翻訳の時代』と『翻訳の倫理学』である。読んでみたら、どちらも相当に面白かった。以下その感想のようなもの。まずは『翻訳の倫理学――彼方のものを…

二葉亭の「逐語訳」の「影響力」をめぐって

二葉亭四迷といえば逐語訳であるけれど、「余が翻訳の標準」を素直に読めば、語数やコンマ、ピリオドを原文と同じくするという、「あひゞき」初訳で試みられた厳しい逐語訳の方法が、彼にとって最善のやり方ではなかったことがわかる。もし自分に筆力が備わ…

日本語の不自由さ

といふタイトルの小林秀雄のエッセイがある。萩原朔太郎の同名の文章について批判的に論じたものだが、なかにずいぶん気になる一節が見える。ちよつと引用してみたい。 原文の意味はとつくにわかつてゐるが、それがなかなか思ふ様に日本語の文章にならないと…

中島義道の「変な感じ」

死ぬのがこわい、できれば死にたくないという人も、では永遠に死なないのがいいのかときかれれば即座に、それもごめんだと答えるのではないか。日々の暮らしの中で不意に襲ってくるタイプの死の恐怖、それについて語られたものをみると、「永遠に」だとか「…

二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』(追記あり)

※ネタバレ注意。以下の文章には藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』の核心に触れた記述があります。 二人称小説のことが気になりだしたのは、文藝春秋九月号で藤野可織の芥川賞受賞作『爪と目』とその選評を読んだからだ。これを読んで、…

「He is sad」と言えても「彼は悲しい」と言えないことをめぐって

「私は悲しい」と言えるのに「彼は悲しい」とは言えない。なぜか。彼の気持ちは彼にしかわからないからだ。その通りだが、でも英語では「He is sad.」と難なく言えるのだ。どういうわけだろう。いくつかの考え方がある。 たとえば「悲しい」と言う単語は、英…

フランス法の「既判力」について

「autorité de la chose jugée」は、よく「既判力」と訳されるけれど、日本の法学でいう「既判力」概念とはいろいろ違いがあるようで、注意が必要。調べたことをメモしておきます。 まず日本の「既判力」の定義を確認する。有斐閣法律用語辞典(第3版)にこ…

川端康成の本当

続きです。川端康成の「十六歳の日記」作中日記部分には発表時たんなる字句の訂正を超えた加筆訂正があったのではないか。川嶋至がそう問うたのは、すでに見たように『川端康成の世界』の中である。川嶋はそこで複数の論拠を挙げて、その証明を試みている。…

川端康成の嘘

川端康成が自身の翻訳観・日本語観を披歴した文章に「鳶の舞う西空」という随筆があって、精読したことがある。「『源氏物語』の作者に『紫式部日記』があった方がよいのか、なかった方がよいのか。なくてもよかった、むしろなければよかったと、私は思う時…

「TEMOIN ASSISTE」のこと

たまには実務翻訳者らしい話を。何年か前からフランスのメディアや法律関係のテキストでちらほら見かける言葉に「témoin assisté」というのがあって、刑事手続き上の地位(statut)のひとつなのですが、これ、翻訳する際、毎度すごく悩まされています。とて…

父が息子に語る「運命の乗り換え」

高校生になったMinecraft三昧、FSO2三昧の息子と、ゆうべ「運命の乗り換え」について話した。途中からこちらの説明が錯綜し、自分でもわけがわからなくなってしまったので、そのとき考えたこと、話したかったことを整理するため、書いておこうと思う。「運命…

ベンヤミン「翻訳者の使命」を読みなおす(3)――パンの件

パンのくだりを読みなおす。パンのくだりとは次の部分である。 たしかに〈Brot〉[パンのドイツ語]と〈pain〉[パンのフランス語]において、志向されるものは同一であるが、それを志向する仕方は同一ではない。すなわち、志向する仕方においては、この二つの語…

ベンヤミン「翻訳者の使命」を読みなおす(2)――ウィトゲンシュタインの中動態

ベンヤミンが「言語による伝達」(ブルジョワ的伝達)と区別した「言語における伝達」(魔術的伝達)について考える上では、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』中の「論理形式」をめぐる記述が参考になる。野矢茂樹訳(岩波文庫)で引用したい。 4.12 命…