二葉亭の「逐語訳」の「影響力」をめぐって

二葉亭四迷といえば逐語訳であるけれど、「余が翻訳の標準」を素直に読めば、語数やコンマ、ピリオドを原文と同じくするという、「あひゞき」初訳で試みられた厳しい逐語訳の方法が、彼にとって最善のやり方ではなかったことがわかる。もし自分に筆力が備わ…

日本語の不自由さ

といふタイトルの小林秀雄のエッセイがある。萩原朔太郎の同名の文章について批判的に論じたものだが、なかにずいぶん気になる一節が見える。ちよつと引用してみたい。 原文の意味はとつくにわかつてゐるが、それがなかなか思ふ様に日本語の文章にならないと…

中島義道の「変な感じ」

死ぬのがこわい、できれば死にたくないという人も、では永遠に死なないのがいいのかときかれれば即座に、それもごめんだと答えるのではないか。日々の暮らしの中で不意に襲ってくるタイプの死の恐怖、それについて語られたものをみると、「永遠に」だとか「…

二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』(追記あり)

※ネタバレ注意。以下の文章には藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』の核心に触れた記述があります。 二人称小説のことが気になりだしたのは、文藝春秋九月号で藤野可織の芥川賞受賞作『爪と目』とその選評を読んだからだ。これを読んで、…

「He is sad」と言えても「彼は悲しい」と言えないことをめぐって

「私は悲しい」と言えるのに「彼は悲しい」とは言えない。なぜか。彼の気持ちは彼にしかわからないからだ。その通りだが、でも英語では「He is sad.」と難なく言えるのだ。どういうわけだろう。いくつかの考え方がある。 たとえば「悲しい」と言う単語は、英…

フランス法の「既判力」について

「autorité de la chose jugée」は、よく「既判力」と訳されるけれど、日本の法学でいう「既判力」概念とはいろいろ違いがあるようで、注意が必要。調べたことをメモしておきます。 まず日本の「既判力」の定義を確認する。有斐閣法律用語辞典(第3版)にこ…

「TEMOIN ASSISTE」のこと

何年か前からフランスのメディアや法律関係のテキストでちらほら見かける言葉に「témoin assisté」というのがあって、刑事手続き上の地位(statut)のひとつなのですが、これ、翻訳する際、毎度すごく悩まされています。とても訳しにくい。ほかの人たちはど…

川端康成の本当

続きです。川端康成の「十六歳の日記」作中日記部分には発表時たんなる字句の訂正を超えた加筆訂正があったのではないか。川嶋至がそう問うたのは、すでに見たように『川端康成の世界』の中である。川嶋はそこで複数の論拠を挙げて、その証明を試みている。…

川端康成の嘘

川端康成が自身の翻訳観・日本語観を披歴した文章に「鳶の舞う西空」という随筆があって、精読したことがある。「『源氏物語』の作者に『紫式部日記』があった方がよいのか、なかった方がよいのか。なくてもよかった、むしろなければよかったと、私は思う時…

「TEMOIN ASSISTE」のこと

たまには実務翻訳者らしい話を。何年か前からフランスのメディアや法律関係のテキストでちらほら見かける言葉に「témoin assisté」というのがあって、刑事手続き上の地位(statut)のひとつなのですが、これ、翻訳する際、毎度すごく悩まされています。とて…

父が息子に語る「運命の乗り換え」

高校生になったMinecraft三昧、FSO2三昧の息子と、ゆうべ「運命の乗り換え」について話した。途中からこちらの説明が錯綜し、自分でもわけがわからなくなってしまったので、そのとき考えたこと、話したかったことを整理するため、書いておこうと思う。「運命…

ベンヤミン「翻訳者の使命」を読みなおす(3)――パンの件

パンのくだりを読みなおす。パンのくだりとは次の部分である。 たしかに〈Brot〉[パンのドイツ語]と〈pain〉[パンのフランス語]において、志向されるものは同一であるが、それを志向する仕方は同一ではない。すなわち、志向する仕方においては、この二つの語…

ベンヤミン「翻訳者の使命」を読みなおす(2)――ウィトゲンシュタインの中動態

ベンヤミンが「言語による伝達」(ブルジョワ的伝達)と区別した「言語における伝達」(魔術的伝達)について考える上では、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』中の「論理形式」をめぐる記述が参考になる。野矢茂樹訳(岩波文庫)で引用したい。 4.12 命…

ベンヤミン「翻訳者の使命」を読みなおす(1)――「常識的な翻訳観を疑う」

湯浅博雄『翻訳のポイエーシス』に収められた「翻訳についての考察を深めるために」という70ページ余りの論考。ベンヤミン「翻訳者の使命」の読解を梃子に展開されるこの論考から抽出可能な命題に、次の二つがある。 1.文学作品は語り得ぬものを語る。 2…

波動言語論、あるいは煙幕としての言語について

吉本隆明が亡くなってすぐ、新潮と朝日新聞に、中沢新一が追悼文を書いていて、どちらも読んだ。吉本の言語論に触れたくだり、うなずける部分とうなずけない部分がある。 吉本さんは『言語にとって美とはなにか』以来、言語を「指示表出」と「自己表出」とい…

哲学の欺瞞性――國分功一郎『暇と退屈の倫理学』から考える

國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』を読んで、「退屈の第三形式」をめぐる議論に興味を持った。國分によれば、ハイデッガーは『形而上学の根本諸概念』で「退屈」を次の通り三つの形式に分けている。(※以下、「ハイデッガーは」とあるのは「私の読んだところ…

声を水に流す――朝吹真理子『流跡』の話法について(後編)

(承前)朝吹真理子の小説『流跡』は、一見、次のような構成をとっている。「プロローグ」→「本編」→「エピローグ」つまり、一人の語り手がいて、その語り手が前口上を述べ、物語を語り出し、やがて語り終え、最後再び顔を出す。この場合、作品は2つの層から…

声を水に流す――朝吹真理子『流跡』の話法について(前編)

幸田文の小説『流れる』は、こう始まっている。「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった」。ふつうの日本人であるならば、この文を読んで、格別のひっかかりを覚えることはないはずだ。けれど、このとてもやさしい短文も、これを…

吉本価値論への批判

吉本隆明の「像」概念を批判する文章を書いている最中だった。以前書いた「山崎ナオコーラの論理学(ロジック)」という文章から、「言語にとって美とはなにか」の「価値」論を批判した部分を引用しておきたい。***さて、いまから、この吉本の価値概念を…

複雑系翻訳論

※ 以下の文章には高野和明『ジェノサイド』についてのネタバレが含まれます。 機械翻訳についてきちんと勉強したいなあ、と思いつつ、なかなかまとまった時間が取れないので、文献だけ集めて木村屋アンドーナツ食べながらパラパラ拾い読みしているのだけれど…

震災文学その期待の地平――「時局と文脈」のためのメモ

地震のあと、なんとなく、というのまで含め、それとの繋がりを感じさせる小説が、続々文芸誌に掲載されている。まるで「震災」「原発」というお題が出ているかのような盛況ぶりだ。以下の作品を読んだ。 高橋源一郎「日本文学盛衰史 戦後文学篇(17)」(群…

「作者の死」?――ロラン・バルト雑感その3

ロラン・バルトが描いてみせた「作者の死」の光景には、作者の死体と並んで、批評家の死体が転がっている。 ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、その…

『表徴の帝国』の誤訳――ロラン・バルト雑感その2

バルトの著作の翻訳については、とりわけ日本に紹介され始めた頃の翻訳のひどさがよく指摘される。前出のユリイカ2003年12月増刊号では、やはり松浦寿輝が宗左近訳『表徴の帝国』その他いくつかの書名を挙げ、「ああいう欠陥商品を平然と刊行して本屋に並べ…

小説を書かないことの幸福――ロラン・バルト雑感その1

澄み切った秋空がひろがっている。今朝から何も食べていない。空腹の中、山崎ナオコーラのエッセイ「小説を書くに当たって」(文學界10月号)を読んだ。小説が人間を描くこと、小説家が人間であることが、ともにいさぎよく否定されている。なんておもしろい…

死の恐怖をめぐって――中島義道、大江健三郎、森岡正博を中心に

ホリエモンが収監される前、あるインタビューで、こんなことを語っていた。 ボクは6歳の頃から、死について考えていました。いつか死ぬ、明日かもしれない。そう考えると怖い。でも気付いたんです。考えるから怖い、考えなければ怖くないと。しかし何かの拍…

ベンヤミンの中動態、ヘイドン・ホワイトの誤解

中動態というのは印欧語に見られる態のひとつで、それがどのようなものかといえば、その名の通り「能動態と受動態の中間にある態」ということになる。用語自体は古典ギリシャ語の文法に由来するようだが、実例を挙げれば、ラテン語の「受動形式動詞Deponenti…

ジュリア・クリステヴァが読むジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』

楽しみにしていたジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』の邦訳がついに出た。さっそく読んだら面白くて腰が抜けた。そして、悪い意味ではなしに、もやもやした。この「もやもや」刺激部について、世の読書人はどう読んでいるのか知りたいと思った。書評な…

「雑誌『新しい天使』の予告」(4)

最終回。最後の二つの段落を読む。この雑誌を制約するもうひとつの制約と、その制約の帰結について。また、この雑誌が『新しい天使』と名付けられていることの意味について。「この私」が、雑誌の統一性の妨げであると同時に、いやそれゆえに、雑誌の統一性…

「雑誌『新しい天使』の予告」(3)

第6段落と第7段落。ここで主に語られているのは、対象を論じる際の姿勢と、書き手の資格についてである。とりわけ、哲学的および宗教的取り扱いの重視、そして哲学的および宗教的普遍性と科学的普遍性との違いを掴むことが読解のポイントとなる。ベンヤミン…

「雑誌『新しい天使』の予告」(2)

第3段落から第5段落までを読む。掲載される文章のジャンルが三つ示されている。「批評」と「創作」と「翻訳」。ベンヤミンの説明は極めてロジカルだ。既存の翻訳でかすんで見える部分、いくらかコントラストを上げてみた。***まず何よりも、批評。アクチ…